微生物のちょっとした話

 今回は、少し予定を変更して(肺炎の話は次回以降にまわします。)、私の本業に近い話をしたいと思います。
 「こんな緊急事態時に何事だ。」とお叱りを受けるかもしれませんが、私としては行政に関わる方々の行われていることに対して、批判や意見を述べる立場にはありません。そうした行政機関に対する批判や意見は一切してきてはいませんし、これからもするつもりはありません。ただ、一般の人たち(いろんな立場の人がいるのでしょうが)が、おかしな方向へ雪崩(なだれ)打っていってしまいはしないかと、少しだけ心配をすることがあります。私だって個人ですから、いつも正解を出せるかといえば、不正解や失敗のほうが多いような気がします。でも、あまり気にしないで、さっそく話に入りたいと思います。
 先日4月5日(日)に、たまたまテレビのニュース情報番組を見ていたら、とある男子大学生が記者に屋外でインタビューされて「コロナウィルス怖れすぎ?」と答えていました。都市部に女性を探して出てきたものの、街行く女性の誰からも避けられて、がっかりして記者さんにそうこぼしていました。
 これは私の想像ですが、ウィルス学などの科学的で学問的な知識を勉強した上で「世の中はみんなコロナウィルスのことを怖れすぎている。」と考えたのであれば、それなりに価値があることではないかと思います。しかし一方、何も知らないで直感的にそう感じたのならば、ちょっと残念です。せっかく若いのに、何の専門的知識も学ばずに、そんなこと言ってしまうなんて、独りよがりな自信過剰でしかなくて、怒りを感じるよりもかえって可哀想に思えてしまいます。
 そんなこともあって、そもそも、目に見えないほど小さいウィルスって何なのか、その実感を伴わないものに対する『あなたの恐怖心』がどれだけのものなのかを、一般の人たちに気づいていただきたく思い、今回は筆をとった次第です。いろいろわからないことが多いとは思いますが、即答を求めるような問題ではないので各人でじっくり思いをめぐらして考えてみてください。
 
