私のプロフィール 語彙の少なかった子供時代

 私は、今でも手元に、卓上版という少し大きめの国語辞典を持っています。私がそれを買ってから、もう既に40年以上の月日が過ぎてしまいました。背表紙がボロボロになって、茶色のガムテープで引っ付けてあります。そんな古い辞書なのに、その書籍名は『新版 新選国語辞典 卓上版』となっています。それは、小学館の国語辞典で、金田一京助さんらの編集によるものでした。
 どうして、その辞書を買ったのかを、やっと思い出しました。中学生だったあの頃は、国語の教科書を読むと、意味のわからない言葉が多くて困りました。特に、中学2年の、太宰治さんの『走れメロス』になると、各ページの脚注に沢山、使われている言葉の意味が書かれていたのですが、文の意味を理解するためには、それだけでは足りませんでした。どうしても、国語辞典の力を借りなければ、小説の文章を読めなかったのです。しかも、通常の国語辞典では活字が小さくて、その頃から近視のために眼鏡をかけ始めた私にとっては、目にかかる負担を軽くするために、少しでも活字の大きい卓上版の辞書を必要としました。
 この国語の辞書を使うようになるまでは、私の知っている言葉の知識は、想像を絶するほど貧弱なものでした。それでも、小学校の中高学年の頃は、国語の授業で漢字を覚えるようになって、毎日日記を書くようにもなっていたので、(努力をしたのはそれだけでしたが)ややマシだったと言えます。問題は、小学校低学年の頃までの私でした。
 現在の常識では考えられないことかもしれませんが、私が、私自身の名前を知ったのは、5歳の幼稚園児の頃が初めてでした。私は、保育園に通ったことがありません。当時は既に、東京では保育園がありました。しかし、私の東京の実家では、当時はまだ、誰も幼稚園さえ行かせてもらえていませんでした。そういう時代だったのかもしれませんが、小学生になって初めて学校へ行くというのが、私よりも年上の人の子供時代だったようです。(ちなみに、私は、習字の塾に通ったことはあるものの、学習塾に通ったことがありません。自慢ではありませんが、予備校に通ったこともありません。学校の模擬試験で、2、3回、有名な予備校へ出かけたことはありますが、勉強を教えてもらいに行ったことは一度もありませんでした。)
 だから、私の家族のうちで、幼稚園に通うのは私が最初になりました。けれども、その頃の私は、まだ自己の意識のはっきりしない子供でした。ところで、近年私はJAのボランティア活動の一環として、地元の幼稚園の行事に参加する機会がありました。その時に知ったのですが、同じ組の園児たちにも個人差があって、意識がはっきりしている子供がいる一方、まだ意識がはっきりしていないで、大人しいけれどもボーっとしている子供がいました。つまり、幼稚園児の私は、まさに、そういう子供と同じだったのです。5歳当時の私は、記憶力も悪かったと思います。今でも、私自身の幼稚園時代のことは、ほとんど憶(おぼ)えていません。
 ある晴れた日の、幼稚園の外庭で、幼稚園の先生に、左胸に下げていたハンカチくらいの大きな白い布に、黒いマジックインキで書かれた6文字のひらがなを、声を出して読んでもらいました。先生とマンツーマンで、その読み方を教えてもらったのですが、その時に私は生まれて初めて、「く。ろ。だ。く。に。お。」という私自身の名前を覚えました。
 それまでの私は、家族からは「ぼく。」と呼ばれていたので、それが私の名前だと思っていたのです。また、近所の子供たちからは、「おまえ。」とか「あんた。」とか呼ばれていたので、何も不自由はしていなかったのです。
 その時の私は、ひらがなは読めました。でも、「たろう」でも、「じろう」でも、「はなこ」でもない、読みにくいひらがなの文字だな、と思いました。
 そして、小学生になってくると、意識する世界が広がって、語彙の貧弱さによる勘違いも多くなりました。そのようなことは、子供時代には、誰でも多かれ少なかれ経験することなので、珍しいことではないのかもしれません。人それぞれ、そのようなことは、いろいろと経験するのが当たり前だと言えます。
 私の場合はどうだったかを、具体的な例で述べてみたいと思います。小学校低学年の時に、知能テストとロールシャッハ・テストを学校で受けたことがありました。その時の検査の結果は非公開でした。しかし、そのテストを受けた私自身は、実は、そんなに良い成績ではなかったようです。テストの時間中に、ほとんど私は答えを書くことができませんでした。良くて、中の下の評価だったと思われます。あの時に優秀な成績を残せた子供こそ、IQが高くて、私立の中高一貫校へ進学していったことでしょう。
 私などは、『知能テスト』と聞いて、『知のテスト』あるいは『血のテスト』のことだと思っていました。「知力を測るために、血を取られるテスト」なのかな、と考えて、びくびくしていました。さらに、『東大』という言葉とその意味を知らなかったので、『灯台』のことだと勘違いしていました。「親戚の頭のいいお兄さんが東大を受験するんだよ。」という話しを聞いて、私は不思議な情景を思い浮かべました。「長髪でパンタロンをはいた若いお兄さんたちが、灯台の外に設置された螺旋(らせん)階段を、颯爽(さっそう)と胸をはって次々と上がっていく。」というイメージが頭に浮かんだのです。灯台の中に入って、灯台を守る人になるためのテストを受けることが、東大受験だと思っていたのです。変だと思ったら、大人に訊(き)けばよかったのですが、小学生の私には、そんな頭さえありませんでした。
 また、ある時に家でテレビを観ていました。イマイのサンダーバードのプラモデルの宣伝を、テレビで観ていました。すると、そのコマーシャルで「これは、きみのほこりだ。」というナレーションが入りました。私は、この『ホコリ』という言葉が、『プライド』という意味の『誇り』であることを知りませんでした。「きみのホコリだ。」と聞いて、衣服の肩にかかった『ちり』という意味の『埃(ほこり)』を片手でパッパと掃(はら)う仕草を想像していました。結局、『ほこり』って何だろうと、その言葉の意味に不可解さを感じるようになってしまいました。
 私は、小中学校の義務教育をさぼっていたわけではなく、ちゃんと真面目に勉強しました。けれども、そんな変なことを時折、考えていました。詰め込み教育のせいにしてはいけないとは思いますが、わからないことは、先生や親などの大人にもっと多く訊(き)くべきだったと反省しています。それを考えつくだけの知能(IQ)さえ、実は、無かったことが悔やまれます。