英語で考える問題の本質

 STAP細胞の問題は、私たち素人の集まりでの話題にしやすいものの一つになっていると言えます。それが、かなり低レベルな話しのやり取りのため、ここでは割愛させていただきます。その代わり、(その素人の一人である)私がこの問題をどう考えているかを述べてみようと思います。
 「STAP細胞があるのか無いのか」「STAP細胞はあります」といった言葉のやりとりが、この問題の本質として語られています。そして、それは、理系の人間の主張として、はっきりしています。けれども、文系の学生だった私からすると、ちょっと補足しないとよくわからなく思われます。
 STAP現象があるらしいことは、理研でなくても、O氏でなくても、たとえあの論文が無くても、世界中の多くの科学者たちやその関係者たちから認知されていたことと思われます。STAP現象自体を否定しているのではないのです。STAP現象があるのだから、その現象から生じる「STAP細胞がある」のは当たり前のことと言えます。あの論文は、STAP細胞の現象論だったという説明がありましたが、まったくその通りだと思いました。
 私の持っている和英辞典で『現象』という言葉を引いてみると、こんな例文が載っていました。「単なる現象にとらわれず、物の本質を見極める」は英文で"look into the true nature of a thing instead of looking merely at its surface"と表現するのだそうです(小学館の和英辞典からの引用)。『現象』に当たる英単語は"a phenomenon"(複数形は"phenomena")が一般的です。
 見つけた現象そのものには、それほど大きな価値があるとは思えません。例えば、UFOを見たとか、超能力を知ったとか、おなかが痛くなったとかは、あくまでも現象です。UFOの正体とか、超能力がタネの見抜けないマジックだったとか、腹痛の原因菌とかは、調べたり研究したりして解明しないとわかりません。
 また、古代エジプト人が3:4:5に分割した縄をつなげて直角を作り出したとします。その古代エジプト人は、そうすると直角ができることを経験上、知っていただけだったのです。ただの経験則だったということです。どうしてそれが直角になるのか。あるいは、それを応用すると、他にもっと複雑なことができるのだ、ということを知りませんでした。
 経験則つまり経験上の知識や規則だけでは、他人に「現象として、こうなるよ。」というふうに言えても、少しでも条件を変えて「その現象」を再現できなかった場合に説明や釈明ができません。その意味でも、「その現象」の意味や理由や規則性を考え、あるいは、別の条件でも利用できないかと考えるのです。
 具体的には、「弱酸性の溶液に浸して」とか「細胞にストレスを与えて」という文言にも疑問があります。『弱酸性の溶液』と言えば、テレビのコマーシャルで「肌に優しい」弱酸性の液体洗剤などで有名です。また、私の地元のキュウリ農家さんの間では、植物を栽培する土壌のPHが弱酸性であることが、最適な生育条件の一つとして知られています。少なくとも、キュウリを栽培する農家さんにとっては、『弱酸性』という言葉はそれほど特別ではありませんでした。
 また、『ストレス』という言葉は、通常は「人間がストレスをためて病気になった」とか「ストレスが原因で病気になった」とかいうふうに使います。人によっては、医者が病人を診断して、原因がつかめない場合に「この病気はストレスからきているよ。」と言われるそうです。そのように使われる、便利な言葉だと思われることもあるそうです。私なんかも、経験則で『精神的ストレス』が原因で病気になったと思ってしまうことがあります。
 ところで、「細胞にストレスを与える」ということは、具体的にはどういうことなのでしょうか。細胞膜に圧力を加えることなのでしょうか。それで、細胞内の酵素アミノ酸が変わることなのでしょうか。とすると、それは、人間の肉体や精神に与えるストレスとどう違うものなのでしょうか。それらの疑問が浮かぶのは、『ストレス』という言葉が、都合よく使われていて、その意味するところがあいまいだという証拠だと思います。
 つまり、現象の状況説明だけでは、科学的な考え方として不十分だと思います。そこのところを事実に即して、解明して、わかりやすく説明すべきだと思いました。
 話を本題に戻します。今回「STAP細胞はあります。」というO氏の言葉には説得力がありませんでした。もし仮に、説得力のある科学的根拠があるとするならば、英語訳でどう伝えられるかを示してみましょう。仮に私だったら、こう表現します。"The STAP cells phenomenon is already under control."
 どこかで見て聞いたような表現かもしれませんが、「これぞ世紀の大発見!」として伝わってしまうくらいの英語表現だと思います。ある意味、それは危険なことかもしれません。けれども、科学者であったならば、それくらいの確証が得られるくらいの研究内容を実現して欲しいものです。