ケネディ神話について私の知っていること

 ケネディ新駐日大使を見たさに日本人の人垣ができたというテレビのニュースがありました。どうしてそんなに日本人に人気があるのか、不思議に思う人も少なくなかったことでしょう。しかし、現在52歳の私より年齢の上の日本人にとっては、誰もが知っていることがあります。もしも、歴代アメリカ合衆国大統領の人気総選挙をやったならば、私より年齢の上の日本人はジョン・F・ケネディ元大統領(ケネディ新駐日大使の父親。以下、ケネディ大統領と略記します。)を一位に選ぶと思います。それはなぜなのか、考えてみましょう。その理由として、ケネディ大統領が暗殺された事件を思い出す人もいると思います。確かに当時それは衝撃的な事件であったと思います。けれども、歴代アメリカ合衆国大統領で暗殺されたのは、ケネディ大統領だけではありませんでした。
 以前、ポルノグラフィティさんの『アポロ』という曲がありましたが、私以上の年代の日本人でNASAアポロ計画を知らなかった人は皆無だったと言えます。1961年(私が0歳の赤ん坊の年)に「この十年の内に、人間を月に立たせる」と公約したのは、まぎれもなくケネディ大統領でした。しかも、1969年に、アポロ11号で実際に人間が月に行って月面で活動している様子を、7月下旬のお昼にテレビの衛星中継で多くの日本人は見ていました。その後、アポロチョコというお菓子が発売を開始しましたが、その円錐形はまぎれもなくアポロ宇宙船の指令船を模(かたど)ってデザインされていました。さらに、アポロ宇宙船が持ち帰った『月の石』は、1970年の大阪万博や、東京上野の国立科学博物館で特別展示されて、多くの日本人が見に行きました。
 当時、ソ連との宇宙開発競争をしていたアメリカ合衆国国威発揚のために「人間を月に立たせる」と明言したケネディ大統領は、資産のある名門の家の出身で、ずば抜けて頭が良い大統領だとウワサされていました。私が母から聞いた話によると、ケネディ大統領は頭が良くて、英文の文書を斜めに読んでその内容がわかったそうです。その話の真偽は今になってもわかりませんが、それほど頭が良い人物であったと当時は言われていたようです。
 その後、高額な予算の関係で、アポロ計画は終わってしまいましたが、「人間が月に行く」ような時代になったと、科学技術の力を大きな夢につなげる人々が急激に増えたような気がします。同様に、原子力エネルギーに対する期待も、そのようなタイミングで高まった経緯(いきさつ)がありました。もちろん、東日本大震災とその津波でそのことを忘れてしまった日本人も多かったようですが…。
 いずれにしても、「人間を月に行かせる」というケネディ大統領の公約が最初に無かったならば、そのような偉業も達成されなかったでしょうし、宇宙開発や科学技術に対する信頼感も多くの人々の心に生まれなかったと思われます。ケネディ大統領の人気に関しては、世の中で様々なことが言われていますが、アポロ計画による宇宙開発の成功とケネディ神話とは、どこかしらで繋(つな)がっているのではないか、と私には思えるのです。