ひぼう中傷をしてしまう人間の心を丸裸にする

 「人間は感情の動物なんだよ。」とか「人間はみんな心が弱いんだよ。」とかと、私は、学校の教室や会社の勤め先などで、他人からしばしばそう聞かされ諭(さと)されてきたものです。しかるに、最近テレビでは、社会的な『ひぼう中傷』が問題となっていると聞きます。新型コロナウィルスの感染関連で、その『いわれ(理由)なき、ひぼう中傷』を受けて苦しむ人たちが出てきているとのことです。そうした、ひぼう中傷の背景にあるものは、「人間が感情に支配されている動物である」ことと、「一人一人の人間の心が弱い」ことにあると、やっぱり私は思いました。
 私の文学的解釈は、そんなところですが、何も今回の新型コロナウィルスの感染だけに限って、そうした恐怖心や不安感が、ひぼう中傷につながるわけではないと思います。他の原因でも、同じようなひぼう中傷が起こりそうな気がします。もっとも、今回の事例においては、自然科学以外にも、私たちはかなり具体的に学ぶべきことが多いような気がします。
 私たち大多数の日常意識をまず最初に振り返ってみると、ここ数か月で劇的な変化を受け入れることになったと思います。これまでは、誰もが知らなくても、あるいは関わらなくても済んでいた感染症学やウィルス学の知識をテレビなどから、やむをえず学ばなければなりませんでした。これまでは、感染症対策といっても、個人や社会でそれほど徹底して行われることはなかったその一方、今回は、それとは逆に、21世紀型の新しい対策が個人的にも社会的にもとられることとなりました。
 その結果、新しい知識や情報を受け入れようとする代わりに、感情や心(あるいは精神状態)がついていけない人々が多発しました。それらの新しい知識や情報を十分に頭で理解できずに、感情や心(あるいは精神状態)ばかりが先行して、内面の恐怖や不安をあおってしまったと考えられます。その行き過ぎた恐怖心や不安感から、ひぼう中傷などで他者を傷つけることが多くなってしまっているようです。これは、人体の免疫の暴走(サイトカインストーム)と同じです。つまり、私たちの日常世界は、社会的なサイトカインストームにさらされていると思います。しかも、誰も、それを防ぐべきワクチンも特効薬も開発していない、というのが現状だと思います。人間の心なんて、話し合って理解し合えば、あるいは、コミュニケーション能力さえあれば、そんなの即刻簡単に解決さ、と思っている日本国民の何と多いことでしょう。(ちょっとだけ、NHKのテレビ番組『チコちゃんに叱られる』をパクりました。)不幸なことに、そのような社会的サイトカインストームは、これから何度もぶり返しそうです。
 なぜならば、人間の感情や心の弱さは、そう簡単には変わらないものだからです。逆に変わってしまってはならないのかもしれません。人間であるべき私たちが、人間であることを捨ててしまうようなものだからです。その一方で、感染症学やウィルス学などの自然科学の知識は、日々進歩して変わっていきます。50年後の感染症対策は、現在の感染症対策とは全く違っているものになっていることでしょう。そのような知識と情報の変化の中で、私たち一人一人の感情や心(あるいは精神状態)はほとんど変わることがなくて、そのうち社会や時代から取り残されていきます。それが、私的な感情を持つ、私たち人間のほとんど誰もがたどる宿命なのかもしれません。
 そのような理由から、私は、「他人にとっていわれのない」ひぼう中傷をしてしまうのは、(下品な表現かもしれませんが)人前で人間が咳やげっぷをしてしまうような生理的なものと考えております。一方的に責めるのもどうかと思います。何か対策をとりたいものですが、今のところ正解はなさそうです。それでも一つだけ、私の考え出した答えを示しましょう。クドいと言われるかもしれませんが、専門家さんからの知識や情報は、なるべく自然体で耳を傾けたいものです。
 そういえば、先日、NHKのEテレ『日曜美術館』という番組を観ていたら、「真実を知るためには知識が必要。」という言葉をふと私は耳にしました。やはり、あらゆる無知は、恐怖の原因、あるいは、不安の材料となりかねない、ということなのだと思います。ただし、それを踏まえての注意が必要です。以下に、それを簡単に述べておきます。どんな知識や情報でも、中途半端な理解や納得の仕方ではいけません。なぜならば、それは真実(あるいは、真相)を知るためのものだからです。