私の本業 労働ではなくて活動

 俳優の大鶴義丹さんが、かつて自伝を紹介するNHKテレビの番組でこんなふうなことをおっしゃっていました。「俺は、生まれてこのかた労働というものをしたことが無いなあ。活動はしてきたけど。」俳優や監督などの仕事は、『労働』ではなくて『活動』なのだ、ということです。労働は、一日の決められた時間内に、決められた作業をやって、決められた日数の範囲で働けば、決められた給料(お金)をもらえる仕事のことです。一方、活動は、何らかのものを作って、形にするまでが仕事です。そのためには、決まりきった人並みの努力だけではできないものもあるでしょうし、逆に予想以上のものができてしまうこともあるでしょう。よく言われることですが、芸能人の仕事は『芸能活動』と言います。芸能人は、サラリーマンや工場労働者のように働いているのではないと、この言葉からわかります。映画やドラマの撮影で、監督からOKが出るまで、やり直しのために家に帰ることができないこともあるわけです。
 ところで、農業はどうでしょうか。かつて、左翼運動や労働運動が盛んであったころに、農業労働者は工業労働者と同等に見られていました。さらに、戦前の日本の小作人のイメージや、ソ連になる前の19世紀ロシアの農奴のイメージや、現代のブラジルの大規模農業経営で働かされている人たちのイメージなどから、農業はお金持ちの大地主に労働力を搾取される貧しい人たちの仕事であるというイメージが出来上がっていました。つまり、農業は、体にきつい低賃金労働であり、今でもそうなのです。現在の、工場への派遣労働者がいるように、農地に派遣される労働者がいることがその証拠と言えます。
 確かに、人海戦術でやれば、大規模に農業経営ができて、これほど経営者(兼、大地主)にとって楽なビジネスは無いかもしれません。アメリカ映画『エデンの東』のジェームズ・ディーンの役を見ても、アイデアをちょっと出すだけで農場経営者がつとまるのなら、こんな美味しいことは他にないかもしれません。私は、ジェームズ・ディーンが包丁を持ってレタスを切るシーンを見たかったのです。実際には、そういうシーンはこの映画にはありませんでした。大豆の相場で一山当てた彼が、大豆畑で一人踊って跳ねまわっていただけでした。
 それに、大規模経営で大量に作物を生産しても、その売り先が大口で確保されていなければ何にもなりません。日本の農作物の場合は、全国各地の青果市場とJA(全農と支部)があるからまだ何とかなりますが、それらの受け皿機能を超える供給量の大規模経営は、自由貿易で外国に売るしか手はありません。そうしないと国内市場で農作物の価格の大暴落を起こして、さすがに大規模経営でも採算がとれなくなってしまうことでしょう。
 ですから、私の場合、歳も歳ですし、農業の大規模経営は目指しません。体力的に無理をして、早死にするだけです。実際に親戚にそういう例があったことを私は知っています。でも、農業は所得をもっと高くするべきであり、そのチャンスがあることは、こんな私でも認めています。それは、若い頃から農業に従事してきた高齢者たちの長年の夢でもあり、彼らから私は何度も言って聞かされています。
 それに従うならば、農業はただの労働であってはならない、ということになります。かつてのサラリーマンや工場労働者のように、人並みに定時間内に出勤して退社して決められたことだけをやるロボットのような労働の仕方では、もはや現代の農業はやっていけない、ということなのです。
 例えば、日が昇ると仕事を始めて日が沈むと同時に仕事をやめるのが、従来の昔ながらの農業でした。ところが、私が農家研修に行った長野県長野市の農家さんは、昼間の作業とは別に、夜になると小さいビニールハウスの中にはだか電球をつけて、夜なべをしてきゅうりの苗の接木作業をしていました。研修中の私は、その時に従来の農家のイメージと違うことに気づいてあたふたしてしまいました。
 また、もうひとつ別の例を挙げましょう。今年は、地元の露地きゅうりの収穫と出荷が例年よりも早く終わってしまいました。その原因は、露地きゅうりが雨にやられて葉っぱに病気が蔓延して、きゅうりの木が長期間もたなかったからでした。ところが、日中は晴れたり曇ったりで、雨の日は少なかったのです。そこに盲点がありました。露地きゅうりをやっている農家さんは早寝早起きの人が多かったため、連日夜中だけ雨が降っていたことに、ほとんどの人が気づきませんでした。露地きゅうりの場合、雨が降った後は、きゅうりの木や葉っぱを必ず消毒しなければなりません。雨が降ったことを知らなかった、という何度も何度もその積み重ねで、きゅうりの木と葉っぱは病気で弱っていきました。その結果、露地きゅうりの今年の収穫量が減ってしまい、十分な収益が得られませんでした。夜中に起きて、雨が降ったことを少しでも知っていれば、まだマシな結果になっていたことでしょう。
