”Both Sides Now”の日本語カバーに挑戦!

 この原曲の作者ジョニー・ミッチェルは、1970年代の反戦運動に熱心だったため、U.S.A.政府の治安当局のブラックリストに載ってしまったそうです。私はと言えば、反戦でも好戦でもありません。したがって、今回この作者の唄を日本語でカバーする際において、そうした政治色やイデオロギーとかに触れないようにしたいと思います。あくまでも、彼女が作った作品の内容に即して、その作品を英和翻訳して読み取れるものは何かを明らかにしたいと思います。また、日本語カバーする際に私が注意を払った点についても、簡単に述べてみたいと思います。この原曲は、いろんな人が日本語翻訳もしくは日本語訳詞をしているので、下手な訳詞を書いたら大変だと私は思っていました。そうであっても、まずは、私の作った日本語カバーを以下に披露しましょう。


    『分別(ふんべつ)がついても』


ふわふわ浮かぶ 白い雲たちに
夢を託せると そう思ってた
嵐が暗い空に吹きすさび
道行く最中(さなか)で 夢を捨てた


雲の良し悪しを わかっているけど
雲のこと何も 何もわかっては いない


恋した人に ときめいた心
愛に出会えたと そう思ってた
人を蔑(さげす)み あざ笑う人には
愛をいつわって 隠しましょう


愛のやりとりを わかっているけど
愛のこと何も 何もわかっては いない


人に知られて 顔が広くなり
夢を手にしたと そう思ってた
「君は変わった。」と 言われ嫌われて
友を失った やむおえずに


運の良し悪しを わかっているけど
生きること何も 何もわかっては いない


 『分別がついても』という突拍子もないタイトルを付けましたが、それはこういうことです。人は、大人になって分別がつくようになります。つまり、一つの物事の良い面と悪い面がわかるようになって、初めて大人になれると言えます。もしくは、一つの物事に対して良い経験をして、しかし、その後に悪い経験をして、その両面を、すなわち、その良し悪しを知ることになります。そして、その物事に対して、良いイメージと悪いイメージで思い起こしてみることはできるものの、一体それは何だったのか、本質的には少しも理解していなかった。というのが、私が原曲の歌詞から読み取った内容でした。作者が女性であったことからも、この唄は単に「反戦運動とかのメッセージ性が強い」という捉え方よりも、「人間とか人生とか生命とか」についてのもっとスケールの大きなテーマを持っていると考えたほうが良いと思います。
 要するに、人は、大人になって物事の良い面と悪い面がわかるようになっても、そこですべて完成もしくは成熟したとは言えない。いかなる分別がつこうと、初心忘れるべからず。精進を怠(おこた)るべからず。つまり、「人の心の成長に終わりはない」という教訓が、この唄のテーマと言えるのではないかと私は思いました。
 この唄全体を通して言えることは以上ですが、今回の日本語カバーで注意した点について以下に細かく見ていきましょう。
 私の個人的な意見としては、最初に出てくる雲に関する記述が気になりました。翻訳として言葉を一語一句、正確に訳すことは確かに必要なことです。それが出来ない場合でも、翻訳として原文の内容を正確に訳すこともまた確かに必要なことです。それに加えて、文化的な違いも考えて翻訳されていればもっと良いのかもしれません。それは、私の個人的な判断かもしれませんが、原曲の雲の描写は、日本人からすれば長すぎるような気がします。アメリカ人には、唄を聴いて雲の情景を思い浮かべるという習慣が余り無いので、雲がどんな様子か(観察者の心境も一緒にそこに込めて)こと細かく記述してイメージを膨らませなければなりません。一方、日本人に対してはその逆で、あっさりした表現で十分通じると私は思いました。
 実際に翻訳された内容を日本人である私が見ても、特殊な雲を紹介してはいないし想定してはいないと思います。おそらくは、雲に対する特殊な見方もしていないのではないかと思います。それよりも、曲中の『私』の普通の雲に対するイメージアップとイメージダウンという二つの見方(both sides)を表現していることが重要なのです。"I've looked at clouds from both sides now from up and down"と原曲にありますが、「私は雲に対してアップとダウンの両方のイメージを経験している。」と私ならば訳すと思います。要するに、曲中の『私』は『雲』に対して良い印象を感じたことがあり、悪い印象を感じたこともあった。でも、その二つを経験している今、そんな『雲』に対する印象はどういうわけかあいまいでボヤッとしていて、『雲』のことを本当は何もわかっちゃいなかったと、原曲では唄っていると私ならば思います。そこがこの曲の肝心なところと言えると思います。そこで、「〜のこと(は)何も 何もわかっては いない」という「何も、何も」と言葉を繰り返すフレーズで、原曲の"not ... at all"(少しも〜でない。まったく〜でない。)を表現してみました。
 曲の1番の善悪のイメージを象徴する『雲』と同様にして、2番は対人関係を象徴する『愛』について、3番は運不運もしくは幸不幸を象徴する『人生(つまり、生きること)』について、この唄では述べられていきます。それらについての詳細な解説は割愛します。
 最後に、これまでに述べたこの唄のテーマについてまとめてみましょう。大人としての分別があって、『それ』について相反する二つのイメージが思い起こされても、本当のところ『それ』が何なのか少しも理解していなかった。そんな『私』自身に気づくということは、人間として大切なことなのかもしれません。