保健所の聞き取り調査にご協力を

 最近、私の知っている土方(どかた)のオヤジさんとこんな会話をしました。
「緊急事態宣言が出ても、新規感染者数が増えるのはどうして?」
「そうさなぁ。緊急事態宣言を出した効果がまだ出ていないからに決まってらぁ。」
「緊急事態宣言が出て、新規感染者数が減ってくるのはどうして?」
「そうさなぁ。緊急事態宣言を出した効果が出てきたからに決まってらぁ。」
「それじゃあ、新規感染者数が増えるのはどうして?」
「それはなぁ、緊急事態宣言が出ていないからさぁ。」
「それならば、新規感染者数が減るのはどうして?」
「そんなのは、緊急事態宣言が続いているからにちげえねえよ。」
 さて、皆様、以上の会話を理解して、何かに気づくことができましたでしょうか。早速お答えいたしましょう。この土方のオヤジさんは、循環論法に陥(おちい)っています。つまり、自らの尻尾(しっぽ)を食べ続けている蛇のようなものです。出口も終息もない、ウィルスに例えて言えば、他の有機物や無機物と同じように、自然界あるいは人間社会の中で循環をし続けていて、その新規感染者数がいつまでたっても下げ止まっているようなものです。この土方のオヤジさんの言われる分には、社会的な影響はさほど無いと考えられます。しかし、社会の中枢となっておられる高学歴で高収入のエリートあるいはインテリの方々が、こんな循環論法で人々に教唆して、人流を制御されようとしているのであれば、我が国は大混乱となることでしょう。どうかご一考を願います。先の緊急事態宣言の話にしても、「緊急事態宣言の何がどうして、どうなって…。」という論理的かつ具体的な説明がそのつど無いと、循環論法などの机上の空論になってしまいます。現実の、新型コロナウィルスの感染もまた、個々の現場で起きているのであって、現場を軽視する者は、永遠に真相にたどり着けないと、(高学歴でも高収入でもエリートでもインテリでもない)最近の私は思っております。
 感染の疑いのある都会の方々が、私の地元へいらしたら、一体何が起こるかを説明しておきましょう。私の地元でも、日常のあらゆる場面で感染症対策がとられています。それでも、感染者が確認されることがあります。すると、各管轄地域の保健所から聞き取り調査が行われます。「あなたは、なぜ、いつ、どこで感染したのか」を聞かれます。「誰にうつされたのか」とか聞かれる場合もあります。そうしたことがわからないと、感染経路不明ということになります。しかし、これは非科学的なため、とことん追求されます。
 よく東京都の例で、「家族あるいは親戚に迷惑がかかるから」「職場に迷惑がかかるから」「飲食店などのお店に迷惑がかかるから」などの理由で、保健所の聞き取り調査に協力しない事例があると、聞きます。でも、ちょっと考えてみればわかることですが、保健所の聞き取り調査が、刑事ドラマの取り調べよろしく『犯人捜し』をしているわけではありません。あるいは、その保健所の聞き取り調査が、感染者に対して『司法取引』をしているわけでもありません。また、新型コロナウィルスの感染者は、誰かから感染させられた『被害者』なのか、それとも、誰かに感染させる『加害者』なのか、という議論があります。『被害者』だから医療機関が助けてくれるのか、『加害者』だから社会から隔離されなければならないのか、という話になるわけです。
 私は、こうした『犯人捜し』『司法取引』『被害者』『加害者』という言葉を、感染確認がされたいわゆる『感染者』が意識してはいけないと思っています。そんなことを気にしたところで、何の前進にも進展にもなりません。建設的な議論として、いわゆる『感染者』がウィルスと今後どう向き合っていくかが重要なのです。つまり、「なぜ自分は、新型コロナウィルスに感染したのか、あるいは、何がいけなかったのか。」を個々に振り返って、それを報告するのが、保健所の聞き取り調査に協力することなのです。たとえ、その報告に間違いがあっても、それを見抜くのは保健所の側の責任ですから、気にすることはありません。ただし、何らかの事情で自らにウソをつくことは、ウィルスに科学的に向き合うことができないわけですから、結局ご自身のためにはなりません。あなた自身がその事実に向き合えないために、結果として何百人に感染させてしまうことはありえる話です。
 先日、長野県の報告をテレビで観ていたのですが、少しためになる話がありました。地元の感染者に聞き取り調査を実施したところ、「マスクをしていなかった時に感染した、と思った人が少なくなかった。」という報告がありました。「だから、皆さん、『感染症予防のためには、やっぱりマスクをしていることが大切』だということが証明されたわけです。」とテレビでは伝えられていました。それを観ていた私は、こう思いました。「やはり、マスクをしていることが、吸い込むウィルス量と関係があるのだな。マスクはウィルスを100%シャットアウトするわけではないけれど、体内の抗体の量との相対的な関係で感染リスクが違ってくるのは事実らしい。」と思いました。そのようなテレビを通じての、知識のアナウンス情報が、長野県民に伝えられて、県内の各人が感染症予防ですべきことを考える助けとなっているのは明らかです。
 これだけ毎日のごとく、日本でも世界でも、新型コロナウィルスの感染拡大が伝えられていることからもわかるように、このウィルスが皆無という場所は無いと考えるのが、科学的にも正しいと思います。しかしながら、このウィルスがまん延しやすい場所と、そうではない場所があるのも事実です。それでは、このウィルスがまん延しにくい場所が安心かつ安全なのか、と私たちの誰もが考えがちですが、そうではないと思います。そうしたまん延しにくい場所では、別の制約があって、不安や心配など『居づらさ』の我慢をしなければなりません。安全と安心、および、不安と心配を天秤にかけて、私たち自身が今を納得することが、『コロナ終息を願う』ことよりも大切な『大人の考え方』なのではないのかと、私は思います。