何と、南斗六星を見た!

 夏場から秋にかけて、今年も忙しい日々が続きました。そのために、どうしてもブログ記事として書くことができなかった事柄がありました。ここのところ、やっと、それを書ける余裕ができましたので、書いてみることにしました。

 先ほど述べたように、私の仕事は、今年も夏場が忙しくて、毎晩、夜中まで作業をしていました。これまで、本当に夜空を見上げるヒマも無かったのですが、今年はあえて作業の合間に、夏の晴れた夜空の星座を探索してみました。まずは、誰でもやることですが、北の夜空の北極星を探すために、北斗七星のひしゃく形の並びと、カシオペア座のダブリュー形の並びを見つけました。それから、頭上の夜空に、はくちょう座とこと座とわし座のそれぞれの一等星が形作る『夏の大三角形』を確認しました。さらに、ちょうど南の夜空に赤い一等星を中心に、ほぼ逆S字型に星らが並んでいるさそり座を見つけました。実を言うと、そうしたことは、今までも何度かやってきたことではありました。
 さらに、今年は、夏の南の夜空をよく見てみることにしました。さそり座のすぐ上に、将棋の駒の形の、ほぼ五角形の星の並びは、へびつかい座です。そういえば、このへびつかい座は、かつてのテレビドラマ『白線流し』の最初のほうの放送回で登場していて、その劇中で、重要な役割を果たしていた星座でした。
 それから、さらに今年は、さそり座のすぐ左隣にあるはずの射手(いて)座を見ることにしました。そこには、小さなひしゃくかスプーンのような星の並びの『南斗六星』があります。北斗七星と大きさを比べると、かなりコンパクトですが、確かに形は似ています。半人半馬の射手座のほぼ後ろ足から上にたどっていくと、それは容易に見つかりました。8月の半ば頃の夜9時頃に、私はそれを初めて見つけました。また、10月の夜7時頃にも、南西の空低く傾いていてはいましたが、同じくそれを見つけました。その頃には、さそり座はほとんど見えなくなっていましたが、その『南斗六星』は簡単に見つかりました。
 これは余談ですが、これまでの私は、頭上のはくちょう座の星の並びにはよく気がついて、関心を持っていました。星座に関する本によると、南十字星に対抗して、北十字とも呼ばれているそうです。その見つけ易さから、はくちょう座は、多くの人が関心を持っている星座のひとつと言えましょう。ところが、今年の私は、わし座のひし形の星の並びに興味を持って、しばしばそれをながめていました。ひょっとすると、はくちょう座よりも、そのわし座のほうが、夜空に占める面積が広いのかもしれない、と思いました。ちょっとした発見です。そう思って、わし座を、今年の私はながめていました。

 さて、少し別の話題を付け加えておきましょう。『南斗六星』といえば、漫画『北斗の拳』の南斗聖拳を思い出す人も少なくないかもしれません。(少なくとも、私はそう思っていました。)実は、私も『北斗の拳』の読者の一人として、コミックス単行本を第1巻から第9巻あたりまで買って読んでいました。その第1巻と第2巻では、北斗神拳ケンシロウ南斗聖拳のシンと対決します。そして、致命傷を負ったシンから「おれの命はあとどれくらいだ」ときかれて「1分だ!!」とケンシロウが答えるシーンがあります。ところで、当時、某アニメ雑誌(『アニメージュ』)の投稿欄に、そのパロディで「6本だ!!」という絵入りの一般読者投稿がありました。ケンシロウの、人差し指を立てた、血のりの付いた手が、一瞬、指6本に見える、という投稿でした。その真偽はさておき、私はそのギリギリの本編の絵柄を見て、『北斗の拳』第1巻と第2巻を買おうと決めました。
 実は、作者の側もまた、このことを気にしておられたのかもしれません。ケンシロウの指がちゃんと5本であることをはっきりと描いているシーンや、両手3本づつの指、すなわち、6本の指で敵の攻撃を受け止める技が描かれるシーンなどが、後に登場してくることを考えますと、作者の側も、そうした投稿に無神経でいられなかったのかもしれません。一方、読者の側としては、そのような絵柄をエキサイティングに感じさせる本編に魅力を感じていました。『北斗の拳』という漫画の人気の秘密は、実は、そんなところにあったのかもしれません。

 あともう一つ、この『北斗の拳』という漫画における最大のナゾ(と私が勝手に思い込んでいること)について述べておきましょう。なぜ『南斗六聖拳の最後の将』が、ケンシロウのかつての恋人で婚約者のユリアだったのかということです。本編によると、ユリアが幼い頃からそのように決められていたのだ、ということになっています。そのように、劇中で決められているのだから、それ以上その理由を考えても仕方がない、というのが正解なのかもしれません。しかし、大人の私は、ある意味で馬鹿なのか、それでは納得がいきませんでした。一体、ユリアは南斗聖拳という暗殺拳のどんな使い手だったのだろう、と考えてしまったのです。
 そこで、私は、暗殺拳をきわめた究極の姿の一つを想像するに至りました。ときに、劇中のユリアは、容姿が美しく、しかも、その精神は慈母のごとく優しい人として描かれております。それゆえ、劇中では、多くの男性たちに慕われていました。婚約者のケンシロウのみならず、ラオウも、トキも、シンも、ジュウザも、その他多くの男たちの心を恒(つね)に奪っている存在でした。そこには、『男殺し』の概念を超えた、しかも、『暗殺拳』の概念をも超えた、究極の姿があると考えられました。だから、『南斗六聖拳の最後の将』としてふさわしかったのです。このような一例からもわかるように、この『北斗の拳』という漫画は、懐(ふところ)が深い内容を感じさせる究極の漫画だったと言えましょう。