かぼちゃモザイクウィルスの話
 まず、過去に経験した話をしましょう。6、7年も前の話なのですが、露地(屋外の畑)でズッキーニを株と株の間を1mくらい空けて220株くらい栽培していた時の話です。実は、ズッキーニは、使ってよい農薬が少なくて(つまり、農林水産省で許認可されている農薬の種類が他の作物よりも比較的少なくて)、病害虫が出たらちょっと大変な面がありました。もっとも、私は、農林水産省に文句や不満があるわけではなく、ズッキーニという野菜だからしょうがないなと思う程度でした。実際、病害虫が出ても、大規模経営栽培ではありませんから、それほど大きな損害にはなりませんでした。
 それよりも厄介なのは、ウィルス感染対策でした。ズッキーニは、かぼちゃモザイクウィルス(ZYMVやWMVなど)にかかりやすく、そのワクチンも治療薬もありません。つまり、ウィルスに効く農薬というのものは、一つもありません。それではどうするかと申しますと、ズッキーニの葉にモザイク模様が出てきたり、成長点や花が縮(ちぢ)れてきたならば、感染を疑って、なるべく早くその株を引き抜いて、なるべくその畑から離れた場所へ廃棄します。せっかく一か月以上かけて育てたのに畑から引き抜いて、そのようにほかの健康な株と隔離するために廃棄しなくてはなりません。ズッキーニを栽培している同業者の人に聞いてみても、「ウィルスに感染した株は、回復することはないので即刻、抜かなきゃダメだ。」と語気を強めて言われてしまいました。
 かぼちゃモザイクウィルスは、空気感染はなく、また、植物が動物のように頻繁に移動しないという理由から、畑に一気に感染が広がるということはありません。屋外の畑に感染が充満することもないわけで、ウィルスの感染で農作物が全滅するということも起きていません。ただ、ウィルスは目に見えないほど小さなものですから、本当はなにもわからないという科学的根拠のない不安が、私の同業者にもあることは事実です。
 実感を伴う例として、こんなことがありました。ウィルス感染したズッキーニを取る時に触れたハサミや手で、別の健康な株のズッキーニに触ってしまうと、2、3日後には後者の株の成長点や花が縮れてしまいました。「あー、やっちゃった。」と思いました。つまり、私自身が、かぼちゃモザイクウィルスの無症状キャリアー(媒介者)になってしまったのです。それ以降、私はハサミや手に中性洗剤をつけて流水で洗うように気をつけるようになりました。
 これを読んで、笑い話のように私が書いていると思われるかもしれませんが(読んでいる皆さんは笑ってくれていいのですが)、ズッキーニをただでさえ安値で出荷せざるを得なかった私にとって、収穫できる植物の株が減ることは出荷量が減ることであって、そのことには後悔しかありませんでした。それでも、広く自然界をみると、ウィルスの無症状キャリアー(媒介者)になるのは、私のハサミや手だけではなく、大量のアブラムシやハエやチョウやアリなどの虫のみならず、ハエを食べるカエルや、畑をうろつきまわるトカゲなどもなっていることがあります。アブラムシの防除は農薬か非農薬かでできます。しかし、それ以上は、自然界を相手にしてウィルス感染対策はできないな、と当時はあきらめてしまいました。例えば、感染した株を地面から抜いた時に、無症状キャリアー(媒介者)がそこから逃げ出して、近くの健康な株に移ってしまうので、なかなか畑全体のウィルス感染を止めることができませんでした。
 もっと大切なことを言うのを忘れていました。かぼちゃモザイクウィルスに感染したズッキーニ自体は、見た目や日持ちや食味が悪くなるので、私は決して地元の農産物直売所などに出荷していません。誤って出荷した場合や、出荷後にズッキーニの見た目が悪くなった場合は、即座に引き取って土に埋めて廃棄しています。今のところ、かぼちゃモザイクウィルスが、食べた人間に害を及ぼしているという事例を聞いたことがありません。つまり、そのように私が用心しているのは、「念のため。」という個人的な理由のためだけです。その件で、一般の方々が、心配することは何もないということを付け加えておきます。

地元の土壌でEM菌が効きにくいという話
 私がまだ東京都に在住していた頃、東京都の、とある区営家庭菜園でEM菌の散布が農産物の栽培に効果を上げていました。そこで、長野県で私が就農した時に、地元の農家さんにEM菌を使ったらどうなるかを聞いてみたことがありました。ところが、あまり効果が出なかったという意外な回答が返ってきました。地元のほかの人にも、いろいろ話を聞いてみたのですが、やはりEM菌は効かないという話が大部分でした。そして、それはおそらく地元の土壌には土着菌が居座っていて、新参者のEM菌などが入ってくると排除したり効かなくしているようなのです。昔から長野県は、よそ者に冷たい土地柄と呼ばれていましたが(最近は少し変わってきましたが)、人間界のみならず微生物の世界でも『よそ者』に対しては厳しいのかもしれません。

「なんとなく、クリスタル」という話
 『なんとなる、クリスタル』という小説がかつてありました。以前、長野県知事であられた田中康夫さんの作品です。私は、その本の中身を知りません。『なんとなく、クリスタル』という小説のタイトルと、クリスタル族という社会現象があったことしか知りません。でも、このタイトルは長野県っぽいな、と私は個人的に思っています。以前私は、地元の駅から『しなの鉄道』に乗って、その車窓から明るい陽射しや、澄んだ川の水や、透き通った空気を眺めていました。それで、私の頭の中に「なんとなく、クリスタルしなの鉄道」という言葉が浮かびました。
 しかし、その言葉をよくよく考えてみると「見た目は綺麗でも、本当は・・・」ということではないかと思いました。見た目はどんなに綺麗な風景であっても、科学的に顕微鏡で観ると土着の微生物が水にも空気にもうじゃうじゃいる、というのが真実なのだと思います。人間の英知としては、見た目にだまされずに油断をしない。「あれは『なんとなく、クリスタル』なだけなのだ。」と考えることも、時には正しいと思いました。