ウィンドウズ3.0との出会い

 ここで述べるウィンドウズ3.0とは、正式には、マクロソフト社の日本語MSウィンドウズ3.0という市販ソフトウェアのことです。当時、ソフトウェア開発会社を辞職した私は、翻訳会社に勤めていました。1990年か1991年のある休日に、私は、東京の秋葉原ラジオ会館にいました。その建物の中の、一つの小さなパソコンショップに、MS−DOSというマイクロソフト社製OSの、新バージョンを買いに行きました。その時ついでに見かけたのが、その日本語ウィンドウズ3.0だったのです。確か1万円くらいの商品で、私が買おうとしていたMS−DOSのフルセット版よりも、少し値段が安かったと思います。
 しかし、このソフトウェア製品の内容は、一般的によく知られていませんでした。当時、ウィンドウズというと、NECパソコンショップの街頭のデモで見たことがありました。ウィンドウズ3.0の一つ前のバージョンで、画面を4分割して、それぞれの画面で別々のプログラムが動いているという、デモンストレーションでした。
 『セパレート・ウィンドウ』といって、分割された画面の大きさが小さくて、とても使い物にならない感じがしました。私は、既にその頃、全システムを買い揃えると100万円を超えてしまうアップル社のマッキントッシュの、『オーバーラップ・ウィンドウ』をパソコン雑誌を見て知っていました。この当時のマッキントッシュは、その高価な値段からしても、その斬新な画面デザインからしても、私にとっては高根の花でした。その素晴らしさを知っていたがために、先のNEC社のパソコンショップのウィンドウズ街頭デモを見ても、全く食指が動きませんでした。
 ところが、あの100万円超のマッキントッシュでしか体現できなかった『オーバーラップ・ウィンドウ』と同じものが、ウィンドウズ3.0という1万円くらいのPC−9801パソコン用の市販ソフトウェアで操作できると、何かの広告で知りました。そこで、私は、MS−DOSの新バージョンを買う代わりに、この市販ソフトを買いました。私が持っていた従来のMS−DOS上で動かしてみたのですが、パソコン雑誌で見慣れていたマッキントッシュの画面と比べると、ちょっと安っぽい感じがしました。ちょっとパクリっぽい感じもしましたが、当時のインテル86系の16ビットCPUを組み込んだパーソナルコンピュータでは、それで精一杯だったのかもしれません。明らかに、マッキントッシュのシステムにはデザイン面で勝てない感じがしました。
 当時のマッキントッシュのコンピュータ・システムは、そのハードウェアもソフトウェアも、群を抜いて素晴らしかったと思います。そのため、その内部仕様に非公開の部分が多かったようです。アップル社としては、他社に真似をされるのを必要以上に警戒していたのだと思います。例えば、マッキントッシュの本体を買った利用者が、メモリの増設をするために、本体の蓋を開けたことがありました。しかし、それを開けた途端に、それはコンピュータとして動かなくなってしまったそうです。そうならないためには、秘密のキーを使って、その本体の蓋を開けなければならなかったのだそうです。ウソみたいな話ですが、私も、それから数年後に、マッキントッシュのジャンク品を安値で買って、使っていたことがありました。買って間もなくして内部時計のボタン電池が切れたので、その交換のために本体の蓋を開けました。すると、再び蓋をして電源を入れたところ、ハードディスクのうなる音が聞こえたものの、2度とマッキントッシュの特長だったあの画面を見ることがありませんでした。すなわち、いつまでも画面はまっ黒で、マウスやキーボードは何の反応も起こさず、そのコンピュータ本体はだんまりとなってしまいました。それ以来、私は、個人的には、アップル社とマッキントッシュスティーブ・ジョブズが大嫌いになりました。
 一方、ウィンドウズ3.0という市販のソフトウェアは、マッキントッシュのGUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェス)ほどの、使いやすさは無くて、むしろ使いづらい感じがしました。『メモ帳』とか『ペイント』とか『メディアプレイヤー』とかは、ウィンドウズ上でのみ動くアクセサリ・プログラムとして付いていましたが、いずれも必要最小限のことしかできませんでした。『メモ帳』なんかを使うよりも、もっと高性能のテキストエディタワープロソフトは、数多く市販されていました。また、『ペイント』なんかを使うよりも、ずっと高機能なペイントソフトは、巷(ちまた)に多くあふれていました。
