私の本業 怪我に用心!

 今年の私は、本業の作業中に怪我をすることが多くて困っています。何年か前、米作りのために初めて田んぼに足を踏み入れた時、都会育ちの私は慣れていなくて両足首を捻挫してしまいました。それでも、きゅうりの栽培を休むわけにはいかず、ほふく前進で文字通り地面を這って作業を続けていました。
 つい3週間前にも、きゅうりの木に水やりをするために揚水ポンプを屋外に引き出してきて、四角い鉄格子のマンホールを地面からひっくり返して開ける時に、その重たい鉄の固まりを、長靴を履いた左足の親指の先あたりに落としてしまいました。その瞬間がものすごく痛かったことは言うまでもありませんでしたが、それから3日間くらい痛みが気になっていました。ひょっとしたら破傷風か『ひょうそう』になってしまったら大変だと思って、左足の親指の爪の生え際が腫れて痛くなっているところに消毒液を塗ってなるべく清潔にして、一週間ほど様子を見ることにしました。もしも痛みがとれなかったら、外科医さんへ行って爪をはがすなどの手術をしなければなりませんでした。(2年前、地元で新規就農者の一人で三十代の人が、破傷風にかかった手の親指の爪をはがす手術を受けました。破傷風にかかってかなり痛くなった親指は、手術後何週間も包帯がとれず痛かったそうです。)
 私の場合は、左足の親指の爪の付け根が3日間くらい痛かったのですが、一週間すると痛みがなくなりました。ただし、内出血して腫れていた部分からその一週間後に出血が起きてその部分が黒くなりました。地面についた足の先に腫れがなくなり、痛みもないので、症状は安定したようです。爪をはがすような大手術を受ける必要はなくなりました。
 重い鉄のマンホールを足に落としてしまった原因を考えてみると、ここのところ私の実際の作業量が多いことと、作業時間中の暑さのために体力の消耗が大きいことが挙げられます。この仕事は、野菜に限らず、果樹をやっても、花きをやっても、6月が一年で一番忙しく、太陽が出ている時間も長いので、つい働きすぎてしまいます。いわゆる農繁期と呼ばれている時期にあたっており、こごんだ無理な姿勢で作業していると腰痛になる人が多く、体の疲労度が高いのもこの時期です。また、この時期は暑い時間に無理をして作業することが多くなるため、体力の消耗と抵抗力の低下がひどくて、ちょっとしたことへの注意力が散漫になって、怪我や事故が起きやすくなっています。
 そして、今度は一週間前に、私は左手の甲が腫れて、指が自由に動かなくなってしまいました。この時期に、きゅうりの木の栽培や、きゅうりの収穫など、手先を使う作業が多くなりました。さらにお米が直売所で売れ出したので、コイン精米所に毎回30kg一袋の玄米を持って行く日が何日か続きました。毎日、細かく手先を使う作業をしながらも、重い袋を運ぶ作業をしていていました。しかも、ビニールハウス内のきゅうりの木が、暑さで枯れないようにするために、朝夕に換気用のビニールの開閉をしたり、水やりを1日に2回ほどしなければならず、それは炎天下で体力を奪われても続けなければなりませんでした。
 その結果、私は手を酷使してしまいました。何をするにもムダに力が入る感じでした。やがて、左手がけんしょう炎になってしまいました。タイプライターやパソコンのキーボードを叩きすぎた指がそんな病気になることは知っていました。大した怪我ではないと思っていました。けれども、実際に私自身がそれになってみると、指はしびれて自由に動かないし、たとえ動いても、指に重みや圧が加わるだけで痛くて仕方がありませんでした。これからさらに忙しくなる時期に何という不運だろうと思いました。
 冷静に考えるならば、腰痛にせよ、足の捻挫にせよ、特定の体の部位だけが急に痛むことは少ないものです。ひざが痛くなったり、ももの筋肉がひきつったりして、それが原因になって腰や足首を痛めてしまうことが多いようです。今回の場合も、首や肩の筋肉が硬直していました。多分それは、作業のやり過ぎによる疲労を体にため過ぎてしまったことが原因だったようです。その結果、手首や手の甲といった比較的弱い部位に重圧がかかってしまいました。
 怪我をしないように用心するのは、当たり前です。怪我や事故で作業が進められなくなるのは、それだけでも人生にとってマイナスだからです。もっとも、現在私が仕事をやりすぎてしまうのは、「働け。」とか「仕事しろ。」と人に言われるからではなく、私自身の立てた計画や考えにもとづいてそれを実際に行った結果が「やりすぎ」や「手間がかかりすぎ」になってしまうためです。従って、不運だとか思ったりがっかりしている場合ではありません。
 確かに若い頃は怪我をしたり病気になると、かなりがっかりします。私もそうでした。しかし、このごろの私は別の見方をするようになりました。もちろん怪我をしないように注意することは(何度でも言いますが)大切なことです。しかし、もしも怪我をしてしまった場合は、それを素直に受け入れて、将来の私自身がなるはずの姿だくらいに思うことが肝腎です。事故か何かで急に人生を終わらせることがない限り、自由に手足などが動かなくなることは必ずあると思います。そんな未来の私自身を現在体感しているのだ、くらいに考えて、その経験は決してムダでは無いと思うのです。