私の本業 意外と役に立つ自然科学の知識

 以前2回ほど、新規就農者の体験談を新規就農希望者に話して欲しいという依頼で、小諸の長野県農業大学校で1時間位の講演をしたことがありました。就農するためには何が必要かというテーマに対して、農作業に適した体と心が必要だとか、いくつかの目標を示しました。その中の一つとして、私は、自然科学の知識が意外と役に立つ、ということを述べてみました。ところが、それを聞いていた人たちの反応がぼんやりしていたので、あれっと思いました。
 農業に自然科学の知識が必要などと考えるのは、ユニークな発想だと誰もが思うでしょう。その気持ちは、私にもわかります。小中高校で学ぶ、理科・自然科学関係の知識など、理工系大学の受験のためか、理工系大学生を求める企業への就職のためか、ノーベル賞の受賞を目指す学者さんになるためにしか役に立たないと世間一般に考えられているはずです。農業なんかには、そんな知識は必要ない。そんな知識を知らなくても、体力さえあれば馬鹿でも出来るのが農業ではないか、と一般に思われています。
 それどころか、学校で自然科学をせっかく学んでも、試験やテストのために勉強して、いざ社会人になって会社に勤めてみると、実生活でほとんどその知識が関係のないものであって、役に立たないことを実感している人も多いと思います。東京でのサラリーマン時代の私もそうでした。わずかに、野外で釣りをする人とかアウトドアの趣味を持っている人にとっては、趣味の中でそうした知識が必要になることでしょう。
 ところが、現在の私は、屋外でほぼ毎日仕事をしていると、どうしても天気が気になります。実は、現在私の生活している長野県の上田という所は、天気予報がはずれやすい地域のひとつです。なるべくポイント予報も見るようにしているのですが、予報で雨が降ると言われてても晴れてしまったり、晴れの予報が出てても、曇りか雨が降ってきたりします。現に、今日などは、朝から雪が降る予報が、全然雪が降らずにいい天気です。それでも、天気予報を見るのと見ないのとでは、違います。天気予報がしばしばはずれているようでも、下駄や靴を投げて天気を占うよりかは天気予報のほうがずっと信用できます。それは何故かと言うと、天気予報が気象学という科学的知識の根拠に基づいているからです。
 私は、雨の予報がなぜ晴れになったのかを、天気が変わろうとしていた方角の雲の高さとその雲をさえぎった山の高さから理解することができます。気象予報士の解説を理解しながら、実際の自然の姿を目の当たりにして、見方を修正するのです。気象に関する基本的な科学的知識を日常的に利用しているわけです。天気予報がはずれたから、予報を信じないのでなくて、なぜ予報がはずれたかを自分なりに考えてみるのです。すると、予報がはずれる傾向がわかってきて、予報が伝えようとしていた情報の真意(たとえば、日本列島に襲来した寒波の様子や特徴)などもよくわかってきます。
 もちろん、気象に関する科学的な知識を知らなくても、農業はできると思います。毎日、天気の良し悪しを、何の知識も無くて一喜一憂するのも、個人の自由だとは思います。
 ところで、農薬や化学肥料を使う場合、化学の基礎的知識が実は役に立ちます。それプラス、有機化学の知識を知っていれば十分です。べつに難しい化学反応式やモル数の計算とかを使うわけではありません。農薬や肥料の成分に関心を持つことが重要なのです。
 実は、私達は、いろんな化学物質にとり囲まれて生きています。その中には、人体に有害なものもあれば無害なものもあります。人工的に出来たものもあれば、自然の生物により作られたものもあります。農薬や化学肥料というと、非自然的なものと思われがちですが、本当にそうなのか、人間にとって害がある物質なのか、そうでないのかを、チェックする必要があります。
 毒物なのか、劇物なのか、普通物なのかを知らずに、農薬や化学肥料を使うことはできないと私は思い、アグリターン基礎研修中に、40代を過ぎて化学の基礎知識と有機化学の勉強を、若い学生たちと一緒の教室で勉強し直しました。もちろん、一人でも参考書を買って、勉強しました。人の口に入る食べ物を生産するわけですから、その責任上、当然と言えば当然のことだったかもしれません。
 もちろん、化学に関する科学的な知識を知らなくても、農業はできると思います。農薬や化学肥料を一切使用しないか、何も知らなくても何も不安なく農薬や化学肥料が使えるというのであれば、それもいいかもしれません。
