今年のテレビを見ていて気になった言葉

 今年の流行語大賞は、お笑い芸人のスギちゃんの「ワイルドだぜぇ〜」でしたが、私の身のまわりにも今年になって「ワイルドさ」を感じさせる出来事がありました。私の借りているJAのビニール・ハウスに今年になってしばしば姿を現わす黒猫親子は、キャットフードの袋を見つけると、そのビニール袋に咬(か)みついて、食い破って中味を食べます。
 私の地元では、野良猫にエサをやっているうちに、犬のように飼いならそうとする風習があるようです。時々、その辺の猫が、まさに「猫なで声」でいつもエサをくれる「特定の人」を呼んでいるのを耳にします。また時おり、猫に首輪をつけて、それにつないだ縄を引いている人さえ見かけます。それにはペットにする以外にちゃんとわけがあって、その目的のために猫にそこらを歩き回らせているらしいのです。猫は縄張り意識が強いために、狸や狐やハクビシンなどの獣や、雀やハトなどの鳥を警戒させます。
 また、猫はネズミを食べる習性があって、猫がいるとネズミの駆除に役立ちます。先日も、きゅうりの箱詰めの作業場で、畳の上に、野ネズミの頭と下半身が分断された状態で転がっていました。前足のついたその中間の部位はどこにもありませんでした。邪魔だったので、外の草っ原にそれらを投げ捨てておいたら、二,三日して無くなっていました。アリがよってたかっても運べないくらいの大きな物だったので、おそらく猫が持っていってしまったのでしょう。
 また、今年の初めに物置き小屋の、暗くて狭い場所にねずみとり粘着シートを二、三枚置いておいたら、五匹も野ネズミがかかってしまいました。小さなネズミのその毛並みは灰色っぽい、まさに「ねずみ色」でした。それを何とか始末しなきゃと思いながら、二、三週間、そのまま放置していました。忘れていたことを思い出して、どうなったかと見に行ったら、粘着シートにわずかの体毛を残して、あるべきネズミの本体がすっかりむしり取られていました。ものすごい力でないと、そのような仕業は行えないわけで、これは猫の仕業であると私にはすぐにわかりました。
 さらに、この前、露地の畑にハトが落ちて死んでいたのを見つけて、地面に埋めなきゃと私は思っていました。ところが、二,三日たったら、そのハトの死骸はなくなっていました。おそらくそこら辺で歩き回っていた猫に持っていかれてしまったのでしょう。このように、猫は田畑の掃除屋さんの働きもしてくれているのです。
 そういうわけで、私も時々ハウスの畑に出現する猫たちに、キャットフードを与えています。最初は、犬にエサを与えるのと同じように、紙のお皿にエサを入れて置いておいたのですが、面倒になってやめてしまいました。私自身が、イヌ型というよりもネコ型の人間なので、動物に毎日エサを与えるなどということは性に合っていませんでした。すると、勝手に猫のほうで、キャットフードの置き場所を探し出して、ビニールの包装を咬み切って、エサを食べるようになりました。私としては、最初その行状に困惑したものの、手間がかからなくていいことに気づきました。そもそも猫の本性はワイルドなのだ、ということに気づいた私は、たまにキャットフードを買ってきては、外装の紙袋の端っこだけをはさみで切って、それをハウス内のどこかに置いておきます。後は、猫まかせにすることにしました。猫は、腹がすいていれば、勝手に自分でビニールを引きちぎって食べてくれます。それはまさに、「ワイルドだろう」と言わんばかりの様子でした。(猫が大きな紙袋に頭を突っ込んで食べ続けるさまは、ちょっと無防備な気がしましたが、そこはご愛嬌ということで、大目に見ることにしました。)
 ワイルドなネタはここまでにして、本題に入りましょう。今年の流行語ではなかったかもしれませんが、今年のテレビを見ていて、私がどうしても気になった言葉がありました。マルちゃん正麺のあの言葉です。そのコマーシャルの最後で役所広司さんが必ず言う「ウソだと思ったら、食べてください。」というセリフです。その言葉が、すごく気になりました。
 そのコマーシャルを見たら、必ずと言ってもいいほど、「ウソだろう。」と思ってしまいます。すると、「ウソだと思ったら、食べてください。」とテレビから言われたわけですから、マルちゃん正麺を買って食べずにはおれなくなるわけです。そんなに真面目にとらなくてもいいとはわかっていますが、どうしてもその言葉が耳に残って、「ウソだ。」「ウソだと思ったから、買って食べてみよう。」ということになってしまいました。
 マルちゃん正麺が本当に美味しいか、そうでないかは、人それぞれ賛否両論があるようですが、今年はこの商品が売れてヒットしたことは間違いないようです。そういう私も、その袋麺を何度か買って食べてしまいました。つまり、この商品を買って食べたという経験をした後でも、テレビでそのコマーシャルを見ると、やっぱり「ウソだろう。」「ウソだ。」と思い、「ウソだと思ったら、食べてください。」という言葉に乗せられて、また買って食べてしまう、ということを繰り返してしまうのです。そんなことを続けてしまう私自身がまた、おかしくて、楽しめているわけです。