"My Days for You"にあえて挑戦!! (後編)

 真野恵里菜さんの"My Days for You"のイングリッシュ・カバーにあえて挑戦してみました。さっそく、その成果を見てみることにしましょう。



     "My Days for You (感謝の気持ち)"



I would show you my secret feelings
Would you take it from me ?


You know , I wonder
I've wasted much time to come this way
I've never hurried on my way
That's the reason why I've not missed you ,
'tis lucky for me !


(Once in a while)
I happened to trip over something and fell down
Then you were looking at me truly
You encouraged me to clench my teeth
You kept me from much pain


I used to weep , losing my temper ,
but you're kind enough to sympathize with me
I was deeply moved by your kindness
I hope you know how deeply I'm gratiful to you !


I would like to make a bunch of flowers
and these flowers are in full bloom between you and me
I would like to give you them
so you must find a feeling of thankfulness
(My days for you !)


Thank you for watching over me ,
every time you remember me
Thank you for bringing up me ,
when you see me in this way


I would show you my secret feelings
Would you take it from me ?



You had been waiting sincerely for me for a long time
Then I was sorry I hurt your feelings
Keeping your temper ,
you calmly told this story to me


(You said to me !)
We'll see the sunshine soon after the raindrops
We will grow to know each other better
For the bright future ,
the sun will be shining brightly and high up in the sky


When you can feel , carried on the breeze ,
you can cross a rainbow bridge , and
you can fly freely
I would like to show my delight to you
At the top of my voice , I'll express my joy !


I would like to set my lovely words to music
These come from the simple friendship between you and me
I would like to sing for you
This love song will make you have a happy fancy !
(My song for you !)


Thank you for giving me your sweet smile
when I meet you
Thank you for supporting me warmly
when you can see me
I can see you and can hear your voice
I've a happy time !!


Any moment I hope you notice me
I hope you are always looking to me
Within your sight , I'll attract your attention
Wouldn't you say yes to me ?
( ... My days for you !)


I would like to make a bunch of flowers
and these flowers are in full bloom between you and me
I would like to give you them
so you must find a feeling of thankfulness
(My days for you !)


Thank you for watching over me ,
every time you remember me
Thank you for bringing up me ,
when you see me in the same way


I would show you my secret feelings
Would you take it from me ?


I will show you them more and more
Please take it from me !
(Uh .... My days for you ! ... My days for you ! ... )



