"I will Forget You"の意外なエピソード

 本当は今回のテーマを書くつもりはありませんでした。しかし、前回とりあげた"I will Forget You"(『そうしよう、忘れよう』)という曲に関して意外なことがわかったので、急きょ書いてみることにしました。もともと追加して書くつもりがなかったことには、理由がありました。この曲は、最近の韓国のドラマ"Heartstrings"(『オレのこと好きでしょ』)の劇中の曲でしたが、いわゆるウソの曲だったからです。パク・シネさん扮するこのドラマのヒロインは、歌が上手い(つまり、歌うまの)女子大生という設定になっています。したがって、彼女がソロで唄うこの曲は、ドラマの虚構(フィクション)の上でどんな手段を使っても、何としてでも美しくなければならなかったのです。私には、どう視聴してもその歌声に過剰なエコーがかかっているとしか思えませんでした。それは、ちょうど邦画の『セーラー服と機関銃』の主演の薬師丸ひろ子さんがその主題歌を唄った時と同じ感じに、日本人の私には聴き取れました。
 それがこの曲を深く掘り下げて扱わなかった私の本当の理由だったのですが、ある意外な事実を動画サイトで発見して、多少の方向転換を図ることにしました。それは何かと申しますと、世界の様々な地域に居る若い女性たちが、この曲をカバーして(つまり、この曲を唄いたがって)動画サイトに投稿しているという事実です。私の知るところでは、欧米人や東南アジア人の若い女性が多いように感じられました。しかし、このドラマのオリジナル・サウンド・トラック(OST)のCDを見ても、この曲は載っておりません。カラオケもありません。歌詞も、韓国版のドラマの中で字幕さえ出てきていませんから、おそらくCNBLUEの原曲から知られたようです。この曲のインスツルメンタルを投稿した動画もありますが、そのメロディやアレンジを記した楽譜はどこから入手できたのか、考えれば考えるほど謎は深まります。
 彼女らの歌唱の多くで共通していることは、この韓国ドラマ本編のその曲の唄われている部分をバックに(つまり、BGMとして)流しているということでした。それは、この曲がOSTとしてCDに入っていなかったためだと思いますが、そうした涙ぐましい努力をしてまで、この曲をドラマの中のパク・シネさんと同じように唄ってみたいという女心に、私は感動しました。しかも、それは世界の国境をいくつも越えた、普遍的な若い女性の『女心』であるだけに、それを知った私の驚きは尋常ではありませんでした。しかも、彼女らのうちの何人かは、パク・シネさんよりも上手く唄っていました。(もちろん、エコーを使わずに唄えていました。)
 これは私の勝手な推測に過ぎませんが、次のようなことが考えられると思います。この曲のメロディやアレンジや歌声などの曲そのものの美しさに、彼女らの心が引かれたことは間違いありません。でも、それだけでは無かったと思います。この曲のイメージやメッセージ(もしくは、訴えたい内容)が彼女らの心にフィット(合致)して、なじんだ結果も重要だと思います。例えば、CNBLUEの原曲では「新しい恋で、過去の辛い思い出と共に君を忘れられれば、きっと心が癒(いや)される(つまり、失恋から立ち直ることができる)だろう。」みたいな内容ですが、それでは世界の若い女心を動かすまでには行かないと思います。ドラマの悲劇のヒロインの立ち位置でパク・シネさんが「現在失恋中で、つらいよ〜。」と、涙を少しこぼして唄う所に、多くの若い女性の心(すなわち、世界の若い『女心』)が共感するのだと思います。その共感が、曲そのものの美しさと重なって、彼女らにこの曲を良い曲だと思わせ、唄わせているのだろうと、私は想像し分析してみました。
 蛇足だとは思いますが、私はどんなイメージや考えでこの曲を日本語カバーしたのかを簡単に追加説明しておきます。「相手のことを忘れようとしても、本当に相手のことが好きだったら、そのために結局相手を忘れられず、たとえ新しい恋をしても、過去を引きずってしまう。そこで初めて、おのおのが、お互いに淋しくて辛いことに気づいてわかるのではないか。」というのが、私の考えでした。ちょっと理屈っぽく、ひねり過ぎの感じがします。
 このように三つの考えおよびイメージを並べてみると、2番目の、世界の若い女心に失恋中の辛さと淋しさを訴えているのというのが、この曲のテーマの一番わかりやすい説明になっていると思います。本当にそう思うかどうかは、これを読む皆さんの判断に委ねたいと思います。