うっかり忘れていたあの名称

 しばらく前になりますが、こんなことがありました。テレビ朝日系列の番組『報道ステーション』を観ていた夜のことです。あのSTAP細胞問題の記者会見で、O氏が「パワーポイント内の違う写真を、(科学誌『ネイチャー』に)渡してしまった。」というような内容のことを述べられていました。そして、その番組のキャスターでいらした古舘伊知郎さんが、『パワーポイント』を知らないということを、その番組中で明らかにされていました。
 実は、私も、その夜のテレビを観ていて、O氏が発言していた『パワーポイント』という言葉の意味するものがどういうものかわかりませんでした。それで、自分勝手な想像を次のようにしていました。「『パワーポイント』って、何だろう。『パワースポット』って最近よく話題になるけれど、それと似たような言葉だな。何か、それと関係があるのかな。でも、このような記者会見で公式に発表されることだから、きっと、重大な物件の名称に違いない。おそらく、『パワーポイント』というのは、もしかしたら、日本の理化学研究所が誇る、極秘データベースなのかもしれない。」
 そんなふうに、私は、かなりの思い込みで、とんでもない勘違いをしていました。『パワーポイント』という言葉の意味を、すっかり忘れていたのです。
 ”PowerPoint”という英語の綴(つづ)りを見ていたら、思い出せたかもしれません。そう、それは、理研の極秘データベースなんかではなくて、あのマイクロソフト社( Microsoft Corporation)のワード(Word)やエクセル(Excel)と同梱されていた、市販のコンピュータ・パッケージソフトの一つだったのです。
 それらは、いずれも、マイクロソフト・ウィンドウズ(Microsoft Windows)、すなわち、ウィンドウズOS上で動作する、アプリケーション・ソフトです。ワードが文書作成、エクセルが表計算の作業に必要とされたように、このパワーポイントは、プレゼンテーション(略して、プレゼン)に利用されるコンピュータ・ソフトの一つなのでした。
 昔、OHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)といって、透明なシート(OHPシートとも言います。)に文字や図表をカラーマジックで書いたものをその機器にのせることによって、それらを教室や会議室の壁にかけられたプロジェクター・スクリーンに映し出す機器がありました。その後、それの発展形として、パソコンやノートパソコンのディスプレイ画面の内容を、壁かけスクリーンにそのまま投影できるものが出てきました。その時によく使われるようになったのが、この市販のソフトなのでした。
 このソフトがよく使われるのは、次のようなケースです。学校の教室で、先生が生徒たちに向かって、教材の内容をスクリーンに映して、講義をする時に使われます。あるいは、会社の会議室で、会議に参加している社員たちを相手に、プレゼンを行う社員がスクリーンにその内容を映して、説明を行う時に使われます。また、営業マンが、顧客(クライアント)を相手にして、プレゼンや伝えたい内容をノートパソコンの画面に映して、説明を行う時にも使います。
 思い返してみれば、あのSTAP細胞の発表会見の時に、O氏がわきに立って説明していた壁かけスクリーンに、文字や図表や画像を映していたのも、この市販ソフトがあってのことと言えます。この『パワーポイント』というアプリケーション・ソフトが、プロジェクター(投光器)につながったパソコン(あるいはノートパソコン)の中に入っていて動作していたから、そのような公式な発表の手段ができたとも言えます。
 私は、テレビのその番組を続けて観ているうちに、このソフトの名称をうっかり忘れていたこと、そのこと自体に気づきました。それで、「なんだぁ。あのパワーポイントだったのか。」と私は思いました。「『マイクロソフト社のパワーポイント』とか『市販のソフトウェアのパワーポイント』と最初から言ってくれれば、わかったのに。」とも思いました。最近の私は、『パワースポット』という、これと似たような名称のほうにばかり意識が向いてしまい、この『パワーポイント』という言葉をすっかり忘れてしまっていたのです。
 それに、私は、教師でも営業マンでもなかったので、教育やプレゼンの目的で『パワーポイント』のソフト自体を仕事などに活用した経験がありませんでした。そのことも、多分に影響していたと思います。
 かつて、私は、マイクロソフト・オフィス(Microsoft Office)というソフトウェア・パッケージの内容を見たことがありました。その時に、ワードやエクセルを使ってみたことがあります。けれども、パワーポイントは一度きりしか、いじったことがありませんでした。しかも、その時に全く面白くなかったので、二度と使うことがありませんでした。そのことも、私の記憶から、この言葉が忘れ去られる原因となったようでした。