『Reason』を日本語カバーしてみる

 以前述べましたように、私は韓流ドラマのファンではありません。しかし、『秋の童話』という韓流ドラマに関しては別格で、今でも良い印象が残っています。それはなぜかと言うと、このドラマの監督が凝っていたと言われる景色がきれいで、しかも、リアリティもあるという感じなのです。決して、見た目の色彩や清潔さでごまかそうとはしない。船着場に近いウンソの実家とその周辺などは、貧しくて汚(きたな)らしい場所のはずなのに、私にはなぜか心が落ち着いて、実際に行ってみたくなるような場所に感じられます。きっとこのドラマの監督は、人間が人間らしく、もしくは、人間くさくていられる場所をイメージとしてわかっている、もしくは、そういうセンスを持ち合わせているのでしょう。
 それはさておき、このドラマの見どころで、また一つ述べておきましょう。それは、ウンソの子役を演じた少女のことです。カタカナで書いても難しい名前でしたが、日本のテレビでこのドラマが初放送された当時に、まず話題となったのが、ウンソの少女時代を演じた子役の少女のことでした。どこが日本で評判だったかと言うと、そんなに美人ではないけれど愛嬌があって、さらに表情豊かで、どんな表情でもはっきり表現できていた点でした。日本人の視聴者にとっては、日本語の吹込みのセリフよりも、その少女の表情でドラマの流れがわかったくらい、インパクトがあったと思います。
 もう一つ、このドラマの背景に流れていた音楽に関して、ちょっとだけ述べておきます。ショパン『別れの曲』のサビの部分が流れていたドラマの場面は、ドラマ全体の終わりに近いほうで、ウンソとジュンソが二人きりの場面でした。その二人が、最後の別れを前にして、精一杯、一緒に生きていようとする場面が描かれていました。日本人視聴者の側からすると、このショパンの曲はもっと悲しく寂しい気持ちでとらえてしまうようなので、そんな二人の姿はむしろ幸せそうに見えてしまったようです。このように、同一の音楽に関する、日本人と韓国人の受け取り方には微妙な差異があるのかもしれません。
 また、このドラマで時々映像の背景に流れていた『禁じられた遊び』の映画主題曲には、もう少しはっきりしたそのような差異が見られたと私には思えました。韓国人の側からすれば、その曲は『ロマンス』という曲のタイトルどおりだったかもしれません。すなわち、ウンソとジュンソの普通の愛情と感情を『ロマンス』という曲でバックアップして表現していたにすぎなかったのかもしれません。しかし、日本人視聴者の側では、『禁じられた遊び』というフランス映画をどんな映画だったかくらいは皆知っていたと思われます。従って、このテーマ曲が流れると、ウンソとジュンソが会うことは、何かいけないこと、社会で禁じられた何かいけないこと、つまり、禁断の××愛みたいないけないことをしているようなムードを、日本人の私などは感じてしまいました。映画の『禁じられた遊び』を知らない人には、そんなことを『秋の童話』を見ても経験しなかったかもしれません。私のドラマ鑑賞の仕方に問題があったのかもしれません。すなわち、ちょっとだけ私自身がおかしな感じ方をしていたとも思われるので、あえて今回このように書いておくことにしました。
 さて、前置きはここまでとして、本題に入りましょう。今回は、かなり以前に日本などの数カ国でテレビ放送された韓国ドラマの一つであった『秋の童話』のエンディング・テーマでもあった『Reason』を日本語でカバーしてみることに挑戦してみました。まず、それを以下に紹介して、その後でちょっと説明をしていきましょう。


     『君に関わる理由』


僕に 背中向けないで
目を合わせてよ
あれは 無垢(むく)な
君とした約束


なぜに 僕を避けるの
君、それでいい?
僕は これじゃ
ダメさ 良くないよ


もともと それは
無理なこと
誰も 喜ばせない
涙を流す
その君を 突き放せない


(*)
君は 僕の かけがえのない
光だぁったのさ
君が 逝(ゆ)けば
すべてが闇に消えることを
忘れないで…
君がすべてさ 僕のすべてさ


君と触れ合い
癒される
元気づけられる
君と関わり
涙ぐむ 不安だらけさ


(* くりかえし)