 イングリッシュ・カバーのサブタイトルを、簡単な日本語にしてみました。私はよく見かけるのですが、日本語の歌のサブタイトルが横文字になっていることがあります。その逆パターンだと考えるとよいでしょう。
 今回の挑戦で一番困難に思えたことは、英訳して四行から六行くらいで一つの固まりになるはずだった一連のフレーズをどう訳していって意味を持たせるか、かつ、どうメロディーに乗せるかということでした。その固まりによっては、オリジナルの日本語の歌詞がズルズル続いていって、訳しにくく、しばらく私は翻訳できずに空白にしていた部分がいくつかありました。
 そのうちの例えば、「…してくれていて、ありがとう」のフレーズは、私の訳詩では二行に分けて表記してありますが、実際に歌った場合は、その二つに切った箇所で休止符もしくは息つぎは入りません。すなわち、その二行が一続きで、つまり、一行分として歌われます。このようにオリジナルの日本語の歌詞では、一行(一フレーズ)に使われる言葉が長くて、だらだら続くので、英訳した場合は二行もしくは三行に文を分けている部分があります。また、それとは逆に、途中で休止符や息継ぎが入るオリジナルの日本語歌詞のフレーズを一行の英文にした箇所もいくつかあります。だから、今回のイングリッシュカバー曲では、訳詞のどこで休止符や息継ぎが入るかが全体的にやや不規則になっていると思います。それだけ、今回課題にした曲のメロディーの流れが単調でなく、やや複雑で変化に富んでいるという証拠だと言えます。けれども、それゆえに、注意しないと歌いにくいかもしれません。
 もっと気になることに目を向けてみましょう。歌詞の冒頭の一行目からして、英訳していることの意味が違うんじゃないか、と言われそうだ、ということです。それに対する私の言いわけは、こうです。相手に感謝の気持ちを示したいと思っているのに、それが「止まらない」と表現するのは芸術的ではあるけれど、実際のところ、個人の主体性に乏しいのではないか、もしくは、控えめすぎるのではないか、という考えがありました。
 よく日本人は、外国人から「控えめすぎる」と、その国民性を批判されます。自らの行ったことや考えたことには、もっと主体性を持つべきだ、あるいは、暗黙でわかっていることなのかもしれないけれど、もっと主体性を持った態度で、あえてそれを表明すべきだという指摘です。「こみあげてくる感謝の気持ちが、私の心の中で止まらない。」と日本語で表現するのは、それは誰でも自由です。ですが、「いったい誰が相手に感謝したいと思っているの?」と誰かに問われた場合は、「私です。」と主体性を持って答えてほしいものです。
 実は、この「止まらない」の英訳として、「私のこの気持ちを隠しておけない」くらいの意味で"I can not keep my feelings secret"とか"I can not hold my secret feelings"というような表現も考えたのですが、、英語の表現および文脈としては、それでも主体が控え目すぎる感じがしました。私(主体)のその気持ちを受け止めてほしい、と次に続いて言っているのですから、最初にそんなふうに表現しては、そういう私(主体)自身の気持ちをコントロールできずに相手に丸投げしている感じになってしまい、感謝を示す気持ちに主体性が感じられません。もちろん、それでも日本語で意味するところを訳した文としては正しいとは思いましたが、翻訳上の英語表現としてはちょっと気になってしまいました。堂々と自己主張していいケースだと思いました。
 結局、その点に留意したニュアンスを込めて、私の場合は「私のこの、心にひそかに秘めていた思い(つまり、あなたへの感謝の気持ち)をあなたに見せましょう。あなたは、そんな私の言うことを受け入れて(信じて)くれますよね。」というくらいの意味の英訳にしてみたわけです。なお、ここでの、"take it from me"は、「私の言うことを受け入れる(信じる)」という意味の決まり文句です。
 次に説明するのは、"temper"の使い方です。「(一時的な)気分、きげん」や「(永続的な)気質、気性」という意味を表すこの言葉は、「平静、冷静、落ち着き」の意味でも使われます。すなわち、"lose one's temper"で「平静さを失う、腹を立てる」、"keep one's temper"で「平静さを保つ、我慢する」と表現します。私の経験から申しますと、気の弱い、弱虫な人間ほどちょっとしたことでイライラして(つまり、平静さを失って)かんしゃくを起こしやすいと思うのです。ですから、「泣き虫で弱虫な私」の英訳は、「私は泣き虫で、弱虫でした。」という表現でももちろん良いのですが、ちょっと表現のしかたを捻(ひね)って、「(過去の)私はいつもめそめそしていて、しかも、かんしゃくばかり起こしていた」というふうな意味の表現にもできると思いました。
 ところで、「信じる心に咲く花と/思い出の花を集めたら…」以下の一連のフレーズをどう訳すかということですが、もちろんそのまま素直に単語に合わせて訳すのもありだと思います。けれども、私の場合は、その文言で言いたいことをまとめて、「あなたと私の間に咲いている花を花束にして、あなたにあげたい。そうすれば、あなたは感謝の気持ちを知るにちがいない。」というふうに、あえて意訳しています。英語で下手な比喩(ひゆ)を使って申しわけありませんが、『信じる心に咲く花』とか『思い出の花』という日本語の比喩(ひゆ)をそのまま英語で伝える自信が私にはありませんでした。同様に、『音符のかけら』という喩(たと)えも、"music"と、英語では直接表現しました。