 言うまでも無いことですが、生物に関する科学的な知識に関しては、イヤでも無視することはできません。植物を栽培するのですから、当たり前のことです。さらに、雑草や害虫に関する知識に無縁ではやっていけません。いろんな小動物の生態も関連してくるかもしれません。そして、微生物に関する知識も重要です。
 私の同期の就農者の中には、微生物の知識を全く知らないで有機農業に着手した人もいました。彼の考えによれば、すべての微生物は目に見えないものであり、農薬や化学肥料を使わなければ微生物がすべて植物の栄養を作ってくれるのだということです。このような自然信仰的な彼の考えに対して、私は反論しませんでした。どんな考えで農業をしようと、彼の自由だからです。
 しかし、実際には、カビと細菌とウイルスはそれぞれ別物の微生物であり、ダニやミミズなんかもすべて含めて微生物と呼ばれています。もちろん、こうした知識無しに農業はできるかもしれませんが、例えば、植物が突然病気になって枯れてしまった時に、どんな原因でそうなったのか、どうしたらいいかを考えておく必要はあるでしょう。
 ところで、先日、地元で上野原と呼ばれている丘の上にある堆肥置き場(カット野菜工場の廃棄物置き場)から、軽トラでほとんど土になった重い堆肥を運びました。私がJAから借りているビニール・ハウスは、上野原の丘のふもとにあるため、坂道を下って行きます。初めて運んだ時、スピードが軽トラにのりすぎて、すこし危険でした。そこで、数字を使わずに計算したのですが、坂道を下る時の重力加速度にさらに別の加速度が加わっていることに気付きました。丘の上にあった堆肥の持つ位置エネルギーがありました。丘の上で軽トラに100kg以上のせている堆肥を、200m近く低い位置に下ろすわけですから、その位置エネルギーが重力加速度に追加されて、軽トラのスピードを上げてしまったのです。それに見合う方向が反対の加速度をブレーキとエンジンブレーキでやや多めに、運転の操作で加えてあげないと危険な目にあうと、私は理解しました。
 こんなふうに、屋外で作業をしていると、物理の科学的な知識がちょっとした現象の理解に役に立つことがあります。もちろん、勘だけで軽トラの運転の操作をしても支障はありません。なぜ、危険なスピードが出てしまうのか、将来似たようなことに出くわしたらどうしたらいいのかを考えるには科学的な知識が便利だというだけのことです。
 一般的な意見として、土地の測量でもしない限り、農業と算数・数学は関係ないと思われるかもしれません。数学的な知識がなくても、農業は馬鹿でもできるのだと思われがちです。確かにその通りかもしれません。しかし、実際には、数学が苦手な人が農業をするとかなり苦労します。
 例えば、ある一定の面積の畑にスイカの苗を植えたいとします。畑に一定の幅の畝を何本作れるか、畝の幅と、畝と畝の間隔(畝間)をどれくらいにしたらいいか、あらかじめ計算して必要な数値を出しておかないと、実際の作業がうまくいきません。また、畝の上にビニールの被覆資材(マルチ)を敷きますが、どれくらいの幅と長さの被覆資材が必要かをあらかじめ計算して数値で出しておかないと、うまくいきません。間違えて、やり直しをする分だけ損をします。さらに、スイカの苗を地面に植えるためには、植える苗の数(株数)と植える間隔(株間)をあらかじめ計算して数値に出しておかなければなりません。計算が間違っていると、苗を多く買いすぎてしまったりして、大変です。スイカの苗は、一本300円から500円もしますから、100本余って地面に植えられなかったら大きな損害です。おどかすように聞こえるかもしれませんが、実際にこれに近い失敗をしてみると、誰でもがっかりします。私でさえも、似たような経験をしたことがあり、事後処理に苦労した経験が過去にありました。
 以上説明してきたことに共通に言えることは、この仕事をする上で、自然科学の知識は知らないよりも知っている方が、活用しないよりも活用した方が、余計な苦労をしなくてもいい、ということだと思います。しなくて済む苦労なら、あえて苦労したくはありません。もちろん、こうした自然科学の知識なしに、この仕事をできなくはありません。しかし、その場合は、かなりの苦労をすることを覚悟しなければならないことも事実だと思います。