 まず、タイトルについてですが、原題の『Reason』とは『理由』という意味なのですが、理屈とか言いわけとかの意味も含んでおり、しかも、もっと厄介な意味を持つタイトルでした。歌詞の内容から推測して、例えば「君を愛する理由」とか「君を失いたくない理由」とか「君が必要な理由」とか「君を見捨ててはいけない理由」とか「君との絆がある理由」等々、いろんな理由が考えられました。それらの『理由』はどれも一理ありそうで、どれか一つに絞ることは困難なのです。つまり、それらもろもろの理由を一つにまとめて、『Reason』という原題がこの曲につけられていると思われました。よって、日本語でつけたタイトルもあいまいにしてみました。
 ここで改めて断っておきますが、このような日本語カバーや翻訳作業は、私自身の楽しみを第一に考えて試みています。したがって、私以外の方には役立たないこともあるかもしれませんが、そこは勘弁していただけると良いと思います。一応、このように免責事項を示しておきます。
 さて、この『Reason』という原曲は、ハングルから日本語に直訳すると、かなり意味がとれない箇所が多いと思います。曲のメロディーは素敵で、バラードっぽくて、原曲で唄ってみたくなります。しかし、言葉の意味がよくわからない。せっかく音楽がきれいなのに、歌詞がよくわからないと、ドラマの世界に入り込みにくい。それを補うために、私は日本語カバーを利用することを考えたのです。
 そう言えば、昔々、イギリスで制作されたスーパーマリオネット人形劇として、『サンダーバード』や『スティングレイ』や『キャプテン・スカーレット』などを日本のテレビ放送で私は見たことがありました。そこで、イギリスの原曲とは違う、日本語歌詞のついたテーマ曲が、子供の私には覚えやすかったと思います。もっとも、その曲自体も、日本人が作曲・編曲していたようです。本編のドラマとそのテーマ曲の持つイメージやムードを崩さずに、日本人視聴者にわかる日本語カバーを作ることは、ちょっと困難な冒険であり挑戦であったと思います。でも、これまでも外国から様々な技術や文化を取り入れてきた日本のことですから、こうしたことは必ずしも不可能なことではなかったと思われます。
 外国語を直訳して意味がとれない場合と言うのは、主に2つあると思います。言葉の面からそれを言うのならば、言い回しが日本語と違う場合です。言葉の背景からそれを言うのならば、文化や社会の習慣が日本のそれとは違う場合です。いずれの場合も、言葉の理解を同様に妨げます。特に詩の場合は使われている言葉の数が少なく、しかも、直訳すると言葉のニュアンスが微妙にずれて、前後の文脈の整合が取りにくくなったりします。せっかく美しいメロディーがつけられていても、あちこち矛盾だらけの内容の歌詞になっていると、唄うのがイヤになってしまいます。私は、日本語で唄えて、その言葉の意味が少しでもわかり、しかも、なるべくなら自然な日本語になっていることが必要だと考えます。そのような理屈はほどほどにして、具体的に述べましょう。
 原曲の冒頭のほうで「全世界(は)白かった/あの時の約束(を)忘れただろうか」と唄われています。まさにイメージ描写だけなのですが、一体何を聴き手に伝えたいのかがわかりませんでした。こうしたことは、外国語の歌詞だけではなく、現代のJ−POPの歌詞でもよくあることです。でも、私はそれを批判しているわけではありません。歌詞とは作品であり、それを理解するのは、聴き手や読み手の責任・義務だと思うからです。
 上の例の私なりの解釈としては、「君と約束を交わしたあの頃は、白いイメージの君の気持ちと白いイメージの約束があって、その世界全体が白いイメージで満ちていた。」という感じに考えました。『無垢』という言葉は、『白無垢』とも呼ばれるように白のイメージを含んでいます。「無垢な君の気持ち」と、「無垢な約束の内容」というふうに、意味がかかるように使いました。
 また、原曲のサビの結びで「息をしたいよ/君の愛の中で…」と唄われています。しかし、それをそのまま日本語での表現とすると、どうしてもしっくり行きません。この文言(もんごん)の前までのサビの部分を見てみましょう。「僕から/君は/消えてはいけない/光だったことを知ってるの?/君が離れたら/僕のすべての世界も/消えるということを/忘れないでよ」と、そこで一番この曲の調子は盛り上がります。それなのに、そのサビの結びの文言は日本語にすると、ひどく軟弱なのです。ハングルだと、それほど軟弱じゃないのかもしれません。けれども、日本語だと良い意味にとっても、ほとんど泣きの言葉なのです。「頼むから、お願いだから…」という懇願だと思います。私としては「君の光に照らされて、生きていたいよ。」というような意味とイメージでそこそこ良いと思いました。この文言の直前で「…忘れないでー」と音楽的に盛り上がったのだから、それ相当の決め文句を日本語では表現しないといけないと思いました。そこで、「君が僕のすべてなのさ。」というような意味に変えて言葉を入れてみました。意味としては、近からず遠からずと言ったところでしょう。
 原曲では、そんなに悲しくないメロディーの上に、歌手の悲壮感あふれる歌声が乗せられています。これが、韓国のバラードの手法の一つなのかもしれない。と思いつつ、その感じが、日本語カバーの歌詞で表現できたらいいなあ、と今回の私は思いました。