 もともと、ウィンドウズ3.0本体は、MS−DOS上で動くアプリケーションプログラムの一つでした。このウィンドウズ3.0よりも、ずっとマッキントッシュのGUIに近い操作のできる『ですくとっぷ』という市販ソフトもありました。また、ウィンドウズ3.0と同様の、『時計』や『カレンダー』などのアクセサリ・プログラムを動かしてみせる統合環境ソフトも、秋葉原パソコンショップでは見かけることができました。そしてまた、ウィンドウズ3.0の『ファイル・マネージャ』と同じように、MS−DOS上のファイルやディレクトリ(あるいは、フォルダ)を管理する市販のMS−DOSソフトも、いくつかありました。さらにまた、ウィンドウズ3.0の『プログラム・マネージャ』と同じように、他のアプリケーションソフトやバッチコマンド(命令)を、登録して、それを操作できる『コマンド・シェル』や『ランチャー』などの市販MS−DOSソフトも、当時は秋葉原で売られていました。なお、性能は少し落ちるものの、それらのMS−DOSソフトウェア(あるいは、プログラム)と同じような働きをするフリーソフトウェアが、パソコン通信(のちに、インターネット)で公開されていたりもしました。
 そうした状況の中で、私は、このウィンドウズ3.0を、『ちょっと欲張りな玩具(おもちゃ)ソフト』と思って、1万円と少しを出して買ったわけです。それほど、有用性とか必要性とかを感じていなかったと思います。けれども、マッキントッシュ以外のマシンで、マッキントッシュと同じような画面を操作できることは魅力がありました。その画面デザインが少し貧弱だったとはいえ、そのことは、驚き以外の何物でもありませんでした。
 それが、現在に至るウィンドウズとの私の長い付き合いの始まりでした。このウィンドウズ3.0から始まって、ウィンドウズ3.1、ウィンドウズ95、ウィンドウズ98、ウィンドウズMe、ウィンドウズXP、ウィンドウズ7、ウィンドウズ8.1、そして、現在のウィンドウズ10に至ります。もしも、これらのウィンドウズに出会っていなかったら、私のパソコンに対する興味は、とうの昔に尽きていたかもしれません。おそらく、一つ一つのコンピュータ・テクノロジー(技術)の面倒くささに、嫌気がさしていたに違いありません。マニュアルや技術書などの書物を見ても理解できないことを、時間をかけて学んでいくことになりました。私は、それらのウィンドウズの内部を解析したことはありません。けれども、それがどんな仕組みで動いているのかを一人で勝手に想像することは楽しいことです。そのことは、今日(こんにち)の私の、趣味あるいは道楽の一つとして続いています。そんなことになるなんて、当時は想像すらしていませんでした。
 実は、ウィンドウズ3.0や3.1は、今日(こんにち)一般によく知られているネットワークOSではありませんでした。ウィンドウズと聞いて、現在の若い人たちは、ウィンドウズは、インターネット・パソコンのための専用OSだと考えていることでしょう。あるいは、パソコンでインターネットをするための世界的な主流となっていると考えていることでしょう。しかし、私の視点はそうではありません。ネットワークOSならば、MS−DOSの一つのバージョンにあって、パソコン通信に使われていました。一方、ウィンドウズ3.0と3.1は、数多くのアクセサリ・プログラムによる統合環境ソフトでした。しかも、『プログラム・マネージャ』と『ファイル・マネージャ』というGUIによって、『コマンド・シェル』や『ランチャー』やファイル管理の役割も果たすソフトウェアでした。
 ウィンドウズは、インターネット・パソコンのための専用OSではない、という見方が私にはありました。もちろん、ウィンドウズ95以降は、MS−DOSと統合されて、OSとしても動くようになりました。しかし、私の見方としては、インターネットにつながなくても、単独のコンピュータとして十分に使える(それを、『スタンドアロン』と言います。)と考えています。現に、私は、ウィンドウズXPの入った中古マシンをインターネットにつながずに、『エクセル』という表計算ソフトを会計処理用に使っています。あるいは、『AI将棋』や『AI囲碁』などのゲームをするために使っています。
