その戦いは勝手に始まった

 すべてデマじゃないかと疑ってもらってかまいません。そのことを前提にして書き進めましょう。
 長野県では、「発熱等の風邪症状がある方は、外出を控えましょう。」と県庁のホームページに第一に書かれています。(これはデマではありません。)つまり、長野県では、風邪症状等で体調が悪かったら、無理に出歩かないで、自宅にいるように呼びかけられています。
 そんな折、私が長いことこれまでに経験したことのない『体調の異変』にはっきりと気付いたのは、先日の4月2日(木)の夜でした。その日は、日中北風の妙に強い日で、体の抵抗力が弱まっても仕方がない日でしたが、私は、人のいない場所で一人で農作業をしていました。けれども、体のだるさは感じなかったものの、何となく体の動きの鈍さを感じました。
 ところで、先月3月のカレンダーに記された行動歴を見ると、3月下旬に地元の農産物直売所とJA農産物の部会の2回の会合がありました。いずれも、みんなマスクをして、座る間隔も空けて、短時間で終わらせました。それでもリスクはゼロではないとはいえ、感染経路とは考えにくいと思いました。もちろん夜の街に行く習慣は私にはなくて、去年の12月中旬に忘年会の一次会に出席して以来一度もありません。それよりも、1日か2日おきに食べ物などの買い物に行って、その途中で一部で発生している市中感染(といっても、何も科学的証拠はありませんが)みたいなもので感染したかもしれないと疑ってみるほうが自然かもしれないと思いました。いずれにしても、いつどこで感染したかということよりも、何かの『体調の異変』を早めに自覚するほうが重要だと、私は考えました。
 咳やくしゃみや鼻水・鼻づまりや鼻声などの風邪症状がなく、食べ物を口にしても臭覚も味覚も普通に感じられるのに、その何となく体の動きが鈍くなっていると感じて、もしかしたら微熱があるかもしれないと思ったので、農作業を早めに切り上げて、ドラッグストアへ体温計を買いに行きました。ところが、マスクどころか体温計もすべて売り切れていました。地元の長野県の人たちの健康意識の高さに感心していましたが、代わりにお菓子を買ってお店の外に出ました。すると、強い風で指に挟んでいたレシートが飛んでしまいました。それを拾おうとして、今度は財布の口から釣銭がこぼれてしまいました。これは平時とは違う、明らかにおかしい、と私は思いました。
 晩飯を済まして、夜の8時前に血圧計で測定してみると、いつもより少しだけ血圧の値が上がっていましたが、私の場合それはそんなに珍しいことではありませんでした。最高血圧は140から150くらいで、最低血圧は90から100の間くらいでした。ところが、その時の心拍数が100を越えていたのが気になりました。いくら安静にして測りなおしても100以上の心拍数が測定されてしまいました。私の過去の測定記録によれば、そのように少し血圧が高い時は、心拍数が60から80の間で低くなっていたので、何らかの異変が起きているとわかりました。それが何だかわからないけれども、血圧値と心拍数のいつもの相関が見られないのは事実でした。それで、体の動きが鈍く感じられた原因は判明しました。
 心拍数が上がると、肺の呼吸数や呼吸量が上がるのが普通です。ちょうど、軽い駆けっこかマラソンをしている時のような心拍と呼吸になるはずです。ところが、その時の私の体は、呼吸数も呼吸量もいつもと同じで、心拍数だけが上がっているという異常な状態でした。次に私が考えることは、心拍数のみがなぜ上昇しているのかということでした。
 私は、その原因すなわち可能性をいくつか考えてみました。知らないうちにストレスをためて自律神経が失調してしまった可能性、あるいは、何らかの原因で血中酸素が不足してその需要不足から血中酸素をせっせと体内中に回さなければならなくなって心臓の動きが速くなったという可能性、そしてもう一つは、何かの病原体が呼吸器系のガードを通り抜けて体内に侵入して白血球などと戦いを始めてしまったという可能性でした。その3番目の可能性に関しては、サイレント・キラー(静かな見えない殺し屋)の可能性があって、とても油断ができませんでした。いずれにしても、体調の異変であることには変わりなく、何が本当の原因かはわからないにしても、その私の体が発している小さなサインに耳を傾けて、見逃さない必要に迫られました。
 ここで私は気が付いたのですが、体温計にしても、血圧計にしても、PCR検査にしても、結局目的は同じだったのです。すなわち、それらの検査の目的は、感染していないことの公認でも証明でもありません。その本当の目的は、今までの平時とは違う『体の異変』にいち早く(つまり早期に)気が付いて、自主的に自宅隔離とか絶対安静とかの手をすみやかに打つことだったのです。
