長野県で余り自慢していない長野県のこと

 私は、東京生まれですが、今は仕事の関係で長野県に住んでいます。そんな単身赴任みたいなことを言っていますが、そんなわけで郷土愛といったものは感じたことがありません。同じように、地元の人たち、すなわち、長野県民(信州人)を見ていると、何とも謙虚な感じがします。あまり地元の長野県に関連したことを、大っぴらに誇張して自慢にすることが少ないようです。「灯台下暗し。」と言いますか、地元長野県に住んでいるにもかかわらず、そのようなことに関心が薄いためなのか、それとも、本当に知らないためなのか、地元に関連した物事をそれほど大げさに自慢話の種にはしません。
 そこで、私が、失礼ながら彼らに成り代わって、目新しい情報ソースにもとづいて、長野県(信州)のお国自慢をしてみましょう。すると、さしずめ二つ三つ思い浮かぶことがあります。
 まず、プロ野球東北楽天イーグルスの聖澤選手のことを書きます。聖澤選手は、長野県千曲市の出身で、地元の松代高校から國學院大學に進学しました。松代高校と言えば、私の母の母校でした。昨年末には、当校の校報が、東京の私の実家の母のもとに郵送されてきました。その校報の見開きいっぱいに、聖澤選手の特集記事と写真が載せられていました。昨年末、長野県にいた私は、たまたまテレビのニュースで、聖澤選手の凱旋帰郷を知りました。その時に初めて、彼が長野県出身の数少ないプロ野球選手の一人であることを知りました。
 他に誰かいるかというと、オリックスの金子投手くらいしか、私には思い浮かびません。金子投手は、去年たまたまテレビで見たことがありました。オリックス日本ハムで、あの二刀流で話題をさらっていた日ハムの大谷選手を打ちとっていました。
 記憶もまだ新しい昨年のプロ野球日本シリーズ楽天対巨人の試合を思い返してみましょう。東北楽天イーグルスの一番バッターは、聖澤選手でした。そう言われて「そうだったのか!」と思い出す信州人の方も多いと思います。東北楽天イーグルスというと、星野監督や田中投手や嶋捕手を、まず思い浮かべる人が多いと思います。彼らの貢献があってこそ、日本一になれたと、まずは考えられるでしょう。けれども、楽天の一番バッターの聖澤選手が、巨人のエリート・ピッチャーたちを打ち崩して活躍したからこそ、巨人との試合に勝てたということも見逃せませんでした。日本シリーズの試合をテレビで観ていて、少なくとも私はそう思いました。
 話は変わりますが、長野県外からやって来たある知人の話によると、長野県佐久市の布施・望月の長者原(ちょうじゃっぱら)という所へ行ったところ、地平線が見えてびっくりしたそうです。北海道でなきゃ地平線なんか見えないと思っていたのに、これはどうしたことかと考えたそうですが、兎に角その光景に感動したそうです。
 高い山や台地に登ると、その先に山ばっかり見えそうですが、あたり一面に高原が広がっていることもあるのです。近年は、川上村や野辺山の方面のように、一面レタス畑(今はまだ雪野原)になっていたりしますが、小さな山国の日本とは思えないほどの光景に感動してしまうのは、その知人だけではなかったはずです。
 昔、長野県では、小諸市から浅間山とは反対側の方角へ登って行った所にある、御牧ケ原(みまきがはら)という場所に、満州開拓団に参加する人々を集めて研修を行ったそうです。広大な中国の大地を想定しての、場所の選択だったのかもしれません。現在そこは、避暑地で別荘地になっていますが、そこには、狭い日本とは思えない壮大な高原が広がっています。ただし、冬は寒くて、雪に埋(うず)もれて、凍結した坂道・山道は、車両通行止めにしないと危険な場所になります。都会化や人間社会の成熟化を拒む自然の厳しさがあります。その点は、人間社会にとって、寒さの厳しすぎる北海道の大地と共通するものがあるのかもしれません。
 以前、作家の田中康夫さんが長野県知事をしていらした頃、しなの鉄道では『何となくクリスタル列車』というものがあったそうです。ただし、その『クリスタル』のイメージは、「水や空気がきれい」と言われる長野県のイメージにはそれほど結びつかなかったようです。残念なことだったと思います。もちろん、長野県の水や空気が、都会の人々が考えている清浄なイメージとイコールなのではありません。実際は、バクテリアや細菌やウイルスが、うじゃうじゃいるわけです。けれども、あくまでもイメージとして、長野県の水や空気は、きれいなわけでクリスタルなのです。
 私も、その生き証人の一人なのかもしれません。十数年前のある日の昼下がりに、私はしなの鉄道に乗車して、小諸から長野へ移動したことがありました。その途中の、名もよく知らない駅に停車した時、ふと窓から外を見ると、明るい陽射しが、下に流れる透き通った川の表面でキラキラと光っていました。その向こうには、古い屋敷の長い壁が白く輝いていました。その手前で何本も並んだ柳の木の、薄緑色の長細い葉っぱが何枚もサラサラと、見えない微風(そよかぜ)に揺れていました。その光景は、光と水と空気がきれいでクリスタルだったからこそ、実際は何気ない景色でしかなくても、美しく見えたのかもしれません。
 したがって、長野県をアピールするための名称のうちに、「クリスタル」の一言が誇張してでも使われてこなかったことは、私にはちょっと残念な気がしました。仮に「クリスタル鉄道」とか「クリスタル遊歩道」とか名づけたら、長野の県民性からすれば恥ずかしさが先に立って、なかなか口にできるものではないのかもしれません。しかし、全国的に長野県を積極的にアピールしたいのであれば、そんなことを恥ずかしがってはいられないと、私なら思うのです。