異国の唄 蘇州河辺

 日本人でこの唄を知らない人は多いと思います。おそらく某動画サイトをいくら検索しても、たどり着けないと思います。「スーチョウフービェン」と(表記が正確ではありませんが)中国語で発音します。「イュェーリューシャ〜、イピェンチモ〜。シーシャンチーヤオ、ワォーメンリャンガォ〜。」(正確に伝わらない表記で申し訳ありませんが)こんなふうな唄いだしだったのを、私はよく憶えています。(後で調べたところ、これは3番の唄いだしでした。また、某動画サイトでは、通常の日本語で使うのと違う漢字(簡体字繁体字)でこの唄の動画が検索できることがわかりました。)
 私がこの唄を知ったのは、三十代の頃、中国語を独習していた時でした。二十代から三十代の頃の私は、職場で中国人と働くことが何度かありました。相手は日本語を習得した中国人であることがほとんどだったので、私は余り言葉の壁を感じなくて済みました。がしかし、日本人と中国人ほど「似て非なる」者同士はいないかもしれません。例えば、仕事を進める方向やテンポがぜんぜん違いました。また、中国人留学生のノートを見せてもらったらば、中国語の簡体字がさらに崩されて、日本人が見たことのない、『ひらがな』みたいな文字になっていました。若い私は、そんな彼らの背景にある中国の文化を知りたくて、中国語に興味を持ちました。
 その頃、NHK教育テレビの中国語講座では毎回『中国の歌』のコーナーがありました。一つの歌を3回か4回くらいの講座で流して、次回は別の歌という感じでした。私が、この『蘇州河辺』を聞いたのも、その番組のコーナーの中でした。字幕に漢字(中国語の歌詞)がずらっと出てきて当時はびっくりしましたが、それでも何故かその唄を聴くのが快くて、テレビの録画(かなり不鮮明な録画)を撮ったりしていました。歌詞の内容は大したことはなく、蘇州(中国の都市名の一つ)の河辺(川のほとり)をアベックの二人が歩いていて、夜もふけてどこへ行くのかわからない。二人とも迷子になりそうだったけれども、お互い言葉が少なくとも信頼し合っていて心配はない、みたいな感じの歌詞でした。大多数の意見では「全然違う。」と言われそうですが、私の個人的な見解としては、尾崎豊さんの"Oh My Little Girl"にやや近い内容の歌詞に思えました。がしかし、それよりも古い唄のようでした。
 或る日、三十代の頃の私はその唄の録画テープを、自宅の居間のテレビにつないだビデオデッキに入れて見ていました。すると、たまたま私の前を通り過ぎた母がテレビのその録画を目にして、「きれいなメロディだねぇ。」と言いました。それで私は何故その中国の曲に私自身が魅かれていたのかがわかりました。伴奏から始まって、歌手の唄うメロディが続くその音楽そのものが美しかったのです。
 また、これは原曲が日本の唄でしたが、その番組のコーナーで『バラが咲いた』の中国語バージョンを聞いたことがありました。「メィグィファカイラー、メィグィファカイラー、ハオホォワンディ、メイグイホワァー。」は、「バラが咲いた、バラが咲いた、真っ赤なバーラーがー。」の正確な中国語カバーでした。このように、日本語と中国語との間には音楽の分野では共通点がもともとはあったようです。(しかしながら、こうした例はあまり多くはありません。それは、中国人が日本の唄を片っ端から自国語にカバーしたのではなかったからです。彼らに気に入ったきれいなメロディの曲だけ、このように成功したものと思われます。)
 そしてまた、今年の初め亡くなられた私の母の一番上のお兄さんは、旧満州に行ってシベリア抑留を経験されました。そのお兄さんが『姑娘(グーニャン)の唄』というの知っているというので、今度会ったら聞いてみたらと、昔母に言われたことがあります。結局そのお兄さんに会いに行ったのが、そのお葬式になってしまったので、『姑娘の唄』という中国語の唄を聞くことはできませんでした。『姑娘(グーニャン)』というのは、中国語で『むすめさん』という意味です。どんな唄だったか聴いてみたかったのですが、それにしても、中国語の唄というのは、日本人にとって覚えやすい異国の唄ではないかと、その時の私には思えました。
 私と同年代の人ならば、子供の頃にテレビで「おみやげ〜は、な〜に?」という節の唄をコマーシャルか何かで聴いたことがあるはずです。『南の花嫁さん』という唄で、古賀政男さんの作曲(原曲のメロディをもとにして、日本の唄にしたそうです。)ですが、その原曲は、実は中国人の作曲によるものでした。それは戦後の中国では『彩雲追月』という唄になりました。(戦中時に『南の花嫁さん』は日本でヒットしたそうです。しかし、その原曲の作曲家はその一年前に中国の内戦で亡くなってしまったそうです。)
 『南の花嫁さん』も、その原曲の『彩雲追月』も、とてもメロディの美しい曲です。日本人が聴いたらば、きっと涙を流してしまうほど美しいメロディだと思います。
 さらに、私の好みで言うならば、以前ブログ記事でとりあげた香港映画『花月佳期(トワイライト・ランデブー)』のテーマ主題歌が良かったと思います。私が好きな音楽の一つです。やはり、きれいなメロディで、日本のミュージシャンはどうして真似しないのかな、と思いました。どうやっても真似できないのか、それとも、真似する必要性を感じていないのかもしれません。
 温故知新と言っては何ですが、以上のように中国大陸には、日本人が耳にして泣いてしまうほどの美しいメロディが転がっていたと、私には感じられました。日本の新しい音楽が中国のミュージシャンにパクられて、どうのこうのという昨今ではありますが、日本の若いミュージシャン達がそんな中国大陸で生まれた美しいメロディに無感動・無関心であったとしたならば、それもまた問題ではないかと私には思えます。