 そうした体の異変が何らかの検査で早期に見つかって、早期に手を打てれば、重症化や容体急変はありえないかもしれない。というのが、科学的な考え方に基づく私の意見です。したがって、体温計などで必要な時に何度も簡易検査して、すぐ検査結果が出るということは、体の異変をとらえやすいという意味で、実は現段階で、最も理にかなった方法の一つと言えます。
 私の場合、次にどうしたら良いかは、すぐに決まって実行に移れました。日中は天気が良くて暖かくなってきましたが、明日からの農作業を含む一切の仕事はしばらく行わないことに決めました。現在一人暮しの私は、少なくとも心拍数の異状や寝汗やのどの軽いイガイガなど諸症状が改善するまでは自宅隔離と絶対安静を続けようと考えて、それをすぐ始めました。簡単に言うと、玄関のドアに内から鍵をかけて、布団の中にもぐり込んで、じっとしているだけなのでしたが、その夜のうちに発熱して、寝汗がひどくなってきました。長野県は東京都よりも標高差のために気温が5度低いため、布団をひっぺがして体を冷やしたら大変なので、それができませんでした。(長野県に、意味のない疎開をしている人は、特にこの『冷え』に気を付けてください。)そのうちトイレへ行きたくなったので、時計を見たらば4~5時間があっという間に過ぎていました。そんな状態を2、3回繰り返していたら、午前4時を過ぎていました。
 相変わらず、咳も鼻水も出ないし、扁桃腺も腫れないので、どこも痛くなかったのですが、どうしても、心拍数が多くなっていることで考えられる3番目の原因すなわち可能性、つまり、何かの病原体と体が戦っているという可能性を捨てきることができませんでした。午前4時まで眠れず意識があるうちは、このままサイレント・キラーにやられて命を失うかもしれないと本当は怯(おび)えていました。
 しかしながら、私の意識(つまり、心)とは無関係に、体が何らかの病原体と戦いを始めてしまった以上、それを止めることはできませんでした。何らかの病原体と私の体が戦って発熱しているその脇(わき)で、私の意識(つまり、心)はただぼーっと突っ立っているだけのようでした。私の意識(つまり、心)が唯一できることは、私の体が懸命に戦っていることを邪魔しないように、つまり、焦(あせ)ったり、じたばたしたり、パニックったりしないように、大人しくしていることしかありませんでした。
 それから約24時間、絶対安静のため、私はテレビもネットパソコンも電源を入れず、外からの情報をシャットアウトしました。すると、不思議なことに、疲れて眠ってしまった頭の中で、不思議な夢を見ていました。いつもは精神が不安定で口の悪い人が、急に神対応の一言を他者へ口にしていました。あるいは、中止になったパーティのデザートが無料でもらえるというので行ってみたら、きれいな大皿に真っ赤なスイカなどのカット・フルーツがあざやかに盛り付けてありました。かつてみたことのない精神的あるいは物質的に豊かに感じられる夢の内容でした。そうした内容を夢分析してわかることは、「やっぱし私の心は条件なしにこの世で生きていきたい」んだな、ということでした。補償されたお金がいくらあったとしても、わが身の命だけはどうしても買えないとわかっているのかもしれません。幸い、その約24時間後には、心拍数の上昇がおさまって、発熱や寝汗もおさまりました。
 実は、布団にもぐって安静にしながら、ある個人的な対処方法を思いついて実行していたのですが、その詳細については次回のブログ記事にゆずることに致します。約24時間の情報シャットアウト後にも、いろいろと対策を実行しました。例えば、かかりつけのクリニックに電話をかけて、日常治療のために服用している薬の追加の処方をしてもらうとか、10日後の歯医者さんの予約をキャンセルしてもらうとかも手持ちの携帯電話でしました。今の私は風邪のひき始めであり、地元のお医者さんに風邪をうつしたら大変なので、早めに対処しました。それ以外にも、打てる手は早めに打っておきましたが、それについてはまたの機会に述べたいと思います。いずれにしても、先日の発熱で、臓器の一部に若干のダメージがあったかもしれないので、ここ2、3日から1週間くらいは、大事を取る予定にしました。
 24時間、外からの情報を絶ってわかったことが、もう一つあります。誰にでも言えることですが、感染したからおしまい、というわけではないのです。発熱して、体が病原体と戦っている時にこそ、心を落ち着けて、安静にして、体を応援してあげることが大切なのです。(こんなこと小学生にだってできることですよ。大の大人や大学生が「感染したら、どうしたらいいかわからない。」なんて、恥ずかしいから言わないでください。)