電気は怖いエネルギー?

 今回私は、電気エネルギーに関して真面目な議論をするつもりはありません。しかしながら、これほど現代に生きる私たちにとって、水や空気と同じくらい身近で必要不可欠になったエネルギーは他にはありません。しかも、電気エネルギーへの依存度は高く、そこから脱することは現代人にとって100%不可能と言えます。電気がなければ、テレビは見られません。電源を必要とするコンピュータは動かず、パソコンを使うこともできません。夜になって暗くなると毎日の生活習慣になっているかのように普通に蛍光灯の明かりをつけていたこともできなくなります。冷蔵庫は意味をなさず、あらゆる便利な家電は使えなくなります。このように現代人は、電気エネルギーが無いと文化的な生活は何もできない、と言ってもいいと思います。『脱原発依存』は将来可能でも、『脱電力依存』は永遠に不可能なのかもしれません。
 このようなことから、私たちは考えなければならないことがあると思います。電気エネルギーをあまりに便利に毎日使っているために、その便利さに私たちは慣れすぎているのです。電気があるうちはそれが当たり前であるかのように、水や空気と同じようにその大切さをすっかり忘れてしまっています。また、電気をあまりに便利に安全に使いすぎて、その正体の怖さを忘れてしまっているか、それとも、ほとんど知りません。100V電圧の家庭用電源を肌身でじかに感じたことのある人がどれくらいいるでしょうか。そんな人は、この世にほとんどいないと思います。(だからといって、家庭用電源に素手で直接ふれることは、危険ですから、絶対しないでください。)
 そこで、私の体験談を話そうと思います。中学生の頃の私は、鉱石ラジオのキットを組み立てたものを私の父から与えられました。その組み立てキットは、半田ごてで簡単に作れるもので、カバーが無くて、かまぼこの板に電子部品がむき出しに付いていました。高周波コイル・ゲルマニウムダイオード(鉱石検波器の代用品)・バリコン(可変コンデンサー)・抵抗・イヤホン・アンテナ用の端子・アース端子がエナメル線で接続されていました。トランジスタ真空管は使われていなかったので、電源を必要としていませんでした。ただし、アンテナとして外の電線を利用するために、アンテナ用の端子を、家庭用電源のソケットの2つの穴の一方に一本さす必要がありました。また、水道管や鉄柵などの金属にアースを必ず接続する必要がありました。
 ある日、私は台所で電源ソケットにアンテナ端子を接続して、アース端子を水道の蛇口に巻きつけて、イヤホンでこのラジオを聴いていました。その時たまたま、ぬれた手で水道の蛇口に触れてしまいました。私の手にビリビリと何かが走りました。私はあわてて手を引きました。また、別の時に、部屋でこのラジオを聴いていました。電源ソケットから、アンテナ用の端子がはずれそうになっていました。それを直そうとして、アンテナ端子の金属部分に間違って指が触れてしまいました。何か高速でブルブル震えるものを感じました。この時もまた、私はあわてて手を引っ込めたので、大事に至りませんでした。
 5年前、私はビニールハウスで春先の寒い時期だけ使うために温床線を引きました。それは、200V電圧の動力用電源であり、三相交流でした。ただし、自前で電気工事をしたわけではありません。私は電気工事士の免状を持っていません。レンタル・ビニールハウスの脇に中部電力の電線につながった引込み線がありますが、ハウス内の配電盤はボロボロに壊れて、電力の供給線がつながっていませんでした。私は、地元の電気工事屋さん二、三軒にあたってみて、現場を見てもらい、見積もり工事費を出してもらいました。そのうちから、もっとも合理的な見積もりを出した電気工事屋さんに、引込み線からの配線と、配電盤の新設と、温床線までの結線をお願いしました。
 こうした電気製作物は、電気工事士の免状を持っていない人が行うと、かなり危険です。ですから、素人が行うと法に触れます。私は、電気工事屋さんのプロの仕事を脇で見ていました。うっかりしていたら命を落としかねない、とても危険な作業があって、電気工事士の資格免許をたとえ私が持っていたとしても、自分ではやりたくないなと思いました。仕事でお金がもらえるとしても、人のためにやりたくないなと思いました。従って、温床線を使う時は、あの頃の電気工事のことを思い出して、慎重に作業を始めます。電気のトラブルを起こしたら、電気工事屋さんが来てくれるまで、自前ではどうすることもできないと考えるから、いやでも慎重になります。
 以上が、電気エネルギーに関する私なりの実体験の話でした。話し変わって、ここからは私の好きな香港映画の一つについて紹介したいと思います。『トワイライト・ランデヴー』("Love in the Time of Twilight")という映画がありました。『トワイライト・ゾーン』でも、吸血鬼のイケメンおにいちゃんが出てくる映画でもありません。『花月佳期』という、とても美しい中国語のタイトルが付いています。しかし、中国語のサブタイトルは『電線桿有鬼』でとても怖い感じがします。これは『香港のスピルバーグ』と呼ばれた、ツイ・ハークという人が作った映画です。
 SFっぽいコメディで、恋愛&ホラーな映画でしたが、キレイなものと汚いものが同居していて日本人の好みに合うか疑問なところもありました。でも、電線のそばで死ぬと電気の幽霊になるとか、電球の光るところで過去にタイム・スリップしたり、電線に近づきすぎると異次元の世界に引き込まれたりとか、電気エネルギーに関して日本人に無い発想がありました。
 これはどういうことかと申しますと、東洋で近代化がいち早く進んだ日本では、生まれて物心がついた時にはすでに当たり前のように送電線が各地に張りめぐらされていて、それを奇異とも不思議とも誰も思わなかったことがあると思います。一方、一般的な東洋人としての思いは、そんな日本人の感覚とは別物であったようです。自宅の近所に新たに立てられた電信柱の送電線を伝って流れる電気エネルギーに不思議な力があると、想像していたようです。そしてそれは、電気の幽霊であったり、タイム・スリップであったり、異次元世界への入り口であったりしたのです。
 こうした未知なるものに対する想像力や探究心を持たぬまま、私たち日本人は、電気エネルギーの使い方だけを覚えて、なにも考えず感じずに、ただ安全に便利に使いこなしてきたように思います。それは、余計なことを気にかけない、要領のいい、効率的な行為であり、必ずしも間違っているとは言えません。しかし、この便利で利口なやり方は、取り扱っているものの正体や本質を正しく理解していないことを忘れさせてしまい、いざと言う時にその先一歩も進めなくなります。いずれは、今までのやり方にも不安をおぼえて、どうしていいかわからなくなってしまいます。
 例えは下手かもしれませんが、ホースで植物に水をやろうとしてヘビをつかむようなものです。ホースはホースとして、ヘビはヘビとしてしっかり理解して、それぞれの取り扱い方を間違えないように気をつけたいところです。