レコードの怪

 今から30年ほど前の話になります。当時の私は、上野のアメヤ横丁にあった中古レコードショップに2、3回ほど出かけました。そこには、テレサ・テンさんが台湾時代に歌唱していた日本の歌謡曲・ポップスの中国語カバーのLPレコードとかの物珍しいものがあったり、シングルレコードのまとめ買いで、安く買えるコーナーがあったりしました。たとえば、テレサ・テンさんの歌唱の『愛的理想』は、小坂明子さんの『あなた』の中国語カバーだったりしました。
 ところで、私は、今年の年末年始は別として、その前年までは、年末年始に東京の実家に帰省していました。そのおりに、押入れの中の、中古シングルレコードばかりが入った箱を開いて、麻生よう子さんの『午前零時の鐘』のEPレコードが無いかと探します。しかし、これまで何度も探したのですが、やはりそのレコードは見つかりませんでした。どこへ行ってしまったものやら、まったく見当もつきませんでした。その代わりに、いつも中古シングルレコードの束から出てくるのが、鮎川麻弥さんの『風のノーリプライ』でした。それは、あの中古レコード屋さんでまとめ買いしたものの一枚でした。実は、私は、そのシングルレコードを一度も聴いたことがありません。歌詞が書かれた紙の表紙には、若き日の鮎川麻弥さんの写真が印刷されていて、その裏表紙には、『重戦機エルガイム』の登場人物たちのイラストが描かれていました。しかし、当時いかなる理由でそれを買ったのかは、まったく私には記憶がありませんでした。おそらく、そのアニメを毎週テレビで観ていて、その主題歌を知っていたことが、私自身の給料でそれを買った唯一の理由だったのだと思います。
 もう一つ、私は、大きな失策というか、勘違いをしてしまいました。そのお店で、中古のLPレコードを探して買った時のことです。たまたま、中古LPジャケットの裏側を何枚か見ていたら、『Z・刻をこえて(ロングバージョン)』という曲のタイトルが目に入りました。Z(ゼータ)といえば、富野監督の『起動戦士Zガンダム』です。とすると、これは『Zガンダム』の主題歌が入ったLPレコードに違いない、とそこまでは正しかったのですが、それに続く私の思い込みが良くありませんでした。きっとそのLPレコードには、森口博子さんの楽曲が入っているに違いないと勘違いして、あわててそのLPレコードを買ってしまったのです。もう少し冷静になるべきでした。自宅に帰って、落ち着いてそのジャケットの表を見たところ、鮎川麻弥さんの『MELTING POINT』というタイトルのLPであることに初めて気がつきました。私は、鮎川麻弥さんという名前と、サンライズのアニメソングを歌う人ということ以外は、何も知りませんでした。こんなことを述べては、まったく失礼なことだということはわかっていますが、そのLPレコードに森口博子さんの楽曲が入っていなかったことに気がついて、最初は少しがっかりしました。
 ところが、自宅のレコードプレーヤーにかけてそのLPレコードの音楽を聴いていくうちに、2つの意外な点に、私は気がつきました。全10曲のうちの5曲、すなわち『夢色チェイサー』『Z・刻をこえて』『イリュージョンをさがして』『風のノーリプライ』『星空のBELIEVE』はいずれも、アニメ番組のオープニングあるいはエンディング曲として、たびたび聴いていて、私はよく知っていました。したがって、なじみのあるアニメソングが集まったLPを買ったのと同じくらいお買い得だったと、私は思いました。
 それがまず、私が気づいた点でしたが、もう一つの気づいた点がありました。確か『風のノーリプライ』か『星空のBELIEVE』を聴いていた時のことです。中古品のレコードにしては、余りに音がきれいなことに、私は気がつきました。LPレコードには、もともとアナログで音が記録されています。コンパクトディスクのような、デジタルで記録された音と比べると、深みと丸みがあって、音の広がりに奥深さを感じさせました。しかも、中古品にしては、余りに音響がクリアで、音のキズがありませんでした。私は、そのことに至極(しごく)驚いて、次のような推測をしました。
 このLPレコードは、おそらく、当時のキングレコードの在庫品に違いない、と思いました。当時は、ちょうど従来のアナログ・レコードから音楽CD(コンパクトディスク)への切り替え時期に当たっていて、レコードの在庫処分品が中古レコード屋さんに流れ着いていたようなのです。その時、たまたま私自身の給料で買ったレコードが、中古のはずが新品だったことを知って、私は興奮して、ものすごく得(とく)をした気分になりました。
 実は、私の東京の実家には、今では聴くことのできない風変わりなLPレコードも少なからず残っています。たとえば、DVDビデオなどというものが無かった頃には、サウンドストーリーといって、声優さんのセリフと効果音とBGMだけを聴かせる『起動戦士ガンダム』のLPレコードなどもありました。
 今では、CDやDVDなどのデジタルデータが主流になっていて、それが当たり前の世の中になりました。さらに、ネットによるデジタルデータ配信なども、それに含まれます。CDやDVDやネットは、映像や音楽を手軽に視聴できます。つねに便利さばかりを追い求めてきた私たちは、そのようにして何らかの恩恵を日常的に受けてはいます。そのことと比べると、レコードを聴くということは(今となっては)面倒なことです。けれども、昨今の便利さや扱いやすさには、何か大事なものが抜け落ちているような感じもします。そうした抜け落ちを代償として、私たちがそのような便利さを享受しているということも、時と場合によっては思い出す必要があるのかもしれません。私もいつか再び東京の実家に帰省したおりには、改めてそうしたLPレコードやシングルレコードをレコードプレーヤーにかけて聴いてみたいものです。そのことに、何かしら新たな発見があるかもしれないと、妄想して、期待していたりもしています。