実家の墓参りに行く

 前のブログ記事に書いたとおり、6日の日中に竹ノ塚へ墓参りに一人で行きました。ここ二、三年、私は年の初めに墓参りをする当番になっています。別に強制的に役割を押し付けられたわけではないのですが、一年に一回実家に帰った折りでないと実家の墓参りができないため行くことになりました。実家のお墓に仏花と線香をあげてくるだけなのですが、鉄道で竹ノ塚駅まで行って、お墓のあるお寺まで歩いて行きます。私は長野県上田市で仕事をしていますが、不幸にももしものことがあって東京に戻った場合は、このお墓にお世話になるかもしれません。そういう考えもあって、実家のお墓を大事にしようという気が起こるのです。
 先のことが確かにわからないのも事実ですが、もしものことを面と向かって考えられるようになったのは、私がそれだけ年を取ったからかもしれません。若い時だったら怖くて考えていられなかったことでも、今では平気に思えます。どんなに元気な人を見ても、どんなに病弱な人を見ても、命の格差はそれほど大きく開いてはいないと、私には感じられます。
 それはそれとして、明るいうちにお寺さんに到着しましたが、お参りに来ている人影はいませんでした。けれども、実家のお墓の周囲のほとんどのお墓には花が捧げられていました。お正月のうちに多くの人が墓参りに来ていたことを、その花たちは物語っていました。
 墓参りの帰りに、私は竹ノ塚駅前の商店街の通りを歩いてみました。お昼を過ぎていたので、十字路の角にあるラーメン屋に入りました。平日ということもあって、お客がいませんでした。こういうお店は、お客が一人来ると、どういうわけか外の道行く人たちがそれを見て、少しずつ店に入ってくるものです。いつしか、お客が増えています。私の後に続いて、四、五人お客が店に入ってきました。ただの偶然であっても面白いものです。
 私は、300円のラーメンと200円の餃子を注文しました。そのラーメン屋さんは、カウンター席が無く、丸テーブルと丸椅子だけなので、学校の文化祭の教室みたいな雰囲気の店内です。商品の価格は安いけど幸せな感じのするお店です。そう言えば、以前母と私の二人で墓参りに行った帰りにこのラーメン屋に寄った時は、300円のワンタンと200円の餃子を母は注文しました。これは私の想像ですが、昔このラーメン屋に父と母が二人で寄った時にはそれと同じようにワンタンと餃子を注文したに違いないと、なぜだか思えました。私は、価格が同じでもワンタンよりもラーメンを選ぶ世代であり、母と父はその反対を選ぶ世代だったと推測しました。
 ラーメン屋の次は、本屋へ行きました。都心の某本屋さんへ昨日(5日に)行って、本の売場が1年前よりも縮小されているのを見て少しガッカリしてしまいました。ところが、竹ノ塚のその本屋さんは、さすが東京と思わせる位に本の種類が豊富で、私が長野の地元の本屋さんで探しても手に入らなかった本なども置いてありました。そんな感じの値段が高くない文庫本を2冊くらい買いました。
 このように、ただ墓参りに行っただけなのですが、帰りに竹ノ塚駅前にちょっと寄り道をしました。私は一人で行動していると、ついマイペースでのんびりしてしまいます。ラーメン屋でもお客が少ないと、人目を気にする必要が無いので、ゆっくり食べてしまいます。本屋へ入っても、つい立ち読みしてしまい、店を出る時には1時間以上経ってしまっていることがしばしばあります。今回も他には寄り道をしませんでしたが、帰宅時にはあたりはすっかり暗くなっていました。