『新型コロナウィルス』という言葉の諸相

 毎日のように世間を騒がせている『新型コロナウィルス』ですが、今回は言葉としてそれを分析してみましょう。用法の面からみると、最近ではそれを俗に『コロナ』とか『ウィルス』とか言われて使われています。例えば、『コロナ禍』とは「新型コロナウィルスの影響によって引き起こされる禍(わざわい)」のことです。つまり、『コロナウィルス』や『ウィルス』という言葉は、以前のそれそのものの意味としてよりも、『新型コロナウィルス』の意味で多用されるように変わってきました。
 言葉のニュアンスからみると、良くない印象が強い言葉と言えます。こうしたコメントは、今さらと批判されるかもしれませんが、その印象が日々強くなっているように思われます。どうしてそうなってしまうかが、意外と重要です。私たちの生活の中で、何か問題があったり、うまくいかないことがあると、ほとんどすべて『新型コロナウィルス』のせいにされている現状をみれば、それは明らかです。そのことによって、不快感や不安に振り回されて、それが日々ストレスとして積み重ねられています。同時に、その言葉の意味やニュアンスにも、そうした私たちのネガティブな感情が付加され続けているわけです。
 いわゆる『コロナ慣れ』とは、そうした不安な感情の裏返しです。「新型コロナウィルスなんか大したことない。」という考えや思いは、そこから生まれてきています。「現状はどうであれ、私はそう思いたい。」という感情や思いなのでしょう。
 一方、『ウィルス感染者』を悪く言う状況は依然として変わりません。それは事実です。『新型コロナウィルス』が悪いウィルスだから、それに感染する人は『悪い人』である、という庶民の理屈だと思います。皮肉なことに、感染予防対策が叫ばれれば叫ばれるほど、その傾向は強くなって、「対策を守れなくて感染した人は悪だ。」ということになってしまいました。一時、「人が悪いのじゃなくて、ウィルスが悪いのだ。人を憎むんじゃなくて、ウィルスを憎むべきだ。」という意見もありましたが、結局「アイツがコロナに感染しなかったら、こんな面倒な世の中にならなかったのに…。」ということになって、「感染者を憎む」ことが一般的な庶民の感情となって固定してしまったかのようです。
 だから、PCR検査で陰性証明された人を悪く言う人はいません。「医療機関にも迷惑をかけない優等生だ。」と世間は評価してくれることでしょう。ここのところ、寒さがゆるんで、季節はずれの暖かさが続いています。体調も気分もいい、今こそ『移動』のチャンスだと考えたことでしょう。GoToキャンペーンを利用した旅行もいいでしょう。そして、もう一つのチャンスがありました。体調も気分もいい時に、PCR検査を受けておくという選択です。おそらく体調も気分もいい時は、検査陽性は出ないだろうという思い込みが庶民感情としてあるのだと思います。(感染して無症状だった人は、みんなそう思っているものです。ウィルスやPCR検査を甘く見ないことをお勧めいたします。)
 『コロナ』と『ウィルス』と『感染』の3つの言葉は、現在のところワースト3ワードと言えます。しかし、それらの言葉を悪玉としてしか見ていない世間の風潮には、危険なものを感じます。言葉は言葉として、現状や現場から目を背けずに、かつ、慎重であることが必要です。そのためには、決して焦ってはいけないと思います。冷静に世間の状況を分析し見守っていけるかが、多くの人々の課題と言えましょう。