生活費チェック用パソコンの話

 現在、私のもとには、このブログ記事を記述するために使われている、インターネットに接続できるノートパソコンとは別に、インターネットに接続していない中古パソコンがいくつかあります。そのうちのニ台は、インターネットとは別の目的で、現在の私の日常で使われています。
 それらのパソコンは、おのおのの役割分担がほぼ決まっています。一台は、マイクロソフト社のエクセル(Excel)に似た表計算ソフトが購入時にもともと入っていた中古のデスクトップパソコンです。主に、仕事や生活で使うお金の収支(収入と支出)をすべて記録して、無理のない生計を立てているかどうかをチェックするために利用しています。そして、もう一台は、中古のブックパソコンで、趣味とかその他いろんなことをするために使っています。今回の私のブログ記事では、前者のパソコンについての話をしたいと思います。
 私は、十数年前までは、横の罫線の入った市販のノートを、お小遣い帳にして使っていました。その十数年前に、そのお小遣い帳を、紙のノートからパソコンに移行しました。いわゆる、お小遣い帳のコンピュータ化をしたわけです。収支(収入と支出)の合計、あるいは、残高を、紙の上で求めるのに、これまでは、人間の私自身が計算をしなければなりませんでした。また、何年もやっていると記録の保管が大変で、紙のノートだと、部屋の中のどこに置いてあったか忘れてしまうこともあって困りました。そうした問題が、このコンピュータ化によって解消されて、便利になりました。
 と言いたいところですが、ここ数年、私は、このコンピュータ化がもたらした新たな問題に悩まされていました。何かのために使った金額や、何かで得られた金額を記録する必要が発生するたんびに、パソコンに電源を入れて、それが使えるようなるまでしばらく待たなければなりませんでした。そして、それを毎日、最低一回はやらなくてはなりませんでした。場合によっては、頻繁に記録することになってしまい、ムダに時間を費やすことになりかねませんでした。(家計簿ソフトを使っても、その面倒くささは同じだったと思います。)それに比べて、紙のノートだったならば、必要な時にページをパッと開いて、その日付と項目と金額を記入するだけで済んでいました。せっかくコンピュータ化したのに、これでは全然意味がないじゃないかと、私は考えるようになっていました。
 けれども、今になって紙のノートに戻るわけにもいかない、という事情がありました。日々記録しなければならない項目が、東京で会社勤めをしていた私の十数年前よりも、はるかに多くなっていました。近年では、パソコンに電源を入れるのが億劫(おっくう)になってくると、各種の伝票やレシートばかりがたまって、それらの紙切れがパソコンで処理される手前で、ゴミの山のようになってしまいました。そうした現象が、ここ数年間の私の日常で、毎年繰り返されるようになっていました。
 ところが、最近ひょんなことから、その解決策が見つかりました。日々創意工夫と申しましょうか、数年間悩まされ続けてきたことが、意外な方法が見つかって、状況が一変しました。すなわち、そうした未処理の紙切れがパソコンの前から姿を消すことになったのです。
 できるだけ簡潔に述べておきましょう。東大将棋という市販のゲームソフトを買ってきて、私の、かのデスクトップパソコンに入れてみました。偶然だっただけなのかもしれませんが、それが思わぬ効果を生みました。その将棋ソフトは、私の棋力(将棋で勝てる力)を上回っていたので、最初は全く歯が立ちませんでした。当然のことながら、最初私は、勝ち負けにこだわっていたので、その将棋ソフトを自ら進んでいじくりたいとは思いませんでした。ところが、この将棋ソフトにいろんなコーナーが用意されていることを知るにつれて、今までとは違った興味が私の中に湧(わ)いてきました。通常のコンピュータとの対局のほかに、トーナメント方式の将棋大会(私の相手が全員コンピュータの、しかも、相手によって実力のバラツキのある変な将棋大会)や、詰将棋のコーナーや、棋力認定所や、女流棋士との対局コーナー等々、いずれも、インターネットに接続しなくても楽しめる、ヴァーチャルな、あるいは、フィクションみたいな内容があることを知るようになりました。
 すなわち、未処理の伝票やレシートがあると、それをパソコンの表計算ソフトに記録したついでに、その将棋ソフトを使ってみようという気が起こりました。パソコンに電源を入れて、味気ない金額を表計算のシートに記入した後すぐに、その将棋ソフトをいじくります。それで、ちょっと遊べるとわかると、私にとって、それは、かなり魅惑的なことに思われました。つまり、今になってみると、それが、金銭の記録のためにパソコンを利用しようとしてその電源を入れる、大きな動機づけとなっていたのです。
 結局何が問題だったのかと申しますと、それは、無精な私の性格に問題がありました。それを、市販の将棋ソフトの導入で変えることができたということが、今回の話の大事な点です。世間一般に考えてみると、将棋ソフトなどというと、人間が優れているか、それとも、コンピュータが優れているかという話になってしまいがちです。また、将棋ソフトが強くなればなるほど、「人工知能の発展に寄与するけれども、人間の仕事が奪われる。」という、人間にとって得なのか損なのか、わからない話になりがちです。しかし、本当に大切なことは、そういった類(たぐい)のことではないと思うのです。要するに、一番大切なことは、日常生活に応用できる、新しいものの見方とか、その使い方とかを、私たち人間が見つけ出すことにあるのかもしれません。
 (さらに、蛇足を述べておきましょう。今回紹介した私のパソコンは、インターネットに接続されていません。従って、インターネットからの恩恵は全く受けることができません。けれども、いかなるサイバー攻撃にも、全くさらされないという大きな利点を持っています。また、パソコンの処理速度が、世間一般のものよりも多少劣っていたとしても、画面を前にして操作がフリーズしたり待たされたりすることはありません。そもそもコンピュータというものは、インターネット通信端末専用の機械ではなかったはずなのです。世間の風潮を考えると、この世の全てのスマホやパソコンなどがインターネットを中心に動いていて、インターネットの存在なくしては何も語れないようです。けれども、それは、大きな誤解だと思います。コンピュータはコンピュータとして、一つの機械にすぎないのであり、あるいは、一つの道具にすぎないと思います。私たち人間は、そのことを一つの現実としてしっかりと受け止めるべきだと思います。)