最近の韓国の唄の一つを日本語カバーしてみる

 前回私は、私の母が韓国の若手女優のパク・シネさんにそっくりだと書きました。どれ位そっくりかと言いますと、例えばこんなふうです。つい最近の韓流ドラマ"Heartstrings"(『オレのこと好きでしょ』)のテーマ曲のMVをネットの動画サイトで数多く見ることができます。そのどれを見ても私は、こう思うのです。「あれ、お母さん。いつの間に若返って、韓流スターになったんだろう。」勿論これは冗談ですが、そう思わせるくらい私をびっくりさせています。世の中には本当に説明のつかないことがあるものです。その一つが、このことだと私は思うのです。
 私の母は、日本の女性にしては大柄で、かなり男っぽいです。パク・シネさんがそうだと言うのではなくて、私の母がそうなのです。また、この私は、母が24歳の時にこの世に生まれてきました。つまり、私が実際に知っている母の若い頃というのは、24歳以降の母の姿なのです。パク・シネさんは現在22歳だそうです。その両者に年齢的な差はほとんど無いと言って良いでしょう。
 ところで、ある日私は東京の自宅で、母があの韓流ドラマの『冬のソナタ』をテレビで観ているのを目撃しました。そこで、私は母に「ヨン様を(お母さんは)どう思う?」と聞いてみました。すると、私の母は答えました。日本人のオバサンたちの大部分が、ヨン様をはじめとするカッコいい男性の韓流スターになびくのに対して、私の母はもともと男っぽい性格のため、余り興味を持たないそうです。このドラマの女主人公を演ずるチェ・ジウさんの顔の表情の変化に興味を持ったことが、このドラマを連続して見るきっかけになったのだそうです。
 そう言えば、私は母が女優になるのを目指していたなどという話は一度も聞いたことがありません。学生の頃の母の夢は、学校の教師になることだったそうです。そのために大学に行って、素敵な男性とめぐり逢って熱烈な恋愛をして、大学卒業後に共働きで教師をしたかったそうです。残念ながら、実際は鼻の病気で学業成績が落ちてしまい、大学進学をあきらめてしまったそうです。そんな過去をもっていた私の母が、たまたまテレビのチャンネルを合わせたらチェ・ジウさんが映っていたので、その顔の表情の変化の面白さに気づいた、というだけのことだったのです。
 ネットの動画サイトでパク・シネさんの登場するMVを見ていたところ、私は一つの唄に何となく心を引かれました。ハングルで唄われているその曲は、若い人たちの唄であるにもかかわらず、メロディーや歌詞が切なくて悲しそうでした。「クロコムニダ、イジェコムニダ」で始まるこの曲のMVには、またしても(どう見ても)私の母にそっくりのパク・シネさんが出演していました。他国語の翻訳が付いたMVもいくつか見かけました。しかし、日本語訳のついたMVはありませんでした。(あとで、一つだけCNBLUEの歌唱に日本語訳が付いたものが見つかりました。)私は、ウェブサイトでこの曲の日本語の訳詞が無いかと探しまわりました。すると、かなりちゃんと翻訳してあるものがいくつも見つかりました。その中には、そのまま唄える訳詞に近いもの(日本語カバーとして通用するもの)までありました。
 このことをきっかけの一つとして、私は、韓国の唄と音楽とそしてドラマに興味を持っている人が少なくなくて、翻訳なども英語なみに多くなっているように思えるこうした現象を知りました。隣国との領土問題という現実の問題はあるものの、隣国の文化に関心を持つことは、とても良いことだと思いました。しかも、ハングルは日本語と語順がほぼ同じです。言葉の表現の仕方に多少の違いがあって、それには気をつけなければいけませんが、失敗を恐れずに翻訳や通訳などを試してみることです。
 この"I will Forget you"(『そうしよう、忘れよう』)という曲には、既にいくつかの日本語の翻訳がありました。今回は私も、そうした訳詞が既にあることを踏まえつつも、私なりの日本語カバーに挑戦してみることにしてみました。別に、若い人に負けられないというわけではありませんが、若い人たちの唄に対する感覚に挑戦してみたくなりました。私だったら、これを日本語にこう訳すんだけれど…、という所を見せてあげたく思ったからです。今回の私が日本語カバーに挑戦するのは、CNBLUEの原曲ではなくて、それをドラマの中で唄ったパク・シネさんの曲です。


   『君が好きだから』


忘れよう 君のこと
今日からは 過去のこと
無かったと 君とは
どこで会っても すれ違ったと
思わない


かまわない 忘れよう
気にする余裕も無くて
いい人に 知り合えたし…


愛はいつもそう 時は過ぎ
消え去って 君への思いも消えて


*愛が去り 愛と出会い
その愛に包まれて
戸惑いに少し慣れて
気づくだろう


(*くりかえし)


君だけが 一人じゃない
ぼくも一人さ


 私はきっと、この唄に託された一種の勇ましさに心を引かれたのだと思います。好きな相手を忘れようとすること(つまり、その相手との『なれあい』の関係を断ち切ろうとすること)は、辛くて淋しいことです。それを敢えて試みようとする所に、この唄い手の並々ならぬ決意が感じられます。従って、今回は、そうした内容のため、私の作った歌詞の詳しい内容説明は特に必要ではないと考えられます。そうした唄のイメージを際立たせるために、日本語の歌詞はなるべく、それを唄う側とそれを聴く側の双方が泣けるような感じにしてみました。