過去の感染症が伝える3つの教訓

 今回の私のブログ記事は、私が過去に知りえた感染症に関する知識や情報を、以下の3つの主題にまとめて述べることとしました。もちろんそれは、完全なものではありません。風疹などの他の感染症にかかった経験が私にはありませんから、私がこれから話すことが感染症のすべてではないことは確かです。ただ、私が感染症に対してそんなに無知ではないということは、わかっていただけると思います。そして、それは学者さんが研究室の机上で間接的に理解している知識のようなものではなく、何らかの生活上の実体験に基づいている知識や情報であることに気づかれると思います。そこで、そのことに注意して読んでいただきたいと思います。


 はしかの軽い症状が招いた突然死

 私は、小学二年生の春の頃に学校で『はしか』がまん延して、感染発症しました。当時はしかのワクチンはあったものの、副反応というか接種後の後遺症に問題があって、誰もはしかのワクチン接種をしていませんでした。つまり、当時はしかは、ワクチンも治療薬もない感染症の一つでした。心身を安静にして、自然治癒に頼るしかなかったのです。子供の場合はほとんどが軽症で済むと、当時は言われていました。当然、大人になってからのはしかの感染発症は重症化しやすく、命に係わることが多いと聞いていました。社会がそんな現状ではいけない、ということになって、私の年代の次の子供の年代からは、はしかとおたふく風邪水ぼうそうの混合ワクチンの接種が行われたとも聞いています。
 今回は、私のはしかの感染発症の体験談ではなくて、私の母から聞いた話を書いてみたいと思います。私の母が子供の頃に住んでいた実家は、長野県松代町荒神様の近くにありました。当然私の母は、子供の頃にはしかを経験して、治りました。その母の子供時代には、4人の兄がいたそうです。そのうちの、1番目から3番目の兄が少年時代に同時にはしかにかかって床に伏すこととなりました。1番目と3番目の兄が、連日高熱を出して苦しんでいました。しかし、2番目の兄は、見た目はそれほど異変がなくて、普段と変わらぬ意識と言動があったそうです。はたからは、彼のはしかの症状が一番軽く見えたそうです。ところが、それから4、5日後に、そんな彼の容体が急変して、いきなり帰らぬ人となりました。一方、1番目と3番目の兄は無事で、二人とも80代を過ぎてまで生きていらしたことは、私もよく知っている事実でした。
 なぜ、その2番目の兄がはしかで少年時代に亡くなったのかは、その原因を今となっては知るすべもありません。だから、この話は、これで終わりです。ただし、いかなる感染症であっても、軽症だからといって軽くみていると、本人の知らないうちに肺などの体の大事な部位が致命傷を受けて、取り返しもつかなく重症化して死に至るということが、事実だと言えます。これも、人知によって簡単には覆(くつがえ)せない、自然の法則の一つだと言ってよいのかもしれません。


 おたふく風邪無症状の怪

 今度は、私のおたふく風邪感染の話です。私が小学二年生か三年生の冬に、おたふく風邪が学校でまん延しました。3歳下の私の妹が、おたふく風邪に感染発症して、床に伏しました。私と、その、さらに3歳年下の弟は、妹の部屋の隅を通って、その隣りに接した自分たちの勉強部屋に出入りしていました。そのうち、私の弟がおたふく風邪に感染発症して、床に伏すことになりました。私は、その弟が寝ているすぐ横で布団を敷いて寝ていました。にもかかわらず、私はおたふく風邪にかかりませんでした。本当に不思議なことに、耳の下が腫れたり、それで高熱を出したりしたことがありませんでした。しかも、それから半世紀近くの月日が経ちますが、一度もおたふく風邪を発症したことが私にはありません。感染力の高い、はしかのまん延の時は、私→妹→弟の順番で感染発症していただけに、私だけがおたふく風邪をそんな状況で発症しなかったというのは、誠に不思議なことでした。
 そこで、私は、次のような推測をしてみました。もしもあの頃に、おたふく風邪のPCR検査をやっていたら、おそらく陽性が確認されていたはずです。つまり、当時の私は、おたふく風邪の無症状感染者であった可能性が高いのです。では、なぜ、おたふく風邪の発症に至らなかったのか、ということをさらに考えました。
 あの頃の幼い私は、年末に学校が冬休みに入ると必ず扁桃腺が腫(は)れて、38度から39度の高熱を出して、近所の小児科のお医者さんに連れていかれました。そして、熱が下がらないというので、必ずお尻に解熱剤の筋肉注射を打たれていました。不思議なことに、お正月の三が日には、扁桃腺の腫れがひいて、熱も平温に下がっていました。毎年年末になると、そういうことの繰り返しでした。そのため、2月か3月ごろにおたふく風邪に感染していても、いつの間にかある程度の抗体ができていて、発症までには至らなかったのかもしれません。このことに関しては、それほど科学的な根拠が得られていません。けれども、多分そのようなことが影響していたんじゃないかと、私は推測しています。


