『もしかして食べているかも』疑惑

 今回も、すべてデマや妄想じゃないかと疑ってもらってかまいません。そのことを前提にして書き進めましょう。
 この記事のタイトルからして、きっと栄養がある食品の話だとか、体に抵抗力が付くような、免疫力がアップするような食品を見つけたとか、という話の流れになるように思われるかもしれませんが、実はそうではありません。
 「そもそも、私たち人間は、ほかの動植物の死骸を食べて命をつないできた。」とする見方があります。昔私は、とある本の裏表紙にそんな一文を見つけたことがありました。本当のことを言うと、人間だけでなく、地球上の生物一般にそうだと言うことができます。
 そのようなことは、文学的には、宮沢賢治さんの『よだかの星』という作品中で、彼の仏教思想として語られています。そしてまた、一般的には、人間(ヒト)が誰しも、ほかの動植物の命をいただいてこの世に生き続けていられるのだと、仏教の説教などでもよく聞かされます。(ただし、私は宗教家ではありません。そんなこと言ったって、それを日常でいちいち気にする必要は勿論ありません。)
 そうとは言っても、毒物や毒素を含む動植物を食べるわけにはいきません。カビの生えたお餅を食べても、中毒を起こすばかりです。それどころか、人間誰しも命を落としかねません。病原菌で毒素を持つものが胃腸に入ると、命が危険にさらされることも少なくありません。
 そこで考えられることは、現在世界中で騒がれている新型肺炎コロナウィルスですが、その議論においてすっきりしない点がいくつかあるように思えます。最近では、『新型コロナウィルス』とか『コロナウィルス』とか言葉を略して多く使われています。英語でも、"CoronaVirus"というような単語で目にするわけですが、どうも気になることがあります。『新型肺炎コロナウィルス』とフルネームで呼ぶことは、この言葉を多用する場合にとても面倒で、ほとんどの場合、略して呼んでいます。すると、『新型肺炎』という言葉の意味内容よりも、『新型ウィルス』という言葉の意味内容で伝わることが多くなります。そして、いつしか「肺炎をひき起こす新型のコロナウィルス」という言葉が『感染者数』『死亡者数』『感染拡大』などの言葉とくっついて、「新型コロナウィルスは怖い。」という情報につながってきます。
 しかし、ここで立ち止まって考えてみましょう。『肺炎』という言葉は、どこへ行ってしまったのでしょうか。本当に怖いのは、『新型肺炎』なのでしょうか。それとも、『新型ウィルス』なのでしょうか。勿論、どっちとも怖いというのが一般的な今の常識でしょう。けれども、一般的に、直接の死因となるのは、『肺炎』なのでしょうか。それとも、『ウィルス』なのでしょうか。
 こうした問題を考える上で一番に考えることは、この『新型コロナウィルス』そのものの持つ『毒性』がどれくらいあるかという点です。実は、インターネット上ではこの『毒性』の有無やその度合いについての情報が様々に出ています。しかしながら、現時点では、まだ確たる研究結果は出ていません。
 私が必要としているのは、この新型ウィルスの『化学的毒性』の有無についての情報です。つまり、現在知られている毒物や毒素、あるいは、劇物のような危険な化学的物質がこの新型ウィルスにあるのかどうかという点です。実は、それも一般的にどうなのかはわかっていません。
 確かに、このウィルスが肺の中に入ると炎症を起こすであろうことは周知のことです。しかし、それで呼吸困難になるのは、このウィルスに何らかの毒性のある物質が含まれているからだ、というような情報は今のところ伝わってきてはいません。今のところ、このウィルスが呼吸困難を引き起こすであろうところのメカニズムは、私がテレビのニュース番組で観たかぎりでは、それとは別のものでした。
 仮に、このウィルスが毒物や毒素などの化学物質的な毒性を持っていないとしましょう。(かなり乱暴な議論ですが)となると、このウィルスは(正確には、ウィルスの死骸ですが)人間が食べられるということになります。現時点では、本当に毒性があったならば人命が危うくなるので、断言してはならないことです。しかし、可能性としては全くあり得ないことではなく、今後の確たる研究成果を待ちたいところです。もしもそれが人間に食べられるものであったとしたならば、世の中の状況は変わってくるかもしれません。
 この問題は、そもそも、人間が野生動物を食べたことからこのウィルスが変異して感染したことから始まったとされています。だから、そこに誰も触れたがらない。しかし、同時にそこに問題解決のカギが潜んでいる可能性もあると言えましょう。
 そして、それよりも実際に厄介なのは、『新型肺炎』の問題です。これについては、次回のブログ記事で考えてみたいと思っています。