私のプロフィール 日本の歴史教育を学ぶ

 私は、公立の中学校で歴史を学び、都立の普通科高校で日本史と世界史を学びました。最初はいずれも、教科書の初めに書かれた古代史から授業で教えられました。教科書の記述に従って、時系列に物事を学んでいきました。古代・中世・近世の順番で学んでいきました。
 ところが、歴史や日本史では幕末の直前で、高校の世界史ではフランス革命で、いずれの授業も時間切れだということで終わってしまいました。何で教科書の最後のページまで授業でやってくれなかったのか、と心の内で不満を漏らしていました。その不満は私一人が抱えていた不満ではありませんでした。私の同級生に聞いてみても、同じ不満を抱えていたことがわかりました。
 日本の近代史や現代史を何故、学校の先生は授業でやってくれなかったのか。その理由は二つありました。一つは、日本の歴史を生徒に教えるためのカリキュラムの量に無理があって、教科書の最後のほうに記述されている日本の近現代史まで時間がまわらないとのことでした。もう一つの理由は、日本の近現代史は、専門家ごとに諸説があって、まとまっていないので、正しく確かなことを未成年には教えられないとのことでした。
 要するに、私および私の同級生は学校教育で日本の近現代史を全く学んでいません。特に、そうした歴史教科書に愛国主義に関わる記述があったか無かったかさえ知りません。ですから、日本の教科書問題とか、韓国の教科書の記述とかには、両者ともに違和感があります。どっちも正しくないんじゃないかと、反体制的に思ったりしてしまいます。でも、そのほうが国際的な問題に発展しなくていいことは確かなのです。
 私が十代の頃は、日教組の力が強かったと思います。だから、私は反愛国主義的で反軍国主義的な歴史教育を受けてきた日本人の一人になったのだと思います。今でも、愛国主義軍国主義をイメージさせるものにカチンとくるのは、私だけではないと思います。昔の日本のいやなイメージを思い起こさせるものを、現在の東アジアの隣国の人たちの言動に見出した時、私たち日本人はただちに不快になります。それは、日本の隣国の人たちもそれとわかれば同じはずです。
 その不快感にもとづいた私たちの忠告が、隣国の人たちに挑発ととられたり、不快感をあおってしまうのであれば残念なことです。私たち日本人は、決して隣国の人たちがそれをやっていることが悪いと批判しているのではないのです。内政干渉するつもりもありません。私たち日本人が一番恐れていることは、隣国の一部の人たちが愛国主義軍国主義をイメージさせるものを現に知らず知らずに示して、「それじゃあ、そこまでの愛国心軍国主義は正当化していいんだ。」と私たち日本人に思わせてしまうことなのです。そこには歴史認識のへったくれもありません。間違った歴史認識を植えつけているのは、こともあろうに隣国の一部の人たちである、と私は見ています。そのことに日本人はいち早く気づくべきなのです。(気づいても実際はどうにもならないかもしれませんが…。)
 私は、韓国の人たちに「日本人は愛国心が無いね。」と言われたくありません。もちろん、私はアメリカとソ連に分断された朝鮮半島の歴史を大人になって知りました。日本だってポツダム宣言を受け入れずに戦争を続けていたら、アメリカとソ連に領土を分断されていたかもしれません。南と北で、もしくは東と西で元の日本が二つの国家になって緊張状態にあったら、徴兵制の軍隊を維持するために、無理しても愛国心を各人で高めなければならなかったことでしょう。
 しかしながら、愛国心は国家間の紛争に利用されやすいと思います。愛国心に支配されて、感情的になればなるほど、相手の主張がわからなくなります。中国の外務省の報道官の言うことは、ほとんどの日本人には理解できないと思います。それと同様に、韓国の庶民が日本人に抱いている感情もまた、ほとんどの日本人には理解できないと思います。
 一体、私たち日本人は、彼らと仲良くできると思っているのでしょうか。(ビジネス目的であろうと何であろうと)そんなふうに思っていたとしたら、突然わけもなく相手になぐられても仕方がありません。なぜなら、相手のことを何もわかっていないのですから。相手が私たちの言動のせいで苦しんでいるとわかったとしたら、まだ救いはあると思います。私たちは言動を改められないかもしれませんが、改められない理由を何としてでも(泣きついてでも)相手にわかってもらわなくてはなりません。