WHOのコロナ回避策を逆翻訳する

 最初に、またまた、わたくし事で心苦しいのですが、先日の日曜日の夜に、東京の実家へ電話して、この年末年始は東京の実家への帰省は控えたいと告げて、そのことについて私の母に同意を取らせていただきました。わたくし自身は、感染症にそれほど恐怖心はないものの、高齢の母がメディアの影響でかなり恐怖心を植えつけられており、私に対して気を使って体調を更に悪くしてしまう怖れがありました。そこで、この年末年始は東京の実家に帰らないことにしたのですが、実は本心では「しめしめ、うまくいった!」と思っていました。私は、東京に生まれ育って仕事をしてきた『元東京都民』です。だから、元東京都民として小池都知事には協力いたしますが、私は家族とはそれほど仲が良くないので、「家族とステイホーム」には反対させていただきます。これまでは、何かと個人的な用事があって、年末年始に東京に戻っていました。しかるに、この年末年始は、東京から帰省する人が少ないとテレビのニュースで知って、東京では密な場所が増えそうな感じがしました。それが理知的な判断なのか、ただ私が理屈っぽいだけなのかはわかりませんが、いろんな要因で東京の空気自体も悪そうなので、私は戻りづらくなりました。(東京の実家へは、年賀状でも出しておこうかな、と思いました。)
 それよりも、現在生活している地元で、私自身の体と心のケアに努めようと考えています。最近のテレビでは、ストレッチ体操とかヨガの簡単なポーズをニュース情報番組中でよく見かけます。やはり、最近は心身に不安がある人が増えてきているのかな、と感じさせます。そう言えば、小春日和の日中に、屋外で短時間の作業をしていると、ジョギングをしている人を全然見かけなくなりました。やはり、激しい運動は、過呼吸となって、何らかの病原体を吸い込みやすくなって体調を崩してしまうのかな、と考えられました。その点、ストレッチ体操やヨガの簡単なポーズは、日常を静かに過ごす私たちの心身のケアに有効な一つの方法なのかもしれません。
 そんなこんなで考えているうちに、私は、WHOのコロナ回避策の英文をネットで見つけました。その前に、日本の『3密』の翻訳版である『3C』というものをWHOが示しているということをテレビで知りました。その3CというWHOのコロナ回避策を、日本の『3密』と比べてみたくなったので、誠に勝手ながらその英文の主要部分を私は日本語に翻訳してみようと思いつきました。以下にそれを示します。重要な部分は、英文の語句も併記しました。

 Avoid the Three Cs (『3つのCを避ける』)
 ― 様々な場面や状況で様々なレベルのリスクに気付きましょう ―

 新型コロナウィルス(COVID-19)が広がりやすい場は次の通りです。
Crowded places (多くの)人が(間近に)密集する場所
Close-contact settings (特に人々が親密に会話する場などの)密接な場面や状況
Confined and enclosed spaces (通気の悪い)狭くて閉鎖された空間

 これらの3つの要因が重なる場では、さらにリスクが高くなることや、その場に行くのを控えたり、それらの要因を回避・除去するための対策をとってその場の安全を確保することも示されています。

 確かに、その内容を私たち日本人が見るかぎりでは、何も目新しいことは無いのかもしれません。しかし、この『3密』の考え方が日本で発表されて、日本国内でどんな反響が起きたのかを知る人は少なかったと言えます。私たち日本国民のほとんどは、功利主義的な立場からこの考え方をいち早く取り入れました。悪く言えば、無批判で鵜呑みにしました。そのため、「3密を避ければ、絶対に感染しない。」あるいは「3密を避けなかったから、感染したんだ。」と平気で言うようになってしまったのです。
 もちろん、それで結果オーライでしたから、功利主義的なほとんどの日本人にとっては大成功だったと言えます。しかし問題なのは、そのために、私たち日本人は、この感染症に関する思索を発展させることができなくなってしまった、ということなのです。この感染症に関するいろんな問題が発生すると、その一つ一つに答えを見い出せず、誰に聞いても「まだそれはわからない。」という無限列車にいつまでも乗車してしまうことになりました。そして、その一方で、数限りない外部からの情報にさらされて惑わされて、何一つの確たる思索も判断もできず、ただ情報の伝達ばかりして、様子見ばかりしているのが今日の私たち日本人ほとんどの姿だと言えましょう。
 かのアメリカのエジソンがおっしゃられていたように「1パーセントのインスピレーション」には「99パーセントのパースピレーション」が必ず伴うものならば、功利主義的な私たち日本人は、「99パーセントのパースピレーション」を、とかく省きがちです。インスピレーション(ひらめき)ばかりを求めて、パースピレーション(汗と苦労と失敗)はなるだけ避けて、それが賢いと思い込んでいるのが今日の私たちの姿と言えましょう。もう少し何とかならないかな、と私は思っています。
 その改善策になってくれるかどうかはわかりませんが、私は一つの事実を示したいと思います。前述の『3密』が初めて発表されて、日本各地の感染症の専門家さんたちの中に、「今までこんな考え方があるとは知らなかった。けれども、このような考え方があることを知って、なるほどと思った。」という意見の人がいらしたのだそうです。これまで感染症を専門としてきたその人が、この『3密』という考え方を知って、その上手い考えを学んで、称賛したということなのです。私は、そのようなことを語るその道の専門家さんをテレビで拝見して、本当に驚きました。そして、私は私なりに考えてみたのですが、この『3密』という科学的知識は、単なる経験則で考えられたものではなくて、科学的あるいは現代数学的な思索によって生み出された(といっても、ごくシンプルな思索による)ものだと私は理解できました。それを理解するためのキーワードは、『ウィルスの曝露(ばくろ)量』すなわち『人がウィルスにさらされる量』です。そのことの詳細は、次回のブログ記事に記載いたしましょう。