私の本業 新規就農者への期待とはどういうものか

 実は、長野県農業大学校の県外出身の研修生で、長野県上田市の殿城地区に就農したのは、私が一人目でした。この地に農家研修で来ていた先輩たちはいましたが、長野県の他の地域に行ってしまいました。
 おそらく、この地域が先輩たちにとっては魅力がなかったからだと思います。近くの上田市街は完全に都市化して、もはやここは田舎ではありません。田舎に興味がある人にとっては、幻滅以外何もなかったと思います。しかも、この地域の人たちが、よそ者に対してそれほど親切だったり、心がやさしかったりしなかったことも原因だったと思います。私の先輩たちは、心の安らぎが得られない場所では、仕事に打ち込めないと判断したようでした。
 私はどうかというと、農作業をする上で、以上のことはさしたる障害にはならないと考えていました。田舎ののどかな環境がなければいけないとか、人間的な心を持っていなければいけないとか思っていなかったからです。必要なのは農作業をするための『場所』であり、農作業をする人の『やる気』なのです。
 しかも、作物の出荷先や、買い物ができるお店が身近にないと、毎日のことですから苦労することになります。田舎暮らしがしたいといっても、交通費や往き来に費やす時間がかかるような場所は、はっきり言って生活に不便です。最近私は歯医者さんに通っていますが、もしお医者さんが遠くにあったらどうしよう、と思うことがあります。簡単に行けないとなると、病気になったら大変なことになります。また、上田市街には税務署や警察署もあるので、確定申告や自動車免許更新のために遠くに行く必要がありません。
 私は、都会から来た人間として、上田は決して住みづらい場所ではないと思っています。安曇野や松本地域のように、景色が綺麗で女性に人気のある、派手で華やかな場所ではありませんが、地味に質素に生活していける人にとっては住みよい場所ではないかと思います。
 私がこの地に来てから3年目以降、やっと後続の就農者が県外から一人か二人ずつ毎年編入してくるようになりました。私は、この地では彼らの先輩にあたるわけですか、彼らが30代・40代・50代・60代で独身者や夫婦だったりして多様なため、あまりでしゃばらないようにしています。もちろん、直売所で出荷したものが競合すると共倒れになるので、私の方で気をつけています。誰が一番活躍しているかに注目している地元の人の目が気になるところですが、なるべく私の側で折れて、彼らに活躍してもらうようにしています。
 私自身が頑張るよりも、『できる』彼らに頑張ってもらったほうが、全体的に地域が活性化すると考えています。事実、ここ二、三年で早くも、新規編入者の成果が出始めています。私の農業活動が、彼らに何らかの刺激を与えていることは明らかです。私の活躍自体は、それほど大したことはありません。でも、私の仕事を見ながら、なぜかはわかりませんが、彼らは頑張っているようです。私の役割としては、それで十分なのではないかと思っています。
 しかしながら、ぶっちゃけて言いますと、この仕事は地道な努力が必要で、そのわりには大金を稼げない仕事なため、若い人にはできない仕事だと思います。若い人たちの挑戦は、確かにあります。長野県の八ヶ岳にある財団法人の農業大学校では、畜産業のために若い人たちをかなり厳しく教育しています。また、長野県の農業法人でも、若い人を雇って頑張らせている所があります。ただし、私が話に聞いたりするところでは、長く続かない人が多いということです。
 私には、その気持ちがわかります。若い人は、どうしても、ありもしない未来の可能性を考えてしまうのです。この仕事をこれからずっとやっていく自信がどうしてもなくなってしまうのです。本当のところは、お金がどうのとか、生活がどうのという問題ではないと思います。社会でサラリーマンとして働いたことがないために、本当の仕事のつらさとか厳しさがわかっていないのです。そんな人間に農業という仕事の良さとか『ありがたみ』がわかるはずがありません。いくら若い人に体力があっても、それをささえる気力がなければ、この仕事をすることは無理です。若い人たちが軽視している精神面が、この仕事の『命』であることは事実です。ですから、社会で働いてきた40代・50代の人のほうが、(体力の面は別として)ずっと農業に向いていると、私には思えるのです。
 実際に去年、20代のお兄ちゃんが一人この地に編入してくるかもしれないという話もあったのですが、なくなりました。別の地域へ就農したそうです。やっぱしこの地域は、若い人にとっては地味で魅力がないのかな、と改めて思いました。それに、彼は、例えば誰かが農業で数億稼いだとか、だいぶ美味しい話を聞いていたようです。若い人にこの仕事をさせるためには、ウソでも美味しい話をするのが得策だと考える大人の気持ちは、私にもよくわかります。でも、農業で数億稼げるなどということは、よほどの資本と人材と設備・資材がなければ無理な話です。新規就農者が二年か三年で実現できることではありません。おそらく、何年たっても無理な話です。私だったら、このような根拠の無い話は絶対しません。私にできることは、例えば、昔エッチな変な役をやっていた女優さんが今は大女優になったとか、そういう誰でも知っている事実に基づいた話だけです。若い人に気合をかけることはいけないことではありませんが、根拠の無い作り話や理想は、若い人たちの心を空回りさせるだけなのではないかと思います。
 私は、誰に対してもこの土地でこの仕事をするのが得だよ、と勧める気はありません。でも、やって損だとは言いません。去年は、元海外青年協力隊だった40代の男性が、埼玉県に奥さんと子供を残して単身赴任でこの地で就農しました。暑い夏場にきゅうりを病気で枯らしてしまい、みごと1年目で失敗してしまいました。でも、今年も頑張ると言っています。私は、彼を励ましてもいなければ、非難もしていません。彼は彼なりに努力をして失敗しているので、その失敗を批判せず、その努力を尊重するべきなのです。
 私としても、この地域の良さとか、この仕事の良さとかを発見できる人が一人でも増えてくれることは嬉しいことです。長野県は、他県に比べて、新規就農者の数が多くありません。冬が寒いとか、耕地が狭いとか、都市部から遠いとか、交通が不便とかのマイナス条件があるためであると言われています。でも、いいことばかり並べたところでマイナス面が無い場所なんてありえませんから、それを選ぶのは各人の自由でしょう。地元の人たちは、よそ者を受け入れる度量はなくても、決して新規就農者を見殺しにする人たちではないと思います。しぶしぶ助けてくれることもあります。多くを望まず、地道に努力する人生を選べる人ならば、この地で就農しても大きな失敗はしないと思います。