風邪のごとく去りぬ

 ふざけたタイトルで申しわけありませんが、そういえば、先週の月曜日か火曜日あたりの朝、目が覚めるてすぐに、のどの痛みを感じました。ちょうど扁桃腺あたりだったので、そのまま痛みが広がって高熱が出るのじゃないかと予想していました。その日から2、3日間は、家で大人しくしていることに決めました。そののどの痛みは刺すような痛みで、のどの中も乾いて普通でなかったのです。にもかかわらず、のどあめを2、3時間なめていたらば、その痛みがなくなってしまいました。せきも時たま出ていたのですが、さらに2、3日長く布団の中で休養していくうちに収まってしまいました。結局今回もまた、発熱するまでには至りませんでした。
 その間に、私はこんなことを考えてみました。昨年8月にワクチン接種をしてから、5ヶ月くらい経ちますが、たとえ抗体量なるものが当初と比べて減少しているとしても、吸い込んだウィルス株が少なければ十分克服できるのではないか、と。むしろウィルス株の伝播を受け入れるほうが、体内の各種免疫機能が活性化して、抗体量なるものの減少があっても、免疫力の全体量は増えるのかもしれない。それをトレーニングと呼ぶとするならば、ワクチン接種と同類のトレーニングじゃないか、と。せっかく2回のワクチン接種をしているのだから、ウィルス株と実際に出会ってさらなるトレーニングを積まないと損なのだ。すなわち、そう考えてもよいと思いました。
 ただし、そのような場合にも、積極的に丸腰になって立ち向かうのは危険ですし、そこまでの必要はありません。たとえばマスクの装着にしても、ウィルス株の遮断を目指すことには無理があります。吸い込むウィルス量を、マスク未装着の場合よりも軽減させることを意図するのが正しいのです。(相変わらず精密な計測データ値が得られない上での話ではありますが)少ないウィルス量に抗体量が上回っていれば、感染症で重症化して亡くなることは、まず無いと考えられます。
 これもまた、あくまでも私の考えた仮説ですが、新型コロナウィルスのオミクロン株が、肺臓に達しにくく、ほとんどが上気道までで止まってしまう原因は、人間の様々な免疫機能がより効果的に働いているからだと考えられます。自然免疫や獲得免疫のみならず、たとえば粘膜や胃液などの物理的・化学的防御が、以前のウィルス株の伝播の時よりも有効に働きつつあると言えます。
 とすれば、現在のPCR検査や抗原検査でテストする意義や意味づけも少しずつ変化してくるはずです。それらの意義や意味づけを従来どおりのままにしておくことは、人々の意識や社会生活を無用に圧迫していくことにつながります。これまでの感染症予防対策を継続しつつも、そこは考えておきたいところです。
 あるいは、それとは別の考えも当然あると思います。すなわち、未知の感染症の流行に備えた、より完璧に近い感染防止対策を練っておく、ということです。そのためのシミュレーションを社会的に今やっておく、ということです。それも、これまでの感染症予防対策を継続しつつも、考えておきたいことだと思います。
 最近私の住んでいる長野県でも、新型コロナウィルスの新規感染者数が増えています。過去の新規感染者数の連日の更新が見られて、急激な感染・流行が見られています。しかし、従来の意識や感覚では、当てはまらない状況もあることは事実として明らかなので、私としても冷静に新たな状況を見守っていこうと思っております。