私の本業 きゅうりの安定した契約出荷を祝して

 今年のきゅうりの契約出荷(JA信州うえだでは、契約販売と言っています。)がやっと明日9月9日で最終日を迎えます。今日の夕方のきゅうりを取ってみてやっと私はわかったのですが、何とか去年に引き続いて自力で明日は出荷終了できそうなのです。この契約出荷に関わっている仲間は5人(または5世帯)の新規就農者ですが、そのうちの2人は、きゅうりの木を既にダメにしてしまい、きゅうりが十分に取れなくなってしまいました。現在は、まだ沢山きゅうりが取れる人からきゅうりを提供してもらって助けてもらっています。彼らだって最盛期には、ものすごい箱数のきゅうりを出荷していました。がしかし、一時期沢山きゅうりが取れすぎて、まさにそのためにきゅうりの木がヘタってしまうのが早くて、きゅうりの木を手入れするのが間に合いませんでした。
 一般に、一定量の農作物をほぼ毎日出荷し続けることは、その出荷量(きゅうりなら、その本数や重量)が多ければ多いほど、その出荷期間が長ければ長いほど難しくなります。しかし、契約栽培とか契約出荷と呼ばれるものは、まさにその難しさを要求してくるのです。できるだけ多くの出荷量と長い出荷期間は、農作物の安定供給につながります。それができる産地は、買い手から信頼されますし、契約打ち切りにならず次回(来年)以降も採用してもらえます。契約ということの本質がそこにあることが、こんな私にさえ理屈としてわかります。
 植物の栽培上、毎日のきゅうりの収穫量が一定していることはほとんどありません。お天気しだいで、その収穫量は、その収穫期間が長ければ長いほど多くなったり少なくなったりで、言わば山あり谷ありです。しかしながら、その理屈が許されないのが現実です。一応、JAの側で「今年は、異常気象でうまく行きませんでした。」と言い訳することはできるそうです。しかし、買い手の側は農作物の安定した供給先を確保しなければいけないので、その場合は待ってくれないそうです。つまり、契約を継続できなくなることが多いそうです。
 事実私が8年前に、上田の地元の農家さんに農家研修で手伝いに行った時に、同じようなきゅうりの契約出荷をやっていましたが、買い手に要求されたきゅうりの本数がどうしても足りなくなって、結局この契約出荷はその年で打ち切りとなりました。しかも、その年のきゅうりの市場価格が例年よりも良かったため(今年も同じように、きゅうりの市場価格は高めです。)、契約出荷に関わった地元のベテラン農家さんたちから文句が出てしまいました。契約出荷は、その取引価格が市場価格よりも低いと、価格は安定しているものの損をしてしまうからです。市場価格の上がり下がりに関わらず、価格が安定していることが、契約栽培や契約出荷と呼ばれるものの特徴なのですから仕方ありません。そこで、JA信州うえだとしては、地元のベテラン農家さんに期待するよりも、少しでも安定した収益で足場を固めたい新規就農者に契約出荷をすすめることにしたのだそうです。
 しかしながら、新規就農者は、何十年もきゅうりを栽培してきたベテラン農家さんたちに、その技術力においてかなう筈がありません。その技術力とは、単に要領のいいやり方やコツだけではなくて、骨の折れる苦労と努力を含んでいます。たとえば、きゅうりの場合毎日収穫作業をやりますが、それに加えてプラスアルファーの手間仕事を毎日本当はやらなければいけませんでした。農作業者の高齢化に伴い、その技術力は失われつつあります。さらに、若い世代の合理的な考え方から、その技術力はできないと決め付けられ、農業で他の産業と同じくらいお金を儲けるために切り捨てられてしまいました。やるだけ無駄だと判断されています。
 私自身も、何年か前にその手間仕事をしろとJAのきゅうりの流通担当のM氏に言われて、ムカっときたことがありました。そんなこと、きゅうり一本一本の木にやっていたら、他の作業のための時間がなくなってしまう。M氏は自分自身できゅうりを栽培していないくせに…、とその時は内心私も思いました。しかし、今ではどんなに時間がかかろうと毎日その手間仕事を私はやっています。それは、多収穫にならないまでも、安定量の収穫という結果に表れました。ヘタリを抑えて、病害虫にやられにくく、ひどい萎れや枯れを突然起こさない、元気なきゅうりの木づくりが、きゅうりの安定した収穫につながったようです。(私は、ほんの少しだけ地元のベテラン農家さんに近づいたのかもしれません。)
 話を戻しますが、契約出荷については、かつて地元のベテラン農家さんたちから見放された企画でした。それをあえて、新規就農者の仲間で請け負って、毎年いろいろ失敗はあるものの(買い手から品質についての文句が来ています。等等。)、来年の3年目の契約継続に向かっています。それに際して、5人の新規就農者に集まってもらい、来年もやる意志があるかという確認がJA信州うえだの担当者からありました。賛否いろいろ意見は出ましたが、私としては、去年(契約出荷1年目)よりマシになっているし、周りの地元の農家さんにもそう見られていることを指摘しました。各人の技術力や設備の向上が、きゅうりの生産性の向上と結びついていることは確かです。
 今、日本では、就業者の高齢化とその時代遅れのイメージから、農業だけはしたくない、そんなの人生の敗北者か『上を向いて歩けない人』の仕事ではないか、こんな低所得の仕事をしたら生活していけない、人間としてダメになってしまう、と本心では思っている人が少なくないと思います。私はそれを否定するつもりはありません。時間が無かったり、確かに大変なことも多いです。そこで、私は私なりに4つの約束を自分自身にしています。怪我をせず、病気をせず、事故を起こさず、借金をしないこと。とりあえず、この4つの約束にもとづいて毎日の生活や仕事をやっていこうと考えています。
 最後に余談ですが、契約出荷で再生コンテナにきゅうりを詰めながら考えていたことを一つ披露いたしましょう。一つの再生コンテナ(一般に農作物の梱包に使われるダンボール紙ではなくて、何度でも使えるプラスチック製)に100本きゅうりを詰めます。今年の私の分担は、このコンテナ2ケース分のきゅうりを毎日出荷することでした。ここ数日は、台風の影響の前後で天気が悪く、そのためきゅうりの取れる本数が激減しました。毎日収穫できるのは200本がギリギリで、その数を切ると誰かの助けを頼まないとなりませんでした。で、ふとある時『ギロッポン』という言葉が浮かびました。六本木ではありません。ギロッポンです。きゅうりが出荷できるギリギリの200本で、余ったきゅうりが6本でした。それで、ギロッポンだと私(わたし)的に思ったのです。チャラい合いの手はありませんでしたが、地元のベテラン農家さん(70代〜80代)から見たら、私はまだまだチャラいのかもしれません。チャラめがねをかけていると思われているかもしれません。
 でも、私はこの年に似合わずラップが好きで、会社勤めをしていた頃はM.C.ハマーに似ていると言われたことがありました。彼のように踊れるわけではありませんが、M.C.A.T.さんの音楽なんかが好きでした。ラップ的に見ると、チャラい合いの手も面白いなあ、と私は思うのですが、どんなものでしょうか?