誤解されやすい言葉

 福祉、福祉と、よく使われるこの言葉は、言い方が簡素化されて、多くの人々の思考停止を招いてしまいました。すでに、私の子供の頃には、一般的に、福祉と言えば「高齢者の福祉」のことを意味していました。確かに当時は、高齢者の扱い方が大きな社会問題の一つになっていました。
 でも、日本国憲法の第十三条には「公共の福祉に反しない限り」とあります。この『公共の福祉』という言い回しは、和英対訳では”the public welfare”です。そもそも、その『福祉』という言葉の意味を、私の手元にある古い国語辞典で調べてみると、「さいわい。幸福。」と書かれています。例えば、『社会福祉』というふうに使われます。また、『福祉国家』というと、「国民の幸福を増すことを目的とする国家。」という意味になります。
 しかし、最近の某国の例をみると、何かおかしなことが起きている気配が致します。その某国の支配下になった地域の年金受給者が優遇されたり、貧困層の若者が軍の兵隊にさせられて戦地に送られたりという、とんでもないことをしでかしている『福祉国家』があるみたいです。その某国は、過去にも、XxXxX紛争後に、当地のインフラ整備を積極的に進めて、当地の人々から家族ぐるみで感謝されましたが、ちょっとここでは言えないような下心があったのかもしれません。戦争被害というものは、いつでも悲惨なものです。昨今の某国からの侵攻で、女子供の多くをいち早く国外避難させたU国は、XxXxX紛争時に起きた当地の悲惨な状況を観ていた近隣国の一つだったということを、敢えてここに記しておきます。
 話を『福祉』について戻しましょう。『福祉』の意味が、私たち一人一人の幸福を意味することから考えを始めましょう。それをよくよく考えてみれば、わかることです。生涯計画が計画通りに行けば実現する、などという単純なことではありません。『公共の福祉』とは(ぼんやりした意味で)「みんなのしあわせ」のことであり、「それを壊さないで、私たち一人一人が個人としての権利を主張し、あるいは責任を持つ」必要がある、と私は思うのです。
 ただし、ネットのウィキペディアなどを閲覧してもわかるように、この『福祉』という言葉については、いろんな方々による学説や意見があります。私のつたない考えなどは、それらの多くの厳密さと比較されるべくもないことは明らかです。ただ私は、一個人としての私なりに考えを示しただけです。だから、最初から絶対的なことを言うつもりはありません。
 実際、『福祉』という言葉は、高齢者を限定として、一般的に使われてきました。私が思うに、そのように一般的に理解されてきたことで、この『福祉』という言葉の意味や実態を発展させることも、成長させることもできなくしてしまったようです。言い換えれば、その言葉の意味の誤解と、その実態の空白が、私たち一人一人の幸福を発展させることも、成長させることも難しくしてしまっていると、考えていいのかもしれません。