風評被害の根っこに思う

 「こんなこと、今さらわかっている。」とか「くどいから、やめろ。」と批判や誹謗(ひぼう)をされそうですが、一応述べておきます。かつての私をも含めて、いまだに知らない人も多いと思うのです。何にも知らないほうが、みんなが幸せだという時代は終わったと思います。

 最近テレビのCM枠の広報で目にするのは、あの言葉です。画面の右上近くに、それほど大きくない文字で、『トリチウム』と映っていました。以前私がこの言葉をテレビで初めて耳にした時は、今とは違う印象を持っていました。この耳慣れない言葉から想像したのは、「原発事故の廃棄物処理後に残った危険なもの」とか「そもそも自然に存在しない人工の物質で、人体に危険をおよぼすもの」とかいう、おぼろげなイメージでした。

 しかし、その後ネットなどで検索して調べてみると、それまでの私自身の無知と誤解にあきれてしまいました。『トリチウム』というと耳慣れない言葉なのですが、『三重水素』というと、かつてどこかで聴いたことのある言葉だと気づきました。水素の同位体で、自然にもわずかに存在する水素の一種です。「酸素と水素が爆発的に結合して(つまり『水素爆発』)、水ができる。」とか「『炭素社会』の代わりに来るのは『水素社会』だ。」とかいう文脈で使われるので、私たち庶民は『水素』という言葉に対してそれほど拒絶反応はありません。『水素爆弾』という恐ろしい言葉がありますが、水素そのものから危険が生じるわけではありませんから、それほど『水素』という言葉からは恐怖を感じません。

 つまり、問題なのは、『トリチウム』という一般に認知されていない言葉が独り歩きしていたということなのです。この風評被害は、もしかして専門家のエリート意識による説明不足、すなわち、庶民への啓蒙を怠ったことに原因があり、責任があるのかもしれません。庶民自身の生活に関わることを、庶民の議論なしに運用してしまうのは、エリートの側からすれば、時間のかかる面倒なことは避けたいという思惑があるからなのでしょう。しかし、その「時間のかかる面倒なこと」を避ければ避けるほど、そうした問題はこじれて、風評被害などの解決しがたい事態になってしまうのが、この世の常なのです。

 異論反論を含み、時間のかかる面倒な『多くの庶民の議論』を、もっと前々からやっていたならば、風評被害を防ぐのがたやすかったかもしれません。現代には、そのような『ていねいさ』が社会的に欠けているように思えて仕方がないのですが、いかがなものでしょうか。