地元で知った投票の理由

 これは、あくまでも個人的な感想あるいは私見です。けれども、これが実情なのかなと思わせる節があるため述べさせていただきます。先日、私は地元の公民館へ参院議員補欠選挙の投票に行ってきました。午前11時ごろ、ふと今日が投票日だと思い出して、軽トラでいつもの投票所へ行ってみました。実際に行ってみて、まず驚いたのは、建物の外では人の気配がなくて閑散としていたことです。新型コロナウィルス感染拡大の影響かな、と思いました。(後の長野県選挙委員会の発表によっても、前回よりも少し投票率が減ったと伝えられています。)
 ともかく、その公民館の屋内に入ってみたところ、係の人たちが感染症対策をした上で作業をされていました。私もその手続きに従って、候補者を記入した紙を投票箱にいつものように入れて、立会人の人たちの前を通って退室しました。その間に、ほかの人たちが続々と入室している気配がしました。ちょうど午前11時を少し過ぎた頃だったので、私のようにふと今日の投票日に気づいた人たちが多かったのかな、と思いました。でも、公民館の外に出ると、人の気配はほとんどなくて、その公民館の敷地から軽トラで出ていく時に、2、3台の車とすれ違った程度でした。
 私が今回の補欠選挙で思ったことは、テレビやネットなどで報じられていることと少し違います。今回は、与党か野党かはそれほど重要でなかったように思われます。私の地元では、与党・野党・その他推薦の3人が立候補していました。テレビで、ビデオ動画みたいな政見放送を拝見いたしました。3者3様の特徴ある動画制作でした。誰の主張に賛成あるいは反対ということにはなりませんでしたが、3者それぞれの主張はそれぞれの動画のイメージから読み取れました。だから、投票率を上げるためにも、そのような政見放送は、これからもありかなと思いました。
 ところで、私は、20代と30代の頃は、東京都民でした。今だから申しますが、私は、青島さんや石原さんに東京都知事選で1票も入れていません。今でこそ、テレビのコメンテーターさんが同じようなことをおっしゃってくださっていますが、「組織の支配力や人望よりも、科学的根拠に基づく政治判断があってもいいかな。」くらいに当時の若い私は思っていて、ドクター中松さんに2度ほど投票していました。いずれも、世の中の流れに逆らえずに落選してしまいましたが、私のそのような判断は、今でも間違っていなかったと思います。
 つまり、その投票が間違っていたか否か、その候補者が当選したか落選したかという結果よりも、大事なことがあることがわかります。選挙などにおいて、人がそれぞれの判断で表明をするということ自体には、それなりに意義があるのだな、ということです。その逆に、選挙で投票しないということは、誰にも決められないという意思の表明にはなります。それはそれなりに、意味はあるかもしれません。もちろん、そうなのかもしれません。しかし、それは、少し見方を変えると、一人では何も決められない、意思決定も判断もできないと自ら表明している(自動的に他人からそのように見られてしまっている)にすぎません。そんなふうに考えてみると、将来、国民投票があったとしても、結局何も変革されずに、何も意思決定できないという人が多くなるだけなのかもしれません。
 現に、私は、石原東京都知事の当選には、直接1票も関与していません。しかし、その結果は、私自身にとって何かのマイナスになったのか、というとそうではありません。事実、そうではありませんでした。石原東京都知事の時に制定された、トラックやバスなどのディーゼルエンジン排ガス規制の条例によって、30代の頃の私は、その塵灰による鼻アレルギーの被害から救われました。私には、そういう過去の経験があるため、その時の投票の判断や結果が、私自身の生活の良し悪しを決定づけるとは思っていません。むしろ、私自身の社会に対する『意識のずれ』を修正することに役立ちました。
 東京都民の頃の私の体験談は、ここまでにしておきましょう。そんな東京都民だった私は、40代すぎになって現在の地元に移住してきました。するとまもなく国政選挙がありました。それで、驚くべきことを知ることとなりました。この地元の佐久上田地区は、羽田孜さんの衆院議員の当選が圧倒的だったのです。羽田孜さんといえば、総理大臣に就任したものの、当時の政局や政党の事情によって、すぐに総理大臣を辞さなければなりませんでした。そういうことがあって、その不遇に対する地元の多くの人々が同情票を毎回入れているのかな、と私は感じていました。長野県と隣接するN県やG県の国会議員さんは、地元の産業を潤す強烈な政治的援助を為されていたように思われます。しかし一方、羽田孜さんはそれほど地元に『我田引水』をされてきたようには、私は聞いていません。しかしながら、地元の彼に対する衆院議員としての期待というのものは選挙のごとに現れているようでした。また、長男の羽田雄一郎さんへの参院議員としての毎回の期待も、同様だったと言えます。
 今回の国会議員の補欠選挙では、広島の地域で『金と政治』の問題から、投票率が30%台ということが起こりました。政治的不信から、有権者の3人に1人くらいしか選挙に行かなかった、という話のようです。広島の有権者の多くが、自戒の念もあって投票に行かなかったのではないかと、私はつい勘ぐってしまいました。しかしながら、選挙というものは、その危険性を否定するわけではありませんが、有権者の意識や心がけ次第で、本来そういうものではないはずです。そんなことでは、『ガリバー旅行記』を執筆して、当時のイギリス政界を風刺し批判したジョナサン・スイフトと同じように、いつまでも悲観的に社会と向き合っていかなくてはならなくなります。政治の目的が、お金や利権などの何か則物的に利益をもたらすものにあると有権者が考えるのは、悲しいことだと思います。広島の有権者の方々が、いつしかそのトラウマから脱け出していることを、私としては切に願いたいと思います。
 それでは、私の地元の長野県の場合に、話を戻しましょう。今回、参院議員の羽田雄一郎さんが新型コロナウィルス感染症で急死されたことにより、補欠選挙が行われました。これは私だけの意見かもしれませんが、国会議員の職務に忠実に励んでいただいていたゆえに、彼は自らのことがおろそかになってしまったと思います。感染症は、連日の高熱が下がった後の体のダメージが一番怖いのです。熱が下がっても、体が病原体に負けてしまっている場合があるからです。病状が回復したとしても、そこで外に出歩かないで、寝床で安静にして、体調の回復の様子をみることが必要でした。そうした余裕は、現代に働く私たちには無いかもしれません。けれども、あえてそうすることで、体のダメージを少なくして、後遺症も少なくすることができます。
 しかし、だからといって、彼を責めるわけにはいかなかったと思います。彼は、自らを省(かえり)みるのを忘れてしまいました。それほど、国会議員の職務に専心していたので殉職されたのだと、地元の多くの人たちには感じられたのだと思います。地元の人たちは、いわゆるお金や利権などの具体的な形で、彼からは何かを受け取ってはいないと思います。つまり、物的な何の見返りも求めていない、と思います。それよりも、彼が国会議員の一人として国政に参加してくれていたこと、それだけのことで、地元の多くの人々にとっては誇りであり精神的な宝なのだと思います。今回の補欠選挙の結果として、弟の羽田次郎さんが当選を果たしました。これも、現象的には地元の人々の同情票だと、とれなくもありません。けれども、地元の人々の誇りとか精神的な宝といった『気持ち』は、決して消えていないと思います。結局それは、それだけで立派な、選挙で投票をする理由となりえる、と私は知りました。