過去が希望を与えてくれる

 「過去の栄光や成功にこだわってはいけない。」「過去を振り返ってばかりいては前には進めない。」「希望は未来に託すものだ。」等々の文言(もんごん)があることは、皆さんもご存知のことでしょう。私は、過去を語ることによってノスタルジア(nostalgia)を論ずるつもりはありません。この「過去が希望を(与えて)くれる。」という、ちょっと謎めいた文言にどんなことが込められているのか、知りたいと思う人も多いと思います。今年その文言を初めて知った私にとって、それは忘れられない文言となりました。なぜならば、今年の私は、過去の記憶に救われるという経験をしたからです。
 もともと、私は、過去の記憶などというものが嫌いでした。子供の頃の記憶をたどっても、いやなことばかり思い出されました。また、勉強で学んだことも、詰め込み教育で学ばされたものばかりで、「こんなことを学んでも大人になって役に立たないな。」と当時は感じるものばかりでした。かたっぱしから記憶することが苦手で、それには苦痛を伴いました。学業成績が頭打ちとなり、格上(かくうえ)の学校を目指す努力が失せていきました。
 そんな私が、今年の4月の上旬と下旬に大変な目に会いました。ちょうど緊急事態宣言の1週間前と1週間後に高熱を出しました。その頃の生活状況を考えてみると、ずっと地元にいて、しかも、それ以前の3か月間を思い返してみても、地元の飲食店街に一度も行っていませんし、会食だって一度もしていませんでした。地元の様々な店舗では、マスクをしている人はほとんどいませんでした。そして、現在のような感染症対策をしている店舗が一つも無かった時期のことでした。いわゆる感染経路不明の典型で、知らない間に体調がおかしくなりました。地元のドラッグストアへ体温計を買いに行ったら売り切れていて、体の動きが鈍くなるなどの異変が感じられたのは、以前このブログ記事で述べた通りです。
 私は、高血圧の治療のために家庭用血圧計で朝晩定期的に血圧と心拍数を測っています。家に帰って手と体を洗ってから、心配だったので血圧計で測定してみました。通常の血圧値と心拍数のバランスが崩れていて、激しい運動をしてもいないのに心拍数が軽く100を越えていました。その時は、さすがの私も一人で焦(あせ)ってしまいました。「もしかして、ダメかもしれない。自分は、人生これで終わりになるかもしれない。」と悲痛に思いました。
 しかし、そんな時に、私は、あることを思い出しました。小学2年生の春に私は、はしか(麻疹ウィルスによる急性熱性発疹性感染症)にかかりました。高熱を出して床に伏して目を開けていると、看病していた母が「布団に入って大人しくしていなさい。」とか「安静にしてなさい。」などと二言三言しゃべってくれていました。そのことを、ふと思い出して、「もしかして、自分は助かるかもしれない。」と私は考えました。
 その「ダメかもしれない。」が「助かるかもしれない。」に変わったのは、「安静にしてなさい。」と母が私に言ったという、私の過去の記憶のおかげでした。その記憶から、生きる希望が生まれて、それを糧(かて)にして、一人でできるだけの手を打つことができました。その結果については、以前ブログ記事に書いた通りです。たとえその結果が失敗して、最悪の結果を招いていたとしても、私自身の記憶が、私に希望をくれたことは事実だったに違いありません。私の母の言葉に感謝すると共に、過去の記憶というものが(『経験』と言い換えても良いかもしれませんが)現在や未来に役立たないものでは決してないことに気づかされました。
 そもそも、その「過去が希望をくれる。」という文言は、東映特撮ドラマ「平成仮面ライダーシリーズ」の『仮面ライダー電王』第18話で登場人物たちのセリフの中から出てきた言葉でした。その意味の英文が裏面に刻まれた懐中時計も登場しています。また、この第18話では、「憶(おぼ)えていれば、それはなくならない。」という文言も、そのセリフの中に登場いたします。
 これはどういうことかと申しますと、「まわりのすべては変わってしまい、すべて過去となって現在からは消えてなくなってしまう。けれども、人はたとえそれを寂しいと思っても、その過去をしっかりと憶えてさえいれば、その人の心の中でそれは消えてなくならない。」ということです。ここで扱われているのは、かなり哲学的で難解な内容です。しかし、そのようなことを理解できるならば、幸運(ラッキー)だと考えられます。なぜならば、現在あるいは未来を強く生きていくためのエネルギー、すなわち希望を、自分自身の過去の記憶からもらい受けることができるからです。まわりがどんなに新たに変化して寂しく思えても、大事にしたい過去をしっかりと記憶して心に残しておければ、現在や未来の困難な現実を乗り越えて生きていける。すなわち、人間が生きる希望を持つとは、そういうことなのだと、その第18話の内容からは読み取れるのです。(「子供番組だから、と言って侮(あなど)るなかれ。」といったところでしょう。)