「好き」だから「できる」とは限らない!?

 ある日、テレビを見ていたら就職が決まらない大学生へのアドバイスとして、誰が言ったか忘れましたが、こんな言葉があることを知りました。「好きなこととできることは違う。」
 この言葉の意味することは、「職に就くということには、それに適した資質や能力が必要だし、運やタイミングもあることだから、ただ好きだというだけでは決められないし、決まらないものだ。」ということだと思われます。その一方で、「好きこそ物の上手なれ。」という言葉もよく知られています。「好きだと自然にそのことが上手になるものだ。」という考えを表しています。これら二つの言葉は、互いに相反することを表しているように感じられます。けれども、実は矛盾していないのではないかと私には思えました。どちらの言葉も正しいと、私には思えるのです。それぞれの言葉の狙いとするところに共通点があります。無理な思い込みをしないで努力をすることが求められています。好きか嫌いかが重要なのではなくて、できるということや上手になることが重要なのです。職に就くということは、その職業ができるようになり、続けられることに他なりません。
 ですから、どんなことをやるにしても、好きか嫌いか、興味があるか無いかは、その入り口に立ったに過ぎないのです。自分で自分の人生を決められるだけの経験も何も、まだ無いのが当たり前です。若い人たちは、時間がかかっても、いろんな意見に耳を傾け、いろんな世の中のことを知った上で、意思決定するのが良いと思います。
 実は私も、高校時代にそのことに気がつかず、回り道を経験しました。正しく言うと、そのことに関しては今でも回り道の途中ではないかとさえ思っています。私は、それほど実力が無いのに、高等数学が好きでした。授業について行けなくなって、わからなくなると、ほとんどの人は数学がイヤになって、熱心に勉強をしなくなります。そして、さらに授業がわからなくなってしまいます。難問が解けなくなると、投げ出してしまうのが普通です。ところが、私はおろかにも、授業がわからなくても、難問が解けなくても、全然気にしませんでした。数学への興味がまったく衰えないのです。授業や教科書で学んだ新しい物事を、深く理解もせずに、自分なりに感じ入っていました。極端な言い方をすれば、数学という作品を鑑賞して、楽しんでいました。計算も何もできないくせに、数学には、こんなこともあるのか、あんなこともあるのか、という興味が尽きませんでした。
 そんなことをしていては、いくら数学が好きでも、上達するわけがありません。応用問題や、難問が解けるはずがありません。にもかかわらず、授業が面白くて、授業中、数学の先生の話を雑談も含めてよく聞いていました。さらに、家の近くの公立図書館に行って、雑誌コーナーに置いてあった『数学セミナー』という数学専門雑誌にもしばしば目を通していました。わけがわからなくても気にしないで、読み進めました。さしたる習得や理解がなかったということは、その雑誌を見ても、ほとんど肝心な内容が頭に入ってこなかったということでしょう。
 つまり、数学が「好き」でも「できる」わけではないことを、私は高校時代に経験していたわけです。しかも、そうした自分自身の態度に何も疑問を抱かず、変だと思っていませんでした。人並み以上に数学が好きなのだから、いずれ数学が人並み以上にできるようになるだろうと思っていました。それが私の思い込みでしかなかったことは言うまでもありません。人並み以上になるためには、好き嫌いの感情とは関係無しに、人並み以上の努力や苦労が必要なことを高校生の私はまだ知りませんでした。
 結局私は、この歳になった今でも数学が好きです。でも、人並み以上に数学が得意なわけではありません。ですから、「好きなこととできることは違う。」という言葉の意味が経験としてわかります。実は、数学というものは、実生活に役立たない部分が多いため、得意でなくても社会生活に支障をきたさないという特徴があります。数学ができないからといって給料を減らされたという話は聞いたことがありません。学校を卒業した大人にとっては、数学の好き嫌いなどは一般的には個人の趣味の問題にすぎません。数学ができないから生きていけない、ということはありえないことです。
 でも、何かを知っていると、いずれ何かのために役に立つこともある。それも事実かもしれません。日常生活で今まで何の役にも立たなかったことが、ひょっとして役に立ったりすることがあるかもしれません。嫌いなことに目をつぶるのも、好きなことをあきらめるのも、どちらも正しいとはいえません。できうるならば、好きなことにも嫌いなことにも目を向けるべきです。私の場合、数学のわかる部分にもわからない部分にも目が向いていたため、結局数学を嫌いにならなかったのだと思います。数学ができるかできないかは、個人的には、いまだに気にしていません。