粘菌研究について思うこと

 前回の自然科学の知識に関する扱い方を見てもわかると思いますが、私は、科学や科学技術を万能と見て信仰しているわけでも、その逆に、全然信用しないで無視しているわけでもありません。現代の科学や科学技術には限界があります。限界があるから、まだまだそれを乗り越えて発展する可能性があるわけで、否定的な意味で「限界がある」と言っているわけではありません。
 今年のイグ・ノーベル賞を受賞した、公立はこだて未来大の中垣俊之教授の粘菌の研究では、交通ネットワークを作る粘菌の『知恵』が発表されました。何年か前には、同教授の『迷路を解く粘菌』も同賞を受賞しています。
 テレビでこのニュースを見た当初、私は余り注意を払いませんでした。粘菌など、日常生活では見たことも無いし、私とは関係のない世界の研究だな、としか思っていませんでした。面白いけど、イグ・ノーベル賞をとるくらいだから、さして重要でない研究の一つだとばかり思っていました。初めから、そういう先入観があって、そういう軽いイメージにとらわれていました。ところが、ひょんなことで私はこの研究に興味を持つことになりました。外国の科学者たちが、私たち日本人とは違う観点からこの研究に注目していることに気づいたからです。
 この研究の対象とされる粘菌とは、アメーバ状の単細胞生物「真性粘菌」のことだそうです。これをある物のモデルだとすると、私達の身近に関係ないどころか、誰でも一人一人が「持っている」ものと関係が深いことがわかります。しかも、知能や知恵と切っても切れない関係の、あるものにそっくりなのです。それは、(人を含む)動物の神経細胞ニューロン)です。当然のことながら、人間の神経細胞を粘菌のように手軽に取り出して実験・観察することはできません。そのモデルとして、粘菌を実験・観察することはすごいアイデアだと思います。
 迷路や道路交通網といった、イグ・ノーベル賞における発表の仕方も、ユニークでいながら分かりやすい感じがします。単細胞生物のアメーバであるにもかかわらず、知性を感じさせることへの驚きを伝えると共に、その振る舞いが、人体の神経細胞と何らかの関連があることを匂わせるところにツボがあると考えられます。さらに、ユニークな研究と発表が今後も期待できたら、もっと夢が膨らむと思います。
 今まで人類が独占しているように思われていた『知性』が、単細胞アメーバにもあるという、その斬新な発想はとてもユニークであると共に、『知性』と呼ばれるもの自身がそれ自身を変えていく可能性があります。この研究が進めば進むほど、『知性』と呼ばれるものの実体が科学的・メカニズム的に解明されて、その本質に少しずつ近づいてゆく気がします。また、『知性』に関する言葉、例えば『知能』とか『知恵』とかいった言葉の意味・内容も、少しずつ変わっていき、今よりもはっきりと本質を表すようになるのではないかと思われます。
 私の妄想というか仮説を言わせてもらえば、こんなことも考えられます。小説・映画・テレビドラマでやっていた『秘密』の中で「憑依」というものがあることを知りました。この「憑依」は、現在、科学では解明できない現象の一つです。現代の科学や科学技術をもってしても解明できない、人知の及ばない現象です。そのため、人がとる行動と術は、解明できないからとあきらめてしまうか、ありえないと無視してしまうかです。もともとフィクションなのですから、それでいいとは思います。
 でも、科学的な見方が必ずしもできないわけではありません。今は妄想であり仮説でしかありませんが、将来粘菌の研究が発展して、神経細胞の集合体に相当する複雑なネットワークも扱えるようになった時、「憑依」に近い現象もモデル的・メカニズム的に解明できるようになるかもしれません。