コロナ疲れと慣れについて

  最初にワタクシ事ですが、ちょっと書いておきます。私のいる地元では、4月初め頃から始まって、ここのところ軒並み、集団のイベントや会食を伴う会合が中止になってきています。でも、私としては、その通知や連絡をしてくれた幹事さんや主催者さんへは「その会合を中止することは科学的に正しい判断だと思います。」と賞賛と感謝の意をこめて返信しています。会食で、新型コロナウィルスが感染しやすいことは、かなり初期からわかっていたことです。だから、私はあえて参加しないのが正しいと思っていました。
 というのも、「ウィルスと共生していく。」という考え方を学んでいくうちに、「ウィルスって、壊れることはあっても、消滅することは無いんだな。」と知ったからなのです。ある日私は、Eテレの『こころの時代 ~宗教・人生~』という番組を観ていました。「敵対と共生のはざまで」という回で、ウィルス学者の山内一也(やまのうちかずや)さんが、インタビューに応じていらっしゃいました。その中で、「ウィルス全般について言えば、人類(ホモ・サピエンス)がわずか20万年前に地球上に現れたのと比べて、ウィルスは30億年前から地球上に現れて存在してきた生命体だったのです。だから、全然勝負にならないわけです。」と歴史的な根拠を示されていらっしゃいました。また、「新型コロナウィルスのようなウィルスが感染拡大することは、なんら不思議なことではないな。」と思われたそうです。(このような山内一也さんのお話には、他にも大切な内容が含まれていました。それらは、これからも随時このブログ記事で触れていきます。)
 ここで注意していただきたいのは、「だから、私たち人類は、感染症対策など何をしてもムダだ。」ということにはならないということです。現在の私たち人類は、「様々な対策でウィルスの増殖や活性化を止めることはできても、ウィルスの存在自体を消し去ることはできない。」ということを知らなければなりません。PCR検査は、ウィルスなどの遺伝子を調べる方法であり、ウィルスの残骸をも拾ってしまいます。また、ウィルスが人間の体内で増殖しているのか、不活性化しているのかが全くわかりません。そこのところがわからないと、大変なことになりかねません。
 そのような意味では、感染症の専門家さんたちや各地の保健所の職員の人たちは相当努力をされていて、頑張っていらっしゃると思います。そのことが世間に広く認識されていないままでは、いずれ社会的にサイエンスが冤罪(えんざい)を生んでしまうかもしれません。今はまだ、そうではないかもしれませんが、結局、サイエンス自体が社会的に悪者扱いにされてしまうことでしょう。どうにかならないものでしょうか。(外国からの断片的な報道に安易に振り回されないと良いのですが…。)
 さて、本題に入りましょう。いずれ起こるかもしれないサイエンスの危機と少し関係があるかもしれませんが、最近の人々のいわゆるコロナ疲れと慣れが気になります。テレビなどのメディアでは、それによる中だるみを防ぐことをかなり呼びかけられてはいますが、果たして、人間の体と心がそれについていけるのか気になるところです。そこで、この『コロナ疲れと慣れ』の問題を私は今、考えてみようと思ったわけです。
 コロナ疲れというものがどこから由来するのかを、まず検証してみましょう。緊急事態宣言、ステイホーム、テレワーク、雇い止め、PCR検査および感染症対策等々と、ここ1年間で私たちのまわりの状況は、目まぐるしく変わってしまいました。新しい生活様式や行動変容という慣れない言葉や状況に振り回されて、心身共に休まらない毎日に追われて、これまで無意識に蓄積していたその疲労が冬の寒さの到来で、一気に心身に現れてきたようにも思えます。風邪症状に慌てて医療機関等でPCR検査を受けたところ、陽性だと判明して、新規感染者数の増加に加担してしまう人も多くなってきました。しかし、冷静に考えてみれば、何ら驚くことはありません。それに気づかずに無症状キャリアーになってしまっていた人(もともと無症状の人、不顕性感染の人)が、かぜ症状になってPCR検査を受けたら陽性だったという場合も少なくなさそうです。寒さによることにも多い一方で、疲労をためると風邪症状になる人も少なくありません。つまり、「もう我慢できない。」とか「我慢の限界だ。」と結局思ってしまうような日常生活を送ってきた人は、コロナ疲れにさいなまれて、急な風邪症状にあわててしまうと思われます。自他共に、そのような人が少なくないと思って、ちょっとだけ注意してみたらいいと思います。
 次に、コロナ慣れについてですが、これはさらにやっかいな問題をかかえています。上のコロナ疲れと関連がありますが、ここ1年間の私たちのまわりの状況に「どうしても納得がいかない。」という考えを持ってしまう人々が世界的に多くなっているということです。着けていたマスクを人前ではずすとか、スーパーなどのお店へ行っても、そういう人を時々見かけることが多くなりました。「コロナ慣れで、気持ちがたるんできたから、もう一度、気を引き締めてほしい。」と周囲の人々は思っているかもしれませんが、当人は、もっと違う考えを持っているようなのです。私の観察によれば、その人は、これまでは周りの状況に流されて他人の意見に素直に従ってきたものの、「実感のないウィルスやその感染というものに対して、自ら何らかの対策をとることに、どうしても納得がいかない。」と、今になって考えているようです。テレビやネットなどのメディアに接しても、それに影響されずに、不信感のほうが強いように思われます。
 私は、その人が近くにいても、あえて無視することしています。ずるいかもしれませんが、そんな人に下手にちょっかいを出して危害を加えられたくはありません。私は、厚生労働省感染症予防対策に協力したいために、アベノマスクをつけてスーパーやコンビニや農産物直売所などの店に出入りしているだけであって、他に何も理由がありません。それが大人の対応だと思っているだけです。
 そのような不服を心中に持っている人がどうしたらよいか、ひそかにアドバイスいたしましょう。ここへきて納得がいかないのならば、『ウィルス学』や『分子生物学』をとことん勉強すればいいのです。外部から強制されたり、ロックダウンを期待するのは、やはり個人として半人前だと思います。心理学的に考えてみると、あらゆる強制やロックダウンは、昨今の欧米の人々の状況を長い目で見てみるとわかりますが、「納得がいかない。」と感じる人を増やすだけのようです。本人自らの納得がいってこそ、転ばぬ先の杖として、現在も将来も見えなくて感じられない本当の危機を乗り越えられると、ひそかに私は助言いたします。