怖い話 その1

 これから暑い日が続きそうなので、心だけでも涼しくなりたいと思いました。最初にお断りしておきますが、この手の話がダメな人や心臓の弱い人は、このタイトルの記事を読まないほうがいいと思います。
 そういう私も、子供のころから怖い話はダメなほうでした。にもかかわらず、子供同士では怖い話を相手に聞かせあうことが多かったために、私はいつしか怖い話の語り手(恐怖ストーリー・テイラー)になってしまいました。ミイラとりがミイラになってしまったようなものでした。
 小学校の授業が自習になって先生が来ないと、「黒田君、怖い話をしてくれないか。」と同級生から声がかかることがありました。私は教壇に立って、みんなの前で『こけしの呪い』の話をしました。もちろん創作です。こけし造りの職人がかいた、こけしの顔が笑顔になって、急に笑い出す話です。詳しい話は、作者の私も忘れてしまいましたが、確かこけし造り職人を不幸にした人へのたたりを話したかったようです。
 このように怖い話を人に聞かせると、不思議と自分自身は怖くなくなるものでした。一方、怖い話を人から聞かされると、不思議と記憶に残っていて、怖くて夜中一人でトイレに行けなくなりました。特に私の実家では、夜中トイレに行きたくなると、少し長い廊下を歩いていかなければなりませんでした。電気をつけて明るいところを歩いていくのですが、歩く途中の部屋は真っ暗なので、何か出てきはしまいか、後ろに誰かいまいかと、ビクビクしていました。
 友人から聞かされた怖い話のパターンは、おおむね決まっていました。一つは、人間に向かって人形が笑ったり、話しかけたりするパターンでした。どういう話かは、別の機会に譲りましょう。もう一つは、タクシーの運転手の話などのように、夜中に自動車を運転する人の体験談みたいなものでした。『バックミラー』の話は有名でした。これも、どういう話かは別の機会に譲りましょう。もちろん、子供は車を運転できませんから、身近に迫った話ではないのに、それがかえって怖かったようです。
 このように、怖さの本質は、実際に体験するのではなく、話を聞く体験により生み出されるのかもしれません。また、テレビや映画で怖いものを予期せず視聴してしまうと、いつまでも頭の中に残ってしまうものです。見たくないときに見てしまうと、余計そうなります。たとえば、『リング』という映画をテレビで見たときのことです。主人公の男性は、女の幽霊を見て心臓麻痺を起こしますが、私にはその幽霊よりも怖いものが、この映画の中にありました。それは、女優の松嶋菜々子さんの恐怖の表情でした。松嶋さんのほうが、経帷子のお化けよりもずっと怖かったのです。
 さらに、ちゃんとそれを見ていないときに恐怖が起きやすいようです。私が小学生の頃、見るのを意識的に避けていた本がありました。小学四年生の頃、勉強机の隣に置いていた、扉つき書棚の下の引き出しを開けて、思わずビクッとしました。その2年前に買った小学館の雑誌『小学二年生』の付録についていた横長の小冊子の表紙が、目に飛び込んできました。『森のかべひめ』というタイトルのマンガが載った付録本でした。当時私は、『小学二年生』の付録でこの本を欲しくありませんでした。表紙カバーに描かれたカラーのかべひめの姿を見るだけで怖くなりました。けれども、お金で買ったものを捨てるのはいけないことだと、親から教えられていました。扉つき書棚の下の引き出しの中にしまい込んでいました。
 私はあわてて、引き出しを閉めました。そこで、この付録本をその2年前に見ていたことを思い出したのです。このマンガを私はあえて読んでいませんでした。この付録本は、『女の子のおしゃれ図鑑』と一緒になっていて、それを見ていたら、たまたまそのマンガの終わりのページを開いてしまいました。そこには、このマンガの作者らしき人が机に向かって仕事をしている姿が描かれていました。その奥にガラス窓が描かれていて、森のかべひめのシルエットが映っていました。そして、断り書きの一言が添えられていました。「これは、じっさいにあった話ではありません。」みたいな文句が書かれていました。私は、そのページを見ただけで怖くなりました。どうしてこんな怖いものを小学生の見る本に付録としてつけるのだろう、と深刻に思い悩みました。実際にあった話ではないのに、仕事をしている作者(現実にいる人物)の背後に、森のかべひめ(実際にいるはずのない人物)がいるではないか、ということに私は恐怖してしまったのです。
 中学生になる前に、私はこの付録本を紙袋に入れて、ほかの古本と一緒に外へ出しました。マンガの内容を見もせず、結局捨ててしまいました。覆面をして冠をかぶり、マントをつけている、森のかべひめは、現在の大人の私が見ると、全然怖くありません。しかし、私の子供の記憶の中の、『森のかべひめ』はその正体がわからぬままに、ずっと恐怖を私の心に与え続けています。