私の本業 風と怪我との闘い

 実は私は、先日に4月1日に左手を骨折したような感じになりました。ある新規就農者のビニール・ハウスで屋根のビニール張りを手伝いに行って、作業の途中で左手の動きが鈍くなりました。別に喧嘩をしたわけでも、暴力事件を起こしたわけでもありません。
 長くて広いビニール・シートをアーチ状の鉄骨屋根の上に広げる途中で、そのシートが突風で飛ばされそうになって、私はとっさに利き手の左手でつかんだのですが、その一瞬の風の力で私の左手が宙に持っていかれそうになりました。まだ、シートの他の部分をマイカー線で押さえつける作業が済んでいなかったので、もしも私が手を離したら、シートが飛んでしまって、そこまで皆でやっていた作業がもとの黙阿弥となってしまうところでした。よって、私は手をビニール・シートから離すことができず、脚立に足をのせた不安定な姿勢のまま、左手を負傷してしまったようなのです。手伝いに行った新規就農者の人には、余計な心配をかけたくなかったので、私はその負傷を隠して作業を続けていました。しかし、その日の夜から左手の具合が悪くなっていることに気づき始めました。
 4月3日の午後に台風並みの嵐によって、去年建てたビニール・ハウスの屋根のビニール・シートが宙にあおられてしまいました。ビニール・シートを押さえつけていた直管とらせん杭とマイカー線が、ここ数日の悪天候で地盤がゆるくなって、ビニール・シートと共に宙に舞い上がってしまいました。その横を通っている道路に向かって落ちたら、見知らぬ人の車にぶつかって大事故になりかねません。地元のJA支部からも応援の人たちを頼んで、皆で暴風雨の中でビニール・シートをパイプハウスの骨組みからはずして地面に落とす作業をしました。ビニール・シートがとばされても、ずたずたにやぶれても、新しいものを後日張り替えれば済みます。でも、パイプハウスの骨組みが、風にあおられたビニール・シートの力で折れてしまったり曲がってしまったりすると、もう使いものにはなりません。しかも、その後片付けが大変な追加作業になります。その難を逃れるために、あえてビニール・シートを屋根からはずしたというわけです。
 そしてまた、これからいろいろと忙しくなる矢先でもあったので、仕事から手が離せず、お医者さんに診てもらうのが遅れてしまいました。日に日に左手の腫れが手首まで広がって、指がしびれて、手がぶらぶらになってしまいました。4月4日の水曜日にやっと、地元の整形外科クリニックへ行って、お医者さんに診てもらいました。包帯で左手を固定して、やっと痛みが治まりました。その日にレントゲン検査をしたものの骨のヒビが見つからなかったため、今日金曜日にMRIで精密検査をしてもらいました。その結果、左手のおおもとの骨に亀裂と内出血のようなものが見つかり、患部を2、3週間固定して自然に治癒するのを待つことになりました。
 そんな私がこの数日の間に気をつけていることは、左手が不自由なために生活や仕事で無理をしてストレスをためてしまうことでした。毎日のことですから、休める時間はよく休んで、過労で体調を悪くしたり病気になったりしないよう気をつけていました。また、衣服の着方や脱ぎ方を工夫したり、車の運転も支障のない操作を考えて実行していました。私は、パソコンのキーボードを左手か右手の一本指で打つことができるので、今回の左手の怪我でも支障がなかったのですが、日常生活のほうでの作業が大変だったので、この記事を書くのを後回しにしていました。
 そういえば、もう一つ忘れていたことがありました。テレビのドラマで、学校の先生をテーマにした三夜連続のドラマをやるということをどこかで聞いていました。ちょうど夜の9時を過ぎて、一話の予告編をテレビのCMの合間に見たことを思い出しました。そのチャンネルにしてみると、少々長いCMが入って、二話がたまたま始まりました。一話も見たかったのですが、昨日の晩の私は、精神的にも身体的にも疲れきってしまっていたので、うっかり見るのを忘れていました。でも、二話が最初でもそれなりに力の入ったドラマを見ることができました。
 人それぞれ意見や感想があると思いますが、私の場合は母校がなくなってもあまり気にしない人間だと思います。私が中学生の頃を思い出してみると、良い思い出もありましたし、悪い思い出もありましたが、たとえ今になって母校に行ったとしても、それらの痕跡は何も残っていません。その中学校の裏門の近くに私の実家はありますが、私が通っていた学校とは、全く別物の学校になってしまいました。つまり、私の母校とは、私の心の中に現在でも存在する母校なのです。
 今夜そのテレビドラマの第二話を見ていて、学校の先生の『体罰』に関する私の経験と意見を書いてみたいと思いました。それについては後日、記すことにします。それと私の勝手な意見ですが、ドラマのあのクラスの不良でない生徒たちが、もしも私の同級生だったとしたら、ちょっと耐えられないなと思いました。今の普通の中学生というのは、もしくは、1980年代の普通の中学生というのはあんな感じなのでしょうか。あんなに大人しくて何にもしなくて優等生っぽい同級生ばかりであったら、こっちが不良になってしまう気がします。
 私が中学生の頃は、私自身もちょっと変でしたが、私自身は不良ではありませんでした。不良仲間と仲良くなったりしたことはありませんでしたが、上級生や同級生や下級生の不良と衝突することがたまにありました。私自身が要領が悪くてバカだったせいだと思いますが、私の友人などは不良に絡まれそうになる前にそそくさと逃げてしまうことが普通でした。
 或る日、学校の運動場でクラスメイトと野球をやっていたら、上級生の不良(その裏にはやーさんがつながっていたそうですが)に邪魔されました。私の同級生は、やーさんに仕返しされるのが恐くて、彼らにしたい放題されていました。私は、それが気に入らなくて、職員室へ行って三年担当の体育の先生を連れてきました。上級生らは文句を言ってその場を退散しました。私はその日の下校時に、校門の所で彼らの待ち伏せに遭いましたが、知らんぷりして脇を通ったら何も言われませんでした。要するに、彼らは私を敵とさえ認めていなかったわけです。おかげで学校の外で、リンチにあわずに済みました。
 また、下級生の不良に関しては、学校の先生さえ全く手が出せませんでした。彼らの集団では、個人の先生がターゲットにされてリンチされる場合もあったほどです。しかし、私はバカだから、そういう彼らにちょっかい出して(先生としてではなく先輩?として)彼ら全員に唾を吐きかけられたことがあります。でも、彼らと空間的な距離をとっていたため、それだけで済んでしまいました。暴力というものは相手に近づきすぎると起こるものなのです。
 このように、中学時代の私の下らない体験談を書いてしまいましたが、学校の先生の体罰についてどうして世の中はこんなに考えが変わってしまったのか、という事情の一つを私は丸裸にしてみたくなりました。それで良かったのか悪かったのかは、後世の人の判断に任せたいと思います。ただ一つ言えることは、学校の先生だけが体罰を辞めたところで、世の中は良い方向に変わってはいないと言うことです。もし社会的に悪い方向に変わっているとしたら、誰が一体その責任を取るのでしょうか。
 だいぶ余計なことを書いてしまいましたが、『体罰』と言われるものが本当に良くない『体罰』ばかりだったのか次回は考えてみたいと思います。