私の出口戦略について

 これは、新型コロナウィルスの話ではありません。キュウリの話です。7月の中ごろ、私が県の管理機構を通じて借りている畑の、キュウリに、集団的な着花と結実によってクラスターが発生しました。収穫・選果・箱詰・出荷の一連の作業をためらっていると、売れないほど大きく長いキュウリが沢山できてしまうので、私は危機感をあらわにしました。誰ともその危機感を共有することはできませんでした。そこで、私は、一人で一日中、その畑にいて、キュウリを取り続けました。そして、徹夜が続きました。予定では、一週間で鎮圧(ちんあつ)するはずでした。しかし、JAに出荷するきゅうりの箱数(つまり、1箱につき4、50本のキュウリの本数)はいっこうに減りません。やっと、その2週間近くたった7月末の最近になって、キュウリの生(な)る勢いが衰えてきました。それで私はほっとしましたが、年甲斐(としがい)もない連日の徹夜に副反応が出て、今朝は、右側の首と肩が痛くてしかたがありません。その一瞬の休養がてらに、このブログ記事を書いている始末です。
 なにせ、一人で仕事と生活をしているため、事故などに遭遇しなかったのが、今考えてみても一番でした。忙しい時は、何が起こるかわからないので、さらなる注意を怠らぬように気をつけます。この私の本業については、今年はまだまだ打つ手があるので、今の時点で仕事が完結してしまわぬように、まだまだ気を緩めずに作業を続ける必要があります。
 それはともかく、地元の自治体から、ワクチン接種の意向調査があって、その意向を返信用封書で送ったところ、8月上旬の某日に、近くの公民館で第1回目のワクチン接種の予定となりました。予診票などは、定期健康診断でも書いているので、それほど慌てることはありません。私個人としては、楽しみにしています。私は、子供の頃に『はしか』や『水ぼうそう』に空気感染しているので、集団免疫なぞというものは信用していません。やはり、新型コロナウィルスの感染リスクと重症化リスクは、吸い込むウィルス量との相対的関係にある、体内の抗体の量に左右されていると考えられています。2回接種によるブースター効果の根拠もそこにあると思います。世界から誰かがデータを上げてくるのを待っているのではなくて、日本の科学者や専門家の方々は、ウソでもいいからそのことを日本国民(の命を守るため)に強くアピールすべきだと思います。
 私は、接種後に肩が痛くなろうと、血が出ようと、発熱しようと、それが結局体内の抗体の量を増やすのであれば、十分メリットがあると考えています。すなわち、副反応と一般的に言われていることは、その内容をチェックしてみると、風評の疑いが強いと言えましょう。日本の若い人たちもまた、ワクチンに関する風評あるいは悪評に左右されがちのように見受けられます。
 私は、日本の若い人たちには、ウィルス学や分子生物学感染症学や免疫学などに、もっと興味を持って勉強してほしいと思っています。今回のコロナ禍の社会的問題を重く見て、文部科学省は、義務教育のカリキュラムの中で、保健体育の授業で感染症などをちょろっと教えるのではなくて、時間と労力を使って徹底的に教えるべきだと思います。それが、将来的に20代の感染者数を減らすことになるのです。つまり、これは国家的なプロジェクトになりうると私は思います。
 10代を中心とする子供たちは、「一日も早いコロナ禍の終息を願っている。」という祈願的な意見をテレビなどで述べています。私はそれを目にするたびに、「そんな神頼み的に願うことよりも、現状の問題を科学的・論理的に考えろよ。」と、ついテレビに向かって叫んでしまいます。21世紀を生きている子供たちが、そんなふうな感情でいてそれを不思議に思わないのは、多分に大人たちの責任です。ぜひ大人を自称する方々は、ご検討ください。