 また、「遠回り」と「歩いてきた」という言葉を含むフレーズを、空間的な距離の長さから時間的な長さに言い換えて、"I've wasted much time"(時間がかかった)と"I've never hurried"(急がなかった)に変えてみました。オリジナルの日本語の歌詞と意味するところとは、ほぼ同じだと思います。私個人の好みでしかなかったかもしれませんが、そのような時間的な長さで表現したほうが、英語では表現しやすく思いました。
 「それだけで涙も勇気に変わるの」というフレーズは、"With just that, even my tears turns into couradge."でもかろうじて意味は通じると思いましたが、私は別の表現を考えてみました。「あなた(のその存在)が私を元気づけてくれたので、歯を食いしばった。(または、歯を食いしばってがんばれと励ましてくれた。)/(そしてまた、)あなた(の存在)は、私をすごい痛みから守ってくれた(または、防いでくれた)。」と具体的な状況を表す言葉に変えてみました。なお、その「歯を食いしばる」(clench my teeth)は、本来は「涙を抑える」(hold back my tears)とするべきでしたが、歌詞の音数が後者では一つ多いため、前者のほうを採用しました。
 「雨の中待っていてくれた」で始まる一連のフレーズも、ちょっと疑問に思われるかもしれません。「雨の中」にあたる言葉が無いではないか、と指摘されると思います。私がそれを訳すの忘れてしまったと受け取られても仕方ないのかもしれません。けれども、そのフレーズで本当に言いたかったことは、(雨の中で)あなたは「長い時間を辛抱(しんぼう)して、真面目に」私を待っていてくれた、ということだと私は考えました。よって、それを表現した英訳になったということなのです。私の見落としではないということをここで明らかにしておきます。
 よって、私の訳詞では「相手を待たせて、相手の気を悪くさせちゃった(相手の気持ちを傷つけた)と気の毒に思っていたのに、相手は冷静な態度で(もしくは、我慢して)穏やかな口調で次のような話をしてくれた。」というふうな流れで続く英文になりました。そのように、あえて少し理屈っぽくしてみました。最近、私はテレビのニュース情報番組で、ホストクラブの人がお見合いパーティの講師をつとめたというレポートを見ました。「恋愛は、心(ハート)でするのではなく、頭で考えてするんだよ。」みたいなことを彼は言っていました。私も、いち早くその考えを取り入れて、今回の訳詞としてそれを応用してみたというわけです。
 さて、それでは、『太陽の階段』という言葉を含むオリジナルの日本語歌詞の一連のフレーズを検討してみましょう。かつて、H2Oさんの『思い出がいっぱい』という曲中で「大人の階段のぼる/きみはまだシンデレラさ」というフレーズがありました。私はふとそれを思い出しました。その『大人の階段』とは、まだ少女である『きみ』の現在生きている様子をイメージ(もしくは、象徴)している言葉です。その悩み苦しみながら成長していくさまを『大人の階段』という言葉に例えています。その連想から『太陽の階段』を考えてみると、曲中の『僕たち』の関係も悩み苦しみながら成長発展していくものであり、それをその語句一言で簡潔に例えている、というわけです。
 常識的に考えて、ただ太陽に向かって階段があるというのは変です。それは、何かわけのある芸術的な表現と見るべきでしょう。要するに、こういうことだと思います。『太陽の階段』という芸術的な表現は、「明日があって、明るい未来のある『僕たち』の絆(きずな)は、多少の困難があっても、それを乗り越えて、発展していくものだ」という考えをイメージ化しているのです。そのように表現していることを押さえてさえおけば十分だと、私は思いました。よって、私の翻訳では、『階段』を意味する言葉は省略して、そのかわりに「互いにもっと相手をよく知るようになる」みたいな表現にしてあります。
 それに関連して、『虹色アーチ』についても考えてみたいと思います。その言葉からイメージされるのは、当然のことながら空にかかる『虹』です。「虹をわたる」とは、当然のことながらファンタジーの表現であって、本当に空にかかる虹を渡れるわけではありません。それでは、どんな心境を表しているのでしょうか。その答えの一つは、こうです。かつて、天地真理さんの『虹をわたって』という曲中で「虹を/ランランランランわたり/愛を胸に/あなたのもとへ」というフレーズがありました。すなわち、「虹をわたる」とは、幸せや喜びや愛を抱く気持ちを例えて表現している語句であることがわかると思います。言ってみれば、それは天にも昇るような気持ちかもしれません。現実では決してありえませんが、「虹色アーチをわたれたら」というフレーズは、そうした高揚した気持ちになれたらという意味にとってもよいかもしれません。
