つい見てしまった歴史ドラマ

 私が(若干飛び飛びではあったけれど)最近まで観ていたテレビドラマの一つにまつわる話をしてみたいと思います。それは、『信長協奏曲』という月9の実写ドラマおよび深夜のアニメでした。現代の男子高校生一人が戦国時代にタイムスリップして織田信長の身代わりをすることになる、という思い切った発想転換の、奇想天外なストーリーでした。戦国時代の人々が、現代人と異なりはしても、生き生きと描かれていました。テレビの視聴者が、過去に起きた史実を見直したくなるようにドラマのストーリーが工夫されていました。
 最近のテレビドラマのタイムスリップものは、どれも似たようにそうした傾向があるようです。TBS系の『仁』やテレ朝系の『信長のシェフ』やNHKの『タイムスクープ・ハンター』などなどに、多かれ少なかれそのような傾向が見られます。(私個人の好みとしては、深夜にやっていた『信長のシェフ』で、市川 猿之助さんが演じた『顕如(けんにょ)』をすごく面白いと思いました。以前NHK『風林火山』の武田信玄を演じられていたのとは、全く様相が違っていました。その『顕如』の言動は、ドラマの舞台上でスポットライトを浴びすぎていた感じがしました。が、僧兵にきりきり舞いさせられていた信長の心の背景をよく説明できていました。)
 しかしながら、今回は、あえて『信長協奏曲』にかぎって話を進めて行きたいと思います。タイムスリップした人物が複数いた、という設定は、深夜にやっていた『信長のシェフ』でも見た覚えがあります。しかし、その人物たちがいずれも歴史上の重要人物になっていた、というのは『信長協奏曲』というドラマにおける大きな一つの特徴だったと思います。そしてまた、そうなる理由・背景として、主人公サブローの現代的な若者の発想(考え方)が、戦国時代の人々の多くに受け入れられて、最終的には彼ら家臣や庶民に慕われるまでになるという、筋立てが面白く感じられました。
 たとえば、楽市・楽座や傭兵制のことは、どの日本史の教科書に書かれてあっても、かつ、それがその時代の人々に有益であったことが理解できたとしても、信長を含むその時代の人々の気持ちが具体的にどうだったかは、それらの史実から現代の私たちにストレートに伝わっては来てくれません。時の隔たりが大きすぎるため、それは仕方のないことなのかもしれません。それゆえに、虚構(フィクション)の力を借りて、現代人の私たちはドラマやアニメなどを観て、感じ、かつ考えて、想像していくしかないのかもしれません。
 歴史の専門家がかつて正しいと述べていたことが、新たに発見された古文書の内容からひっくり返ることもあります。だから、私たちも、歴史の素人(しろうと)ながら、失敗を恐れずに、大胆に想像し、推理してもいいのかもしれません。今回の『信長協奏曲』というドラマでは、後の豊臣秀吉になる木下藤吉郎や、明智光秀と名乗る本当の織田信長は、やや悪役として描かれていました。NHKの大河ドラマを観て、かつ、日本史の教科書で彼ら二人のことを学んだ私にとって、最初そのことには違和感がありました。が、しかし、NHKの大河ドラマや日本史の教科書で説明しきれていない『謎』(もしくは、『闇』)の部分があることに気づくと、むしろ彼らの悪役ぶりにリアリティを感じるまでになりました。(ただし、あくまでも、このドラマの世界の中だけでのことですが…。)
 実は、私には、こんな疑問もあるのです。山崎の戦いで秀吉に敗れた光秀は、敗走の途中で「農民の竹槍に突かれて命を落とした。」と伝えられています。それが史実であり、正しい事実であったとしても、私の頭の中では次のように解釈せずには居られません。『農民』って、農民出身の秀吉のことを象徴しているだけなのじゃないか。それに、『竹槍』って、そんな秀吉に味方した軍勢を象徴しているだけなのじゃないか。そうなれば、先の文句は、「秀吉に味方した軍勢が、光秀の命を奪った。」という史実をわかりやすく具体化して伝えているにすぎないのじゃないか、ということになると私は思うのです。いわば普通の情報を、ある意図をもって、下々の人々にまであまねく伝わるようにした結果の日本語表現だったとも考えられるのです。
 もっとも、これは、歴史的には何も証拠のない私だけの妄想に過ぎないかもしれません。「明智光秀は『農民の竹槍』で本当に命を落とした。」ということが、本当の事実だったのかもしれません。私ごときに、そのことをあえてくつがえす権利など無いのかもしれません。
 でも、仮にそんなふうに言葉のアヤがあったと考えてみるならば、今までとは違った事実が見えてくると思います。農民の竹槍ごときで倒されてしまう明智光秀の哀れさ・惨(みじ)めさが、主君の信長に謀反を起こした報いであることを、はっきりとしたメッセージとして伝えていることに誰もが気づくと思います。秀吉が主君となるために追い風となるメッセージだったということは明らかです。そうした言葉が、当時の人々に語り伝われば、それは政治的に成功したのだと言えます。
 くどいかもしれませんが、本当のこと(真相)は誰にもわかりません。そんな私の考えそのものも、虚構(フィクション)であり、仮想(ヴァーチャル)的なものでしかないのです。けれども、明智光秀の悲運な事件の顛末(てんまつ)としてそのように語り伝えられたことには、ちょっと不思議な感じが私にはしたのです。