 ウィンドウズ3.0では、今になっても、凄いと思うことが一つありました。それは、タスク管理の方法についてでした。ここで、タスクとは、コンピュータ上で実行中(あるいは、動作中)のプログラムのことだと考えてください。MS−DOSはシングル・タスクOSと呼ばれていましたが、MS−DOSか他のプログラムか、原則としてはいずれか一つのプログラムしか動いていないように見えました。コンピュータ・システムのCPUの処理は、プログラムをたどって進められます。その時に、実行中のプログラム(つまり、タスク)が、MS−DOSなのか、それとも、別のプログラムなのかがはっきりしています。別のプログラムが動くためには、MS−DOSからCPUの処理の権利が渡されます。そのプログラムからCPUの処理の権利が返ってくることによって、MS−DOSは再び動き出します。MS−DOSは、そうした他のプログラムとのやりとりによって、コンピュータの動作の切り替えをやっていると見ることができます。
 ウィンドウズ3.0には『MS−DOSモード』というアクセサリ・プログラムがありました。そのアクセサリによって、従来のMS−DOS上で動く市販のソフトを、条件付きでウィンドウズ3.0と切り替えて動かすことができました。本来MS−DOS上で動く市販のプログラムは、シングル・タスクすなわち単独でプログラムが動作するように、ほとんどが作られていました。よって、ウィンドウズのモードをMS−DOSモードに切り替えて動かしていたわけです。当時の16ビットのマイクロコンピュータ搭載マシンでの限られたパワーでは、そうしたシングル・タスク切り替えのやり方が最善策だったようです。
 あのマッキントッシュでさえ、基本的に実行できるのはシングル・タスクだったようです。『イラストレータ』というデザイン・レイアウトソフトや『フォトショップ』といった画像処理ソフトは、単独でも大量のメモリやCPU処理量を費やしていました。そのため、そうした消費メモリやCPUの切り替えを、『疑似マルチ・タスク』というシングル・タスク同士の切り替えで行っていたと考えられます。
 一方、ウィンドウズ3.0はというと、システムの切り替え設定の一つに、『386エンハンスト・モード』というものを持っていました。MS−DOS上ではなく、ウインドウズ上で動く、比較的小さなアクセサリ・プログラムなどと同じ構造をもつプログラム同士は、タイムスライス値を設定して、複数同時に動かすことができました。これは、大型コンピュータで実現されている『タイムシェアリング』という技術を、パソコン上で真似たものでした。
 ウィンドウズ3.0を購入した後、私は、「For Windows」とパッケージに銘打った市販ソフトを買いあさりました。それらをウィンドウズ3.0上で複数動かしていたら、ある事件が起きました。市販の『テキストエディタ』で、C言語で書いたプログラムを編集して、ディスクに保存した後、それを市販の『Cコンパイラ』にかけて実行プログラムを作っている時でした。私は、『Cコンパイラ』が動いている最中であることを、うっかり忘れていました。その『Cコンパイラ』は、コンピュータの動作の遅さも手伝って、正常に終わるのに2,3分間かかりました。こともあろうに、私は、そのことを忘れて、『テキストエディタ』で、別のテキストファイルを見ようと開いていました。すると、コンパイル・エラーメッセージが画面の中央に次々と出てきました。それで、私は、『テキストエディタ』とは別に、裏で黙々と、同時に動いていた『Cコンパイラ』の存在に気がついたというわけです。しかも、それらのプログラムの動作中にも、『時計』アクセサリが、秒針を滑らかに動かしていました。
 マッキントッシュの場合を考えてみても、このような『タイムシェアリング』のシステムは、当時のCPU動作の遅いパソコンには、必要なかったのかもしれません。けれども、ウィンドウズ3.0の『386エンハンスト・モード』には、こうしたマルチ・タスクの、システム側によるサポートというものが確かにありました。それを、私自身のパソコンで、実際に体験できたので、私は凄いと思ったのです。
 現在、私たちのほとんどが、当たり前と思ってきたマイクロソフト社製ウィンドウズの一連のソフトウェアには、まだまだ「当たり前ではない」いくつかの点があります。それらが「隠されている」と言うと、ちょっと人聞きが悪いかもしれません。けれども、さらに私の知っているいくつかの点については、後日改めて述べてみようと思っています。