私のプロフィール だまされた経験

 私は意図的に相手をだまそうとした経験はあまりありません。つい、見栄を張ってそうじゃないのにそうだと言い張ったことはあります。そういうウソのつき方は、誰でも経験したことがあることでしょう。ウソをつく気がないのに、結局ウソをついてしまう。もともと悪意がないのに、悪意があったことと同じになってしまう。
 仏教に『諸行無常』という言葉があります。世の中のあらゆる物事は絶えず変化しています。永遠に変わらない物事などこの世に無いのかもしれません。何事もそうですが、その時は良かれと思ったことであっても、時間がたてば良くはなかったことに変わってしまうことだってあります。
 そう考えてみると、何がホントで何がウソなのか、その線引きが微妙なことも長い目で見るとよくあることです。その時その時の判断が、正しいのか間違っているのかは後になってみなければわかりません。もっとも、それがわからないからと言って、何もしなくていい、何も考えなくていいということにはならないと思います。
 しかしながら、毎年この時期になると、私は小学生の頃に私の母から何回か同じ手口でだまされたことを思い出します。少なくとも二、三回は4月1日のエイプリールフールに同じことを言われて、その度に私はその策略に引っ掛かってしまいました。
 その朝、私は洗濯機に洗濯物を入れている母の所に、何か用事があって行きました。すると、母は私(その頃私は母から『ぼく』と呼ばれていました。)に「ぼく、驚いちゃいけないよ。」と何か意味ありげに言いました。何か重大なニュースでもあるかのようでした。「お母さんねぇ、宝くじで1千万円当たっちゃったんだよ。」1千万円と言えば、当時の宝くじの最高賞金額でした。「びっくりしただろ。」と母は、どう返答していいかわからない私の様子をうかがいながら、自慢げに言いました。ちょっと間を置いて、「今日は、エイプリールフールだからね。宝くじに当たったって言うのはウソだよ。」と私の母は付け加えました。
 こんな感じで小学生の私は、一年に一回、母にみごとに同じパターンでだまされていました。その時、おそらく私はちょうど1年前のことをすっかり忘れてしまっていたのだと思います。子供の頃の私は、このように『進歩のない、物わかりの悪い子供』でした。
 こうした過去の経験から今の私が学べることは、次のようなことです。私の母が、宝くじに当たったと言ったのはウソです。でも、今日がエイプリールフールなのでそんなウソをついたと明かしたことは、ホントです。このように、昔でも今でも変わることなく、ウソとホントがはっきりしているということは、貴重なことかもしれません。何がウソで、何がホントなのか、ということを意識して考えたり、それらを使い分けたりする際の基準になるからです。
 そのような子供時代の経験があるおかげで、私はこの時期になると、周囲に妙に疑い深くなります。スーパーに行っても、何かまがい物をつかまされて買ってしまいはしないかと、無意識に思ってしまいます。それが良いか悪いかわかりませんが、本当はそんなに気にすることはないのかもしれません。気にするだけ損というものです。