私のプロフィール なりたかった職業は?

 以前私はこのブログ記事で、博物館学を勉強していた理由を書きました。アニメやコミックスの中で活躍していたルパン三世のように博物館に忍び込み、お宝をちょうだいするには、どうしても博物館に関する詳しい知識が必要だったと、私は述べました。しかし、私は窃盗罪を犯すことになる盗っ人の職を実際に志したのではありません。「まぎらわしい。」と後で誰からも言われそうですが、だからといって私は将来ルパン三世みたいな盗っ人になろうと心に決めていたわけではありません。事実、二十歳(はたち)の私は、そんな非現実的な将来像を真剣に思い描くような、変な若者ではありませんでした。
 たまにテレビでも、今の子供たちがどんな職業にあこがれているのか、そのアンケート結果のランキング発表を目にすることがあります。また、子供限定で参加できて、希望の職業が体験できるテーマパークがあって、参加予約待ちがずっと続いているというウワサを聞きます。子供にとって、大人になったらどんな職業に就きたいかということは、夢のある関心事の一つであると言えましょう。
 幼稚園の卒業アルバムを見ると、園児の一人一人について「将来何になりたいか。」という質問に答えた職業名が書かれていました。それを見て、私も当時、幼稚園の先生(担任の先生)から「君は大きくなって大人になったら、何になりたいか。」とたずねられたことを思い出しました。その卒業アルバムにある通り、私は「お医者さん」になりたい、と答えました。(当時は、私と同じ年の女子は「看護婦さん」になりたいという子が何故か多かったようです。)
 私は、決して「お医者さんごっこがしたい。」とかの不純な理由でそう答えたのではありません。看護婦さんになりたいと答えた女の子に合わせてそう答えたのでもありません。当時子供の私は、体が弱くて、冬に寒くなるたびに扁桃腺が腫れて熱を出していました。熱が高くなると、体がふらふらして具合がひどく悪くなりました。私自身ではどうすることもできないそんな状態から救ってくれたのが、小児科医院の先生でした。熱があると必ず注射をされました。それが痛くて、幼い私は泣いてばかりいました。でも、熱が下がると、体が回復して心も落ち着きました。それで、お医者さんはすごい、と私は思うようになったのだと思います。私が幼い頃、お医者さんになりたかったのは、そうした理由があったからなのです。
 しかし、その後の私は、お医者さんになるには特別な勉強をしなければならないことや、大学の医学部を出なければならないといったことを一切考えたことがありませんでした。それはきっと、小学生になって、新しい友達ができたり、勉強や遊びの中で今まで知らなかったことを学んで、周りの世界を見るための視野が広がったためでした。『お医者さん』よりも関心を引かれて、それに感動してしまうような物事を沢山知るようになりました。
 勉強や遊びに夢中になっていた学生時代の私は、将来どんな職業に就きたいか、もしくは就くべきかといったことを一切考えなくなりました。「子供は勉強することが仕事だ。」とは、よく言ったものです。私は、大学卒業間近まで、そんな調子で一人で何かしら勉強していました。さらに、社会人になると仕事と勉強と趣味が、コンピュータのソフトウェア開発の仕事のために一つになってしまいました。仕事で文字通り24時間働いた後で、仕事がオフになると勉強を兼ねた趣味の時間が続きました。そしてまた、仕事が続いたら、その次は趣味という感じでした。二十代の若い私にとっては、職業と個人的な生活との線引きができていませんでした。そんな私にとって、仕事のレベルアップは即ち生活のレベルアップになっていて、ある意味わかりやすいライフスタイルだったと言えます。
 けれども、こうした体験が当時の社会全般の人々の常識から逸脱してしまっていたことに、若い私は気がつきませんでした。コンピュータのソフトウェア開発は当時最先端技術の一つであって、出世とか結婚とかいった世俗的なものとは相容れない風潮があったようです。そう思っていたのは実は私だけだったかもしれません。しかし、この頃から私は、(そうした世俗的なものが時々気になりはしても結局は)どんな仕事の困難に対しても全力で立ち向かうようになっていました。
 そんな私のルーツが何処にあったかというと、中学生の時に見た『どっこい大作』という子供向けドラマにありました。このドラマの主人公は(時代背景がちょっと古いものの)集団就職で地方から東京へ出てきた一人でしたが、『金の卵』として扱われるどころかそれとは反対に、つぶれかけたラーメン屋や清掃屋やパン屋を転々として、苦難の末にそれらの店を次々に立て直していくというストーリーでした。主人公の大作を毎回、高級車の中で見守っていた(志村喬さん扮する)どこかの大金持ちの社長さんが私には気になりました。このドラマを最終回までは見ていませんが、思春期の私は何かすごいショックを受けた思いがしました。このドラマに影響されて、私は、特定の職業になりたいと考えたりこだわったりしなくなったのです。
 結論として言えば、私は、私自身がなりたかった職業には就いていません。でも、大人になったら何になりたいかを考える、つまり、職業を選択することは、私には必要がなかったようです。私にとっては、まず職業ありきではなく、仕事ありきだったのです。やるべき仕事があってこそ、それが職業として成り立つと考えていたわけです。