 水ぼうそうの後遺症、および後遺症に関する異論

 私は、小学四年生の頃に、水ぼうそうを感染発症しました。私と一緒に住んでいた家族は、誰も発症する者はなく、妹も弟も無事でした。私の体のあちこちに小豆(あずき)の大きさくらいの水泡(すいほう)ができて、何もしないのに、かゆくなりました。それを手の爪などでかいたりすると、痛みが出て跡がいつまでも残ると内科のお医者さんから言われました。じくじくしたそれを乾燥させるために、白い塗り薬(軟膏)をお医者さんから処方されました。また、39度の高熱があるということで、解熱剤の太い静脈注射を左腕の関節内側あたりに2本も打たれました。絶対安静を旨として1か月近く自宅療養した末に、やっと学校に復帰できました。しかし、体のあちこちに発症してできた水泡は、なるべく薬を塗布して、かゆみを我慢していたにもかかわらず、茶色く濁った色に皮膚がくすんで、当時はその半分以上が跡として残りました。実は、そのことが、この感染症から受けた私の後遺症となりました。体の30箇所くらいに残ったその跡は、その後10年経っても消えませんでした。
 それは長い間、私にとっての大きなコンプレックスとなっていました。同級生や同僚などと、温泉の入浴や海水浴などを共にすることができず、その誘いを全部断わっていました。そういう機会があると、体に残った病気の跡を他人に見られることが苦痛になって、人付き合いがますます悪くなって、集団の中でも孤立しがちでした。実は、30代の頃には、そうした皮膚の後遺症は、物理的にはほとんど消えていました。しかし、他人に自身の裸をさらすことが普通にできなくなっていました。そのような精神的な後遺症がいつまでも残っていて、女性に対しても裸を見られたくなくて、風俗店などに行くことができませんでした。そのために、若い頃の私は、男からも女からも偏屈な人間として警戒されるようになってしまいました。もしも、皮膚のあちこちに水ぼうそうの後遺症の跡が残らなかったならば、若い私の人生はまったく違うものとなっていたかもしれません。その後の、現在に至る私の社会的境遇もまったく違っていたはずです。
 しかしながら、何でもかんでも後遺症を感染症のせいにすることは、余りにも都合がよすぎます。ここからは、「新型コロナウィルス感染症が特別な後遺症を引き起こす。」と言われている現代の常識に対して、私の異論を申し上げたいと思います。人間に完璧な人間などいるわけがないのに、そしてまた、若い時から完全に健康な人間などいるわけがないのに、私たち一人一人は、どうしてもその理想を当たり前であるかのように考えてしまいます。本当のことを申しますと、感染症が後遺症を生み出すのではなくて、感染症が他の病気やその症状を併発させるスイッチとなるのです。各人に、ほとんど自覚症状もなく潜伏していた病因が、感染症をきっかけにして表面に現れてくる、というのがイメージとして妥当なのかもしれません。本質的に考えてみれば、そういうものだということがわかります。基礎疾患にしても、多くの誰もが年老いて体が衰えてから、体にその自覚症状が出てくるものです。近年、生活習慣病が注視されているのは、お医者さんの診療報酬を増やしたいからではなさそうです。人間は、何の原因もなしに、いきなり病気や疾患にかかるものではないからです。
 たとえば、新型コロナウィルス感染の症状の一つで日本人に現れやすいとされている嗅覚・味覚障害ですが、(少々暴論かもしれませんが)その一つの原因として「日本人は、鼻疾患の傾向がある人がもともと多い(つまり、鼻が若干悪い傾向の人が少なくない)。」という事情があると思います。花粉症などの鼻アレルギーなども、もしかしたならば(定かではないものの)多少関連があるのかもしれません。言わば「欧米人は、血栓ができやすい人がもともと多い。」という事情と同等のことだと思います。
 例えば、私の母は、若い頃に蓄膿症を放置していたために、鼻の粘膜がなくなりました。それで嗅覚がないわけで、そうなると、味覚もないそうです。私は、子供の頃からまずい料理ばかり母から食べさせられていましたが、我慢して食べていました。たまたまそんな母親から、料理の味見を頼まれて、母に味覚がないことを知りました。そのことから「嗅覚がダメになると、味覚もダメになる。」ということを知り、私なりに納得しました。実は、私も子供の頃に母親からの遺伝で副鼻腔炎になって、耳鼻科医院で外科手術を受けました。幸いなことに、私は、その外科手術のおかげで、副鼻腔炎の悪化による蓄膿症にはならなかったので、嗅覚も味覚も障害を持ちませんでした。けれども、鼻の奥の左右の仕切りには曲りがあると、耳鼻科医さんから聞いたことがあります。「こうした鼻腔の、左右の仕切りの曲りを矯正することは、できれば治療として必要だけれども、誰でも多少はそうした曲りがあるものだよ。」と私は言われました。
 私の鼻疾患についての個別の話になってしまいましたが、円形脱毛症などについても、似たような状況にあると考えられます。もともと、そうした体の弱い箇所が、若い人の場合でも通常は潜在化していた(つまり、自覚されていなかった)ことが考えられます。感染症による強い体調不良をきっかけとして、それが顕在化してしまうとも言えます。一見、感染症自体がそうした症状を引きおこすようにも見えますが、本当は、これまで隠れていた各人の体の弱い箇所が、その病状や症状を現わすべくして現わしただけにすぎないのかもしれません。それが、私が一つの仮説として考えている、昨今の後遺症のメカニズムです。そして、これが、長期間、水ぼうそうの後遺症に悩まされてきた、現在の私の異論です。