私の本業 今年の誤算

 毎年この頃になると、きゅうりとトマトの栽培管理と収穫・出荷に追われて時間が足りません。こういう時にかぎって、助けてくれる人がいません。毎日続くきゅうりの収穫・出荷にしても、一般のサラリーマンの勤務時間外に作業があるため(定時の時間外の作業であるため)、地元のハローワークに募集を出しても雇われる側から敬遠されることが多いです。しかし、その朝晩の作業時間が、長野県では実は自然の涼しさを感じられる時間帯であり、作業がしやすいことは余り知られていません。
 ここでばれてしまいましたが、私はこの仕事を始めてから冷房とは無縁の人生を歩むことになってしまいました。それでも日中に作業しなければならないこともあります。その場合、汗びっしょりになることによって、炎天下でも作業が楽にできるようになります。こういう状態では、体力が消耗したり、風邪をひきやすくなると思われていますが、陽射しが強くて暑いうちはクーラーも扇風機もいりません。朝夕が涼しいために体を冷やさなければ、そして、よく休養できれば(実際よく眠れて仕方がないのですが)、毎日の体調を維持できます。
 汗びっしょりだと、人がたくさん集まっている場所では、いろいろ気になることがあるかもしれません。私は、こういうふうな植物と多くつきあう仕事をしているから、気にしないし、他人からも気にされないだけかもしれません。でも、どんなに暑くても体調がくずれていないということは、私の体が加齢や過労などで引き起こされるマイナス面を免れているように思われます。(ちょっと遠回しな表現ですが、言っていることはわかってもらえると思います。)
 実はスーパーマーケットや直売所などの客商売をしている場所へ行けば、それなりの冷房設備や通風設備に出会うことができます。でも、私にとってはそれらの場所は避難所ではありません。一時的には良くても、長時間いると体調を崩します。夏場に汗が出ないほど涼しい場所にずっといると、私は風邪をひいたり、体調を崩したいすることが若い頃から少なくありませんでした。
 ところで、今年は前年の失敗を反省して、きゅうりの木の栽培本数を半分に、トマトの木の栽培本数を5分の1に減らしました。特にトマトが前年ひどかったのですが、栽培する木の本数が多かったために、芽かきや収穫の一括管理ができませんでした。管理が行き届かないために、トマトの質が悪くなりました。さらに、私自身の労働力の限界を超えてしまい、アルバイトの人も暑さに負けてほとんど来てくれませんでした。しかも前年は、この時期雨が多かったせいもあり、地元のトマトは大豊作でした。私の畑でも大量に赤いトマトが出来ました。つまり、労働力がなかったことと供給過多で売れなくなったことのために、トマトの収穫と出荷を途中であきらめてしまい、木にぶら下がったままの大量のトマトを放棄しなければなりませんでした。
 このような失敗を繰り返さないために、栽培する本数を減らして、苗を畑に植えた後の栽培管理を十分にいきわたらせる作戦に変更しました。その管理が十分できたとわかった時点で、きゅうりもトマトも苗を追加して行こうと考えました。もっとも、そのための追加苗は、後からどこからも注文できません。ですから、あらかじめ確保して、植える前の『苗』として長い期間を自己管理するしかないのですが、これが技術的に難しい。これは掟破りであり邪道であるため、かなり私は周りから非難されています。普通は、苗を搬入したら、慣らしをいれても、2,3日中にその苗を畑の地面に植えなければいけません。しかし、この仕事の労働力不足に立ち向かうためには、この手を使うしか今のところ他に方法がありません。労働力が足りなくなるとわかっていながら、管理に無理がある本数の苗を植えて栽培することは合理的でないと私は思いました。
 その結果、きゅうりもトマトも、管理の行き届いた状態で木が成長して、上手く行っています。が、その十分な栽培管理のおかげで、きゅうりは思っていたよりも多くとれてしまい、そのぶん忙しくなってしまいました。きゅうりは、毎日の朝晩2回収穫しなければなりません。労働力の不足は変わりませんが、必要な作業の遅れや中止が起こらないようしなければなりません。たとえば、病害虫が発生した時に、その原因がわからないからと言って、その様子を見るために農薬散布を後延ばしていると、病害虫の被害が広がって取り返しがつかなくなります。動物や植物に関わる仕事は、このように『待った無し』のことが多いのです。たとえ他に仕事があっても、肝心な作業を伸ばし伸ばしにすることは危険であり許されません。
 結局、栽培本数を減らして負荷を減らしたつもりが、かえって作業的に忙しくなってしまいました。本業なので、余程のことが無いかぎり放棄するわけにはいきません。しかもこれはうれしい誤算でも困った誤算でもありません。予定通り上手く行かなくても、ある程度は結果が出ないとあきらめてはいけないケースなのです。