私のプロフィール 人の気持ちは変わるもの

 以前Eテレの『ハーバード白熱教室』という番組で、マイケル・サンデル教授による政治哲学の講義を何回か視聴しました。その番組の大学の講義によると、ユーティリタリズム(功利主義)・リバタリアニズム(個人的自由主義)・コミュニタリアニズム共同体主義)の3つの政治哲学が考えられるのだそうです。それそれの詳細については、ここでは割愛させて頂きますが、当番組では、それらの歴史的説明の後に「あなたならどれを支持するか。」という問いかけがあったと思います。
 講義内容が、日本の中学・高校レベルではなく、大学レベルであったので、日本の国政選挙や地方選挙の投票などに役立つものではありませんでした。けれども、こうした政治的な哲学・思想は、別の目的で活用できそうな感じが、私にはしました。国家や地方の政治とは直接関係ないと考えられる、私たちにとって、もっと身近で日常的な気持ち、すなわち、生活意識を考えてみると、そうした3つの考え方のいずれかが、おおよそ当てはまるような気がしました。
 そこで、私自身のこれまで生きてきた人生がどんな生活意識に支えられてきたかを、上の3つの考え方に当てはめて考えてみることにしたというわけです。以下に、その変遷と功罪をなるだけ簡潔に述べていきましょう。
 まず、10代の頃ですが、ユーティリタリズム(功利主義)的な考え方のようでした。と言うよりも、エゴイズム(利己主義)的な生活意識のようでした。そんな私は、周りに他人がいてもいなくても、気持ちが寂しくて、孤独な少年でした。そして、他人と交わるよりも、一人で日記を書いたりすることが、好きな青年になっていました。気づいてみれば、私が日記の世界の中で遊ぶようになったのは、あの頃からだったのかもしれません。
 それから20代と30代の頃は、社会に出てサラリーマンとして働くようになりました。その頃は、兎にも角にも会社のために働いて、社会に貢献しようという考え方でした。そのために、がむしゃらになって仕事をしていたので、仕事に直接関係の無い他人のことを気にかける余裕がありませんでした。結果として、リバタリアニズム(個人的自由主義)的な生活意識に支えられていました。人一倍仕事はできるけれども、最終的には、他人から反感をかって、40代になる直前でサラリーマンを辞めなければならなくなりました。
 そして、40代と50代の頃になると、第2の人生などと言うと聞こえは良いですが、今までとは畑違いの仕事に就くこととなりました。東京でいくつか就職先をさがしたものの、年齢的なものや先方の条件とのミスマッチのために、働き口が見つかりませんでした。本当を言うと、就農を希望して1,2年間は、まだ体のほうが出来ておらず、農家さんにも「この人、就農してやっていけるのか。」と思われていたそうです。
 長野県の上田で就農して2年後に、そうした農家さんの一人に再会しましたが、私はこんなことを言われました。「それだけ体が出来ていれば、うちの娘と結婚させればよかった。」それを聞いて、私は耳を疑いました。なぜならば、私は、その農家さんに娘さんがいるのを知らなかったからです。実は、5ケ月間、私が農家研修に来る日だけ、その娘さんが私と出会わないように隠していたのです。その用心深さは、「流石は長野県人!」とほめててあげたいくらいでした。しかも皮肉なことに、私がその農家さんと再会したのは、私より若い農家研修生とその娘さんが結婚するというのいうので、その御呼ばれで行った折のことでした。
 私は、東京生まれで東京育ちですが、父母と祖父母は皆、長野県人です。東京の実家では、そこだけが陸の孤島の長野県のような環境で育てられました。そうした家庭環境と、他県の血が全く入っていない私は、長野県の人たちにからはよそ者と見られてしまいましたが、実は、長野県人の気質や性格、つまり、彼らが心の底で何を考えているのかを、誰よりもよくわかっていました。
 仕事の基本は、依然としてリバタリアニズム(個人的自由主義)的な生活意識に支えられていましたが、それゆえに、とてもつらい思いをしました。そこで、孤立無援で独り者の私は、仕事以外の活動で、コミュニタリアニズム共同体主義)の生活意識になろうと考えたわけです。そんなわけで、皆が引き受けるのを敬遠していた、地域の活動の支部長を引き受けて、地域の活動に参加したりしています。地元のボランティア活動に参加したこともあります。
 これまでのリバタリアニズム(個人的自由主義)的な生活意識では、自らの生存や生活を守るために他人を蹴落とすことを良しとしていました。しかし、このことは、個人を孤立化させたり、うつ病などの心の病に陥らせる原因となってしまうようです。そうした危機にさらされて、これまでの私は生きてきました。その不安定な心理状態では、いつ犯罪者や自殺者になってもおかしくなかったかもしれません。
 しかし、他人と普通に関わり、「他人が怖くなくなる」という精神状態になれれば、考えの違う他人と協調するという意識も生まれて、精神状態が安定します。何よりも、他人を馬鹿にしたり軽視したりすることがなくなります。気づいてみれば、他人から私自身がいじめられたり攻撃されたりすることもなくなっていました。
 このようにコミュニタリアニズム共同体主義)の考えやその意識は、私の場合は、若い頃は必要なかったかもしれませんが、いろんなことに限界が見えてきた現在では、私自身が生き延びていくために必要な考えやその意識となりました。単なるボランティアではなくて、あくまでも周りと協調していくことが大切と思われます。私が最近になって、学校時代の同級生に会うために、東京で開かれる同窓会に行くようになったのも、そうした考えやその意識の延長にあるのです。
 40年ぶりに会いに行く『昔の知り合い』であるかつての同級生は、男であっても女であっても、配偶者や子供や孫もいるわけです。未婚で、そうした家族を持たない私が、彼らに会うのを怖がらなくなったことには、それなりの理由があったと思います。それは、他人を横から眺めたり、斜めから見たりできるようになったからだと思います。長野県では、地域の活動に参加して、いろんな話や情報を取り入れつつ、考えの違う他人と協調して活動することを覚えてきました。このことが、そうした機会にも生かされているとみることができるのです。