他人から恨みを買ってはいけない

 今からちょうど50年前、浅間山荘事件を、東京の自宅のお茶の間のテレビで観ていた頃の私は、まだ小学校の高学年でした。私の祖父母と母は長野県出身者で、父は本籍地が長野県でした。私は、東京生まれの東京育ちでしたが、彼らと一緒にそのテレビ中継を観ていました。そして、連合赤軍の一人が『坂東國男』という名であると、ニュースで報じられると、私の名前が『国男』なので、将来あんな若者に育ったらエラいことになる、と彼らにとがめられたことをよく憶えています。そもそも私の名付け親は、私が生まれた当時は女子中学生だった私の叔母(祖父母の娘、父の妹)でした。当時の若者は、若いだけに学生運動に走りやすいと大人から見られていました。だから、あの連合赤軍の事件は、当時の日本社会に多大なショックを与えました。
 あれから50年、先日の3月9日(水)の夜の地元テレビ局でスペシャル番組『少年Aの告白 ~連合赤軍あさま山荘事件50年~』が放送されていました。あの事件で逮捕された当時の少年Aが、その後どんな半生を送ったのかを、現在の彼へのインタビューを通じて報じていました。また、警察関係者側からのインタビューも交えて、当時何がどうだったかを番組内では振り返っていました。
 元少年Aの告白によって、どういう意図であのような事件になってしまったのか、というナゾが解明されていきました。彼自身の証言によって明らかなことは、違法なことをしてしまったことを最も反省しているということです。しかし、彼自身にとっては「社会全体のために役立ちたい」という気持ちが終始一貫しているわけです。残念なことは、それが間違った正義に行ってしまったことです。そこに、彼自身の大きな反省があったわけです。
 一方、当時の警察関係者側の気持ちとしては、『警官射殺』ということが起きてしまったことに、どうしてそのようなことが起きたのかという疑問が提示されていました。そして、二度とそのようなことが起きてはならない、ということが現在の思いであると語られていました。
 私は、その『警官射殺』に至った事件の背景には、日本の戦時下の歴史や人間感情があったと推測しています。以前私は、戦時中に生まれ育った人(たまたまですが、その人も長野県で生まれ育った人)の話で、憲兵(当時の警察官)が街中で一番怖れられていた人たちだったと述べました。当時どんな理由があるにしても、彼らに目を付けられ、つかまったら最後、必ず暴力的なひどい目にあわされると言われていました。
 そのような事実の痕跡は、戦後の日本映画の中にも残っています。1982年に上映された『大日本帝国』という東映の映画を観るとわかります。終戦直後、憲兵あがりの横暴な態度の警察官に、庶民の女性の一人が啖呵(たんか)を切ります。この話は、戦時中に憲兵の横暴に恨みを抱いていた日本庶民にとっては、理解できる演出だったと思います。戦争が終わっても、憲兵から警官に名前が代わっただけで、その中身は同じで、治安維持の役割を引き継いだだけだったのです。
 そのようなことから、戦後庶民の抱いていた『恨み』の感情は、国家権力の象徴である警察組織に向けられました。そして、それに抗(あらが)う正義が、将来のある若者すなわち学生に教唆されたと考えられます。つまり、当時の日本社会が『学生運動』を社会的に容認していたのは、戦時下の治安維持を担っていた憲兵たちに対する『恨み』の感情があったからだと思います。
 しかし、浅間山荘事件の警官射殺や、その逮捕者の証言から明らかになった内ゲバすなわち集団リンチ事件によって、当時日本の大人たちの多くは目が覚めて、『学生運動』が間違った正義に導かれてしまったことを知ったのです。例えば、私の父親などは、大学に入学した私が『学生運動』という言葉をたった一度口にしただけで、三時間近く私を説教しました。「中核派だろうと何だろうと、あいつらは兵隊が欲しいだけなんだ。警察に捕まったら、どうするんだ。」という主旨で、延々と私は説教されました。
 そんな私の父はというと、少し人相が悪かったためか、路上でしばしば警察官に職務質問をされて、ぶるぶる震えて何も言えませんでした。すると、逆に、警察官にあらぬ腹を探られて、そのような沈黙が逆効果になることも多かったようです。ある日、トラックの兄(あん)ちゃんに後ろから車両をぶつけられた時も、現場にかけつけた警察官に状況を説明できずに黙っていたために、逆に一方的に交通違反のキップを切られたと、生前ぼやいていました。
 だから、子供の頃の私もまた、きちっとした制服に包まれた警察官を見たら、緊張して、道を避けて通るようにしていました。しかし、近頃の警察官は、私よりも年齢が若くて、服装も昔と比べてファッショナブルでかっこいいので、公務執行中の彼らの前での私は、緊張することもなければ、警戒することもなく、普通に応対することにしています。大人になって、交通違反職務質問で声をかけられることがあっても、冷静な態度で応ずれば、ムダに警戒する必要もないと私は思いました。
 これもまた、私の考えですが、警察官も学校教師も公務に携わっている地方公務員です。したがって、私たちが支払っている税金で運営されている、その集団組織を大切に思ってしかるべきだと思います。さらに、私の責任で言わせていただきますが、『恨み』など、とんでもない。他人を恨んだり、他人に恨まれたりしていたならば、きっと悪いことが起こるものです。そのようなことは、誰にだってありえます。いかなる場合でも、他人から恨みを買わないことが、一番です。それが、『二度とあってはならないこと』を起こさない一番の対策でもあると、私の責任で強く言いたいのです。
 ついでに、ひとこと言っておきます。仏教には、『因果応報』という言葉があります。「上の命令で仕方なくやった」とか「自らが生きるために仕方なくやった」とか「死人に口無しだから、バレるはずがない」とのたまっている、どこかの国の兵隊さんに忠告いたします。人として生きている限り、戦争犯罪は、いつか必ず何らかの形で報いを受けるということを、今のうちから覚悟しておいてください。