 そこで、その英訳に関しては次のような注意が必要になります。アーチ(arch)という言葉は、通常は門のアーチや弓状のものを指します。厳密に言うと、アーチは渡るものではなく、くぐるものです。渡れるのは『橋』(bridge)です。すなわち、「虹色アーチ」は、厳密に表現すると「(アーチ状の)虹のかけ橋」ということなのです。それを踏まえて、私の場合は'a rainbow bridge'と書いてみました。ちなみに、東京のお台場にかかるあの橋の名称とは別です。
 ところで、「あなたがいることに、ありがとう」とか「このまま、あなたのそばにいていいですか」といったフレーズがオリジナルの日本語歌詞にはありました。それらのフレーズは『(あなた、或いは、私が)いる』という言葉を含んでいます。が、その『いる』を英訳するのは簡単そうで難しいと思います。"Thank you for being here."とか"May I stand(または、stay) by your side?"とか言うのかもしれません。しかし、私の場合は、「あなたを見れて、その声を聞けて、私は楽しい時を過ごしている」、および、「あなたの見ているところで、あなたの気を引くつもりです。いいよ、と言って(承諾して)くれませんか?」という意味の英文でそれぞれを表現しました。
 この歌の最後のフレーズ「これからもどうぞ、よろしくね」をどのようにして訳したかを説明しましょう。その歌詞で一つ前のフレーズ、つまり、「止まらない、この気持ち/受け止めて」というフレーズと関連づけることが自然であると誰もが気づくと思います。メロディーも、ほぼ繰り返しっぽく聞こえると思います。そのフレーズの訳文は、その一つ前のフレーズの訳文を踏まえて、"would"を"will"に、"Would you 〜 ?"を"Please 〜 !"にしました。すなわち、ていねいな表現から少々気持ちを前に出して、(曲の結びのフレーズになるので)やや強めの語調に表現してみました。さらに、"I will 〜 more and more"すなわち「もっと(もっと)〜しますよ。」という意思未来形で「これからも…」という感じを表現してみました。しかしながら、そのような訳し方はインチキだ、という人がいるかもしれません。
 少しばかり、私の若い頃の経験から述べておきましょう。私は、二十歳前後の頃は、文学部英文学科にいて、いくつかの英文解釈の授業に出ていました。その頃に出合った英文テキストには、辞書を引いてもわからない語句とか表現とかがいくつもありました。その授業の担当の先生に聞くのですが、その先生からも確かな答えが返ってこない。どうしたものかと考えるのですが、その前後の文の意味内容から推測するという方法をしばしば使いました。それでもわからない場合は、全体の文脈から考えて、そこはこういう意味内容だろうと推測しました。つまり、辞書を見ながら訳してみて「変だなあ」と少しでも思ったら、その周辺および全体の英文を見てみる、ということをよくやっていました。今回は、あの頃とは逆方向で、和文を解釈して、英文の訳詩にしてみる作業でした。でも、考え方のパターンとしては、あの頃よくやっていた方法と同じであり、その推測方法を和文(オリジナルの歌詞)に適用しただけのことだったわけです。文章にしても、訳詩にしても、その一部分が全体から見て整合がとれていれば、内容がちんぷんかんぷんにならないだろう、という思惑が私自身にあったことは明らかです。ズルいと言ったら、ズルかったかもしれません。
 今回の曲に関連したネット動画のコメントを見ていたら、「西洋のポップ・ミュージックとは違う」みたいなことが英文で書いてありました。私から見て、日本のポップスというと、日本語の歌詞の中にアルファベットの横文字が入っていたり、メロディーや伴奏が西洋の音階でできていたりする、そういう音楽をイメージします。従って、日本人である私は、J−POP、つまり、日本のポップスは洋楽、特に欧米のポップスの影響を受けて作られてきたものと思っていました。動画のコメント中の英文で、「この曲は、西洋のポップスとは違う種類の、日本独自のスタイルである」という意見を読まされると、「あれっ」と思ってしまいました。
 その動画コメントが正しいとするならば、一体J−POPの立ち位置というものは、どこにあるのでしょうか。しいて、私の意見を述べるならば、日本の伝統的な音楽の系列(例えば演歌など)からすれば、こうした曲は、洋楽に近いように思えます。今回のように歌詞を英文にすれば、西洋の音楽とさほど変わらないじゃないか、と思い込んでいるくらいです。逃げ口上かもしれませんが、そうした事柄を理論的に解明するのは、音楽評論家の方々にお任せしたいと思います。
 西洋のポップ・ミュージックを日本人の私が聴いた時に感じるある種のムード、それと同じようなムード、もしくは、そのムードの一部を日本のポップ・ミュージックを聴いた時にも、私は感じているのかもしれません。音楽の理論上のことは、音楽評論家ではない私にはさっぱりわかりません。けれども、洋楽を聴く日本人としての耳は、私にもあると思います。
 従って、正しいか間違っているかは別として、次のように私は考えるようにしています。この曲をも含めて、日本のポップ・ミュージックというものは、「洋風とも言えず、和風とも言えない中途半端なもの」ではないと思います。そう考えるよりも、「洋風とも和風とも見てとることの出来るマルチなアート」がその実体なのではないかと考えています。しかも、それは西洋に無いものと日本に無いものが相互に補われて、ちょっとだけ贅沢(ぜいたく)な感じがしていると思います。