長野県に戻ってみて

 東京の実家へ帰省して、秋葉原にも行ったし、墓参りにも行ったし、上野にも行ったし、柴又にも行ったし、矢切にも行ったしで、思い残すことはないな、と思って、長野県の上田に17日の夜に戻りました。自宅から3時間半の移動ですんでしまったのですが、それからが大変で、やらなければならないことが山済みです。明日から少しずつこなしていくしかないな、と思いながら、まずは主婦の役割の一つをやろうと考えました。
 まず、炊飯器で三合ご飯が炊けるようにしました。小さな冷蔵庫の中を見たら、梅干と味噌と調味料しかなかったので、閉店ギリギリのスーパーへ買い物に行きました。カレー用牛バラ肉と小さな玉ねぎを買って、20分くらい煮込んで、以前買ってあったカレールウを入れて、カレーライスを作りました。玉ねぎは、北海道産での小玉で3個100円でしたが、血液さらさら効果を期待して、一玉10秒で包丁で刻んで(そうすると目が痛くならない。)、鍋に入れてみました。別に食材を節約しているわけではありませんが、栄養の最低限のバランスは考えているつもりです。また、気温などの環境が急に変わると、胃腸を壊すことが多いので、スーパーに行ったついでにヨーグルトと納豆を買っておきました。
 昨晩やったことは主にそんなことでしたが、今日はお昼前に、お世話になっている地元の農家の80代のお爺さんの家に(ちょっと遅いけれども)年始の挨拶に行きました。今年一年の作業計画のおおまかな相談をして、それに対するアドバイスをうけたまわるためでした。実際には、その用件だけでは済みません。世の中の時事的なことから、身近な関係者すなわち親戚や家族の近況や過去のいきさつまで、いろいろと話をします。さして重要でないことも、かなり重要なことも、一緒くたに聞いたり話したりするのが、いわゆる長野県人の流儀なのです。案の定、私がおいとまする頃には、すっかり日が暮れてしまいました。
 実は、私は長話をすることに慣れている(と言うか、小さい頃から慣らされている)ために、たとえ長い議論や話し合いの末に何も結論が出なくても気にしない人間にいつしかなってしまいました。特に、私の母は、長野県の地元の高校を卒業して東京へ出て来たにもかかわらず、「話が長い」というこの長野県気質を捨て切れませんでした。当然その気質を自覚していません。今でも私は実家へ帰ると、母からどうでもいいことをあれこれ長々と聞かされます。話があっち飛びこっち飛びで、伝えるべき大切な事柄の核心に迫らないで、その周辺でうろうろしているような話をいつも聞かされます。そういう話を聞くことに慣れていない人は、ものすごく疲れます。時間の無駄だと感じることでしょう。
 ですから、私が長野県人とつきあうためにとっている方策は、相手との意見の一致不一致にかかわらず、とにかく相手の話に耳を傾けることです。相手からの話が気に入る気に入らないにかかわらず、それを無視しないことです。それと同時に、相手の話を聞いて、大事な事柄について少しでも疑問があったら、どんなにつまらないことでも訊(き)いてみることです。理解できるまで、とことん相手に訊くことです。
 たとえ話が堂々巡りで結論が出ないムダ話になっても、たとえそれが時間の浪費であっても、長野県人と話し合うことは重要です。気の短い人やせっかちな人にとっては、長野県人は付き合いにくいかもしれません。でも、長野県人と話を長々と続けて行ければ、うまくコミュニケーションをとれるようになると思います。長野県人と仲良くなりたい他県の人は試してみてはいかがでしょうか。