 そしてまた、レタスで有名な長野県川上村の例を挙げてみましょう。広大な高原でレタスを収穫するために、川上村の農家さんは午前0時に起床して(その分、すごく早く寝るのでしょうが)、頭に懐中電灯をくくりつけて日の出前にできるだけ多くのレタスを包丁で切りに行きます。並みのサラリーマンじゃとても真似できないことです。アメリカ製の100馬力の大型トラクターをいくつも所有しているとはいえ、レタスの収穫は人の手でやらなければいけません。なお、この話は、私の新規就農者仲間では伝説化している話です。決して私の作り話ではありません。
 このように、農業には、工夫と努力が必要であり、実際に従事していない人にとっては思いもよらないことが多いのです。頑張ったわりに低所得だったという結果だけを見て、日本の農業は遅れているとか魅力がないとか思うのは、本当にバランスの良いオツム(頭)と言えるのでしょうか。地元のきのこ農家さん(彼はまだ私よりも若い三十代なのですが)、農業に魅力がないから若い人が担い手になってくれないんだ、と言います。私は面と向かって言うと喧嘩になるので言いませんでしたが、本当はこう言いたかったのです。「何もわかっていない人ほど、『若い人』とか『担い手』とか言いたくなるんだよ。」
 つまり、農業は、ぺーぺーの若い人が担い手になれば解決するような単純な労働でも産業でもないのです。できれば全世代が現場で寄ってたかって取り組まなければならない大きな課題である、と私は思っています。現に、私のいる地元では、80代なかばのきゅうりの大先生(田中さん)をはじめ、80代から60代までのきゅうり部会の人たち、それに、新規就農者は60代と50代と40代と30代と20代がそれぞれ1〜2人ずついます。それに今年は、個人以外に団体(法人もしくは非法人)も、新たにJAへの農産物出荷や、近辺の直売所への農産物出荷に参入しています。きゅうり部会の会員が毎年減少して、今まで衰退の一途をたどりつつあった私の地元が、ここへきてやや活動的になってきました。
 それにしても、今年はみんなよくやっていたと思います。農業は、何時間働けばいくらもらえるという保障がどこにもありません。JAが助けてくれる場合があるかもしれませんが、悪いところを指摘されて反省させられます。反省ばかりでは、働く意欲を失います。そうならないように、農産物の栽培・収穫・出荷をしっかりやって、決して途中であきらめてはいけません。中途半端は、最初からやらないことと同じか、(準備にかかった経費が返って来ないなど)それより悪い結果をもたらします。私はここまで働いたのだから、そこまでの労賃が欲しいと言っても、誰にも払ってもらえないのがこの世界の常識です。活動は、最後までやらなければ意味を持ちません。
 最後にその一例を挙げておきましょう。50代の大阪出身の新規就農者が長野県佐久市に就農しました。彼は、大阪でAコープというスーパーの店員をやっていたのですが、田舎暮らしがしたくて、地元の佐久のトマト農家さんにお世話になりながら、トマトを栽培・収穫していました。トマトを収穫するシーズンが終わって、彼はそのまま大阪へ帰りました。すると、その途端に、彼がお世話になっていた佐久のトマト農家さんが怒り出しました。二度と俺の農地を使わせない、と言ってカンカンになってしまいました。なぜかと言うと、その新規就農者は、トマトの木と畑の後片付けを一切しないで大阪へ帰ってしまったからです。後片付けをしても収入が一切入ってこないから、やっても無駄だと判断したからです。(いかにも、大阪人らしい発想です!)
 しかし、それでも後片付けをすることが、農業をする上では大切なのです。来年の仕事をきちっと始めるためにも、そしてまた、トマトの栽培で酷使した畑の土の力を回復させるためにも、後片付けは必要なことです。それを自分勝手な判断でさぼった、つまり、農業の作業を途中で放棄したと、地元の農家さんに判断されてしまったわけです。農業は決して人からやらされるただの労働ではなく、最後まで責任を持って土の世話までをするいわゆる活動なのです。農業に『就業時間外勤務』という